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日常が戻って来た(娘の冬休み終わり。大学へ戻った)。最高気温8度。最低気温-5度。

2018

0224
90年代ネタを書かないと、コメントが入らない奇妙なブログへようこそ。コメント書ける人(昔を知る人)は片手で足りるほどなのに。

2011年にこのブログで昔のレストランネタを書いているけど、再度書く。面倒くさいから(おいおい)、一部コピーする。

1991年に北京留学が始まった私だが、その頃あったレストラン。今ない店に❌をつける。

晋阳饭庄 1959年開業の山西料理。

悦宾饭馆 民間で初めてのレストラン。

阿静 东四の交差点を北上。道の西側にあった広東料理。❌

塔园外交公寓の一階のレストラン。私の初中国が1986年。団体で北京旅行に来たとき、空港からそのまま夕食となった店がここ。

香港美食城 东华门の屋台(すらすでに懐かしい)の向かいにあった。❌

能仁居 ❌ 今は北京にないが地方にはある。

无名居 东直门の本店は今でもあるが、本当に美味しかった。今は支店が増えて龙宝大厦の向かいにもあるが、日本人から行ったと聞いたことがなくて、味は落ちたのか?私は20年以上行っていない。
 
・すでに書いた加州牛肉面大王

・有名すぎる全聚德,东来顺,便宜坊


 昔話がある人はどうぞ。

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2018

0220


北京師範大学より北にあったと送られて来た写真。全然覚えていない。私が覚えている「加州牛肉面大王」は琉璃厂の方。二回は行った。別に美味しくも不味くもないと記憶している。そして「加州」(カリフォルニア)はなんの関連があるか不明だった。今百度百科を見たよ。

在美国从事餐饮业的华侨吴京红1985年回中国创办了第一家“美国加州牛肉面大王”。1993年在中国注册了商标。1996年在美国注册了商标,归吴京红所拥有的美国鸿利国际公司。

另一家“李先生加州牛肉面馆”的创办人是重庆人美国加州华侨李北祺。他在1972年到1974年间以“牛肉面大王”为号,洛杉矶地区的唐人街、蒙特利公园、阿罕布拉开了3家“牛肉面大王”餐馆,到1979年扩展到7家。之后在中国以“美国加州牛肉面大王”为商号,开办专营店。


李北祺(1932年9月15日—2008年1月27日),字华康,是“李先生”事业的奠基人, 1972年,怀着对中华饮食文化的独到见解与执着之梦,李北祺先生于洛杉矶成立“中国烹饪艺术公司”,传扬中国的餐饮文化,经营川、沪、京、粤各式菜品,尤其是他将中国牛肉面进行精心改良,于美国加州创立了“牛肉面大王”餐厅,至1979年餐厅发展为7家;并获得当时中餐厅获得的最高评价——《洛杉矶时报》四颗金星盛赞,由此,开启了李先生品牌近半个世纪的梦之旅程。

90年代初頭は日本のラーメンはなかったよね?和食屋にあった?

とにかく「加州牛肉面」を食べた人、名乗り出て欲しい。

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2018

0213
90年代の記事を書くと、5人以下でしか盛り上がらないけど、ま、いっか。

80年代、90年代に北京を生きた人が行ったお店。

<もうない>

・五道口百货商场

・华泰百货(今は産婦人科病院)
・东单菜市场 美大から近かったのでよく行った。当時美味しいお菓子が少なく、ウエハース量り売りが美味しいと日本人留学生で盛り上がり、何度か買った。
・崇文门菜市场
・西单菜市场 私は覚えがないが、ネットにあった。
・北辰购物中心 この一月に閉店。
・华堂商场 北苑路、五棵松、劲松西直门、右安门、十里堡、望京、丰台北路、大兴等が閉店していて、今は亚运村のみ。
・百盛
・隆福大厦
・东安市场



<まだある>
・红桥
・秀水 ビルではなく露天だったが。
・百货大楼
・西单商场
・华威大厦 97年くらいかな。上の方の階は若者の服が売っていて、渋谷の109のようだった。ダンナの従妹が服を売っていた。
・友谊商店
・双安商场
・当代商场 ロッテリアがあった。
・塞特购物中心 地下一階にロッテリアがあった。


今回は物を売っているお店に限る。古い皆さん、まだあったら教えて欲しい。あと、思い出を語っておくれ。レストランは次回。

以下、懐かしい写真が多く、溢れる涙を……。

80张最真实的老北京照片,都是记忆中的北京城

90年代的北京,满满的都是回忆

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2018

0207
おジャパンに着いて、1週間たった。昨日までは予約投稿していたので、無人ブログみたいで、すまん。

まだ充電中なので、写真貼って簡単に終わる。












 

