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崇文門マキシムの記事文章書いた。21日。最高気温2度。最低気温-5度。空気質量157。

みどりの果敢な北京生活(忍者版)

   
カテゴリー「90年代」の