90年代の北京(なぜか北太平庄限定)の写真を送ってくれた複数の友人達、有難う。でも、実は「あーあ、懐かしい」とはならない。なぜなら覚えていないから。

覚えている皆さん、コメントどうぞ。


あと、90年代こんな商场に行ったなーも募集。

私が覚えているのは。塞特(ヤオハン)、友谊商店。

続く。

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2017

1122
Tokyo Bon東京盆踊》 微博で多くの中国人が転送していて、「洗脳されたー!」と。日本人の英語、なめるなっての!

さて本題。「記憶にあるか」と送られて来た写真。



94年に撮った北太平庄の市場だという。北太平庄のT字路の(今は三環路が通って、十字路になったが)西だって。私が覚えているのは同じく西で、道路の南にあった北太平庄のスーパー。名前は市場だったのかなあ。当時にしては珍しい、二階がスーパーだった。つまり服務員に商品を指して欲しいものを出してもらうのはなく、自选だった。

92年頃はそのスーパーでクラフトの塗るチーズが瓶で売っていて、しかも高くないので、日本人は買っていた。

さて昨日、コメント欄で「北京の街は電気がオレンジだった」と盛り上がった。薄暗くて、10時以降に開いている店はなくて、遊んでる留学生は昆仑饭店などのディスコに行っていた。

中国(北京)の留学生生活で何をしていた?

私は皆勤賞を取るくらい一年目はちゃんと授業に出た。半年で200元出たんだよね。結構日本人で固まっていて、誰かが日本から船便が届いたといえば、「カレー作ろう!」となったり。

土日は何してたかな。西単など市内に出ても、バスがなかなか来なくて、来ても、人民が多すぎて乗れず、寮に帰れず、外出も億劫だった。でも、日本から紹介された書道の先生のところに稽古には行っていた。

みんな何してた??

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2017

0716
淳子さん:友谊商店はアイス屋さんがあったからよく行ってましたよ。大抵はロイヤルゼリーや羊の胎盤クリームを買ってました。 あとは塞特とかでパンダチョコを買ってました。

鼓楼近くの洋服屋で父にブルゾンを買ったことがありました。とても安かったと思う。数年後に真空パックになってる北京烤鸭を買って帰ったことあります。 美味しかったなぁ。

それから2000年近くには百貨店で、メイベリンとか化粧品コーナーが出来始めて、メイベリンのリップがやたら安いから爆買いしたわ。保定で。

みどり:90年代前半のお土産の定番は友誼商店でロイヤルゼリー、片子癀のパールクリーム。

羊の胎盤クリームが分からない。鼓楼近くで買い物したことはない。というか、あのあたりほぼ行ったことなかった。メイベリンはテレビCMをよく見た。


功夫さん:初中国の89年1月、王府井の百貨店?で当時の同僚だった女の子に、青色ベースで花の刺繍が入ったチャイナドレスを買って帰りました。その娘のサイズなど知らなかったので、勘で選びました。帰国後チャイナドレスを渡し、喜んでもらいましたが、それを着た姿を見ることはありませんでした。数年後、「お姉さんが、友人の結婚披露宴に参加した時に着て行ったよ」と、僕がその娘と結婚してから聞きました。

みどり:日本人留学生、本帰国の直前にオーダーでチャイナドレスを作ってる人多かった。私は今より8キロくらい体重が少なかったが、それでも「太ってる人が作るのは」と遠慮した。実際痩せてない人が着せてみてくれて、価値観が違うんだと思った。

東北さん:人民元を買いました。 あの辺りは个体户(今はこれ死語?かぁ)がぎっしり露天商い(夏祭りの夜店状態)していました。このおかげで、留学生の私らは時々プチ贅沢して北京飯店の『五人なんたら?』で涙が出るくらい、美味しかった定食食べられました。

みどり:人民元は語言学院で換えていた。秀水は露天でしたよね。南(長安街側)から入ってすぐ右に屋根があるところがあって、それはそこの建物の一階だった?建物から突き出て、屋根があった?秀水はTシャツ、ダウン、シルクいっさいがっさい(パンツ、パジャマ、シャツ)、小物も売ってましたっけ?写真撮っておけばよかったな。

『五人百姓』は今でもある。当時は京樽がやっていた。大学が近くでしたが、私の前の代の日本人二人が先生と同学達にお世話になったといって、ご馳走したらしい。そんなんできないわ!と思って、私はしなかった。大众点评で調べた。ここへ


マリさん:秀水市場とか、友誼商店、工艺美术服务部,外文书店,琉璃厂,前门,潘家园,红桥は、皆さんも出かけていたと思います。私は、白孔雀芸術世界(住所 徳勝門外北濱河路39号)なんて所にも行きました。友誼商店っぽかったけれど、ロウケツ染めクロスとか買いました。秀水は、よくシルクのパジャマを頼まれました。

チャイナドレスは、婚約のお祝いに義両親がプレゼントしてくれました。布は、前門で買って、新街口の小さなお店で採寸して仕立ててもらいました。新街口商场の裏隣の店ですが、最近無くなってしまいました。

みどり:白孔雀芸術世界って行ったことあったのかも忘れたけど、場所はわかる。なんで住所が正確に書けるの?まさか今でもある?工艺美术服务部は王府井だよね。今もある。10年くらい前に従兄が北京に仕事で来て、一緒に行って、彼が奥さんにネックレスを買ったのが最後で行ってない。

新街口商场、わかる。新街口は最近ではギター買おうと思って行ったのが今年一回。その前は8年くらい前(ご本人達読んでると思うけど)、駐在員の奥様達とTシャツを買いに行った。私はタンクトップで前に中国の国歌が印刷されているのを買った。ヤフーのブログに書いてあるはず。あの店あのあとすぐなくなったけど、そういうTシャツ欲しい。

最後に私から。痩せる石鹸をお土産に頼まれたよね。どこで買ってたんだろう?日本だと3個1万円。北京で1個30元くらいだった?

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2017

0715
数日前の私のブログのコメント。「秀水市场はバッタもので ごった返してましたね。よくシルクのトランクスを男性用お土産に買ってましたー!」。

90年代(80年代でもいいけど)は日本へのお土産を買う場所は友誼商店くらいだった?

秀水はシルクマーケットと言われていたので、シルク製品を買うか、あとは偽ブランドのバッグ。90年代初めは今の秀水のビルのすぐ東に細い道があって、北にあるアメリカ大使館のところまで路上で売っていた。私はダウンコートを240元くらいで買った。


紅橋はパールマーケットだから、真珠を奥さんたちがよく買っていた。お店の人と知り合いになって「○番がいい」と店の番号を覚えてというのは、いまでもあるのかな。私は真珠を一度も買ったことない。

今日は「ここで何を買いました」を書いて欲しい。

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2017

0226
読者によるコメント=茶色。みどりのコメント返し=緑色

1. あの時代はビンボーで、不便で メチャクチャだったけど 面白かったと思います

本当にそのとおり。ビンボーだった。会社から派遣で来ている、または社会人の経験がなくて親が費用を思う存分出してくれる留学生以外は質素だった。そもそもお金を出しても、今のように何でもある便利な北京生活ではなかった。

2. 北京駅に鮮やかなポスターが 貼ってあって、見たら 列車爆発の被害者の見るも無残なお顔、遺体が何枚も 印刷されてて、それから 怖くて、しばらく1人でトイレに行けませんでした

それは「血的教訓」。北京駅にあったよね。「危険物を持ち込むとこういうことになりますよ」という、血だらけの生々しい写真がたくさん貼ってあった。

3. トイレと言えば、語言に住んでましたが、個室の鍵が壊れていて、いつも割り箸の1本で穴に通して鍵代わりになっていました。こんなオンボロ宿舎は語言だけでしょうか?

大爆笑。箸って……。中国人はビールを栓抜きでなく、箸二本で開けるのも、当時結構ビックリした私。

4.片仔癀、91年に友誼商店で大量に買いました。

片仔癀のパールクリームかロイヤルゼリーは当時のお土産の定番。

5.おそらく北京初の日本人板さんがいらした、80年代猛烈日本人ビジネスマンのオアシスだった『居酒屋兆治』どこら辺りでしたか?

发展大厦の向かいです。三環路沿い。詳しくは過去記事へ。私よりもっと古いオジ様達がコメント欄に「戦後(1945年)以降、北京で最初の日本料理屋は”和風”(元の東安市場内)で1960年代」等とネットで探しても書いてないようなことを書いていらっしゃる。

その近くに(霄云路の入口あたり)当時としては珍しい、日本語の歌があるカラオケ屋がありました。95年に私が結婚したとき、結婚祝いに(おいおい、そのおいわい)日本人女性二人が私を導いた。私が「古城」(三橋美智也)を唄い、二人から「どんな選曲よ?」とツッコまれた。

6. 養老の滝あったよね?

あちきが留学終わって、就労ビザで働き始めたとき、このあたりまで出勤してた。交通が不便で、うちからエラく遠かった。養老の滝は何回か行った。アジア村に「かに道楽「もあった。行ったことなかったけど。どちらも本物だったのか不明。

7.小公共汽車は乗客が集まるまで待っている間に、アイス売りの女の子が乗って来て商売してました。鄭州でのことですが。

今思うと、昔のほうが秩序なく、取締もあまかった。21世紀の首都北京は路上のモノ売りが激減した。90年代は書家の訪中団がよく来たので、そのツアーに同行したことが何度もあって、レストランからバスに乗ろうとすると、「あ、外国人(=カモ)来た」って感じで、物売りがすごくて、まずは「せんせい!せんせい!」って日本語言う。その後「せんえん!せんえん!」。扇子10個千円、ハンカチ10枚千円等。

8. 真面目な留学生じゃなかったので! 毎週金曜日の夜は昆仑饭店のディスコ←今で言うクラブ?に通ってました。 学割で50元、ワンドリンク付き。最後の〆の曲は、映画ボディーガードの主題歌。日本人、結構来てた。 あと、場所は忘れたけど スザンナというディスコもありましたね。行ったことがないけど。

語言学院の中にも小さなディスコがありました。シャングリラ饭店のディスコにも連れて行ってもらいました。

昆仑饭店のディスコは若い子達が行っていた(あちきも20代だったが)。北太平庄と积水潭にあった(どっちかがスザンナだと思う)。私はディスコなんて卒業していたが(本当か?)、ダンナ(そのときまだ結婚してないが)が行くというので何回かついていった。著名画家、方力钧も来てた。

昆仑饭店って当時結構日本人観光客、ビジネスマンが泊まっていて、エレベーターにかならず体を売る女性(どうよ、この言い方)がいて、男性を見ると誘っていた。

9.ディスコって、北京电影学院の所にNASAというのがあった。 あと、北太平庄に8番ラーメン、美国加州牛肉面大王があった。

NASA!懐かしい!!行ったことないけど。八番ラーメンは存在だけ知っているが、できたときに私はそこから引越ししていたので、店を見たこともなかった。美国加州牛肉面大王は何軒かあったよね?みんなで「本当にカリフォルニアに本店があるのか」なんて言ってた。

10. 93年2月、天津留学中に北京に何度か行きました。確か2月には地下鉄料金は5角均一で、3月に行ったら急に2元に値上がりしていて、4倍の値上げにびっくりしたのを覚えています。

これに関して調べてくれた方あり。写真載ってる。

北京地铁票价变化史
图解北京公交车票的发展历史

11.民族学院の近くに新疆料理屋があって、インド料理でいうナンみたいな饼が美味しかったですね。

民族学院の近くの新疆料理屋!!!!あった!!!!何軒もあって、新疆街だった。ゴミゴミしていて、衛生面はかなり心配だったが、食べた。

12.留学先の大学のトイレ、大の方には使用済みのトイレットペーパーを捨てるカゴがありましたね。昨年台湾へ語学研修に行った先の語学学校のトイレも、トイレットペーパーを流さないで溜めるようになっていました。

日本でなぜトイレに紙が流せるかというと、溶けるからだよね。中国のは厚い。昨今はティッシュペーパー(ボックス、ポケットともに)が普及しているけど、当時はトイレットペーパーの形のを部屋で使っていた。それを見た(東京から旅行にきた)実弟が「そうか、そっちでもいいのか」と実家でも使おうとしていたが、日本のトイレットペーパーは薄すぎた。鼻かんでもビシャビシャになるし、用途が違う。

現在、娘の大学の留学生宿舎のトイレもゴミ箱があると。娘曰く「ゴミ箱のあるトイレはそこに捨てる。ないと流す」。今、ローカルの中国人の家に行っても、トイレでそのまま紙は捨てる。古い建物だと下水の設備がしっかりしていないから、流しちゃいけないんでしょう。


13.90年代の冬の男性のアウターと言えば、ほぼ皆さん黒の革ジャンでした。今ほとんど見ないですね。

革ジャンはなんとなく覚えている。それよりサングラスかな。日本だと真っ黒のサングラスしてる人はあまりいないけど、非常に多かった。しかもデカい。実弟が北京に旅行に来て、「なんで中国人はグラサン多いんだよ。あんなデカいの、日本なら石原軍団かあゆかhitomiくらいだ」とツッコんだ。

とりあえず以上。

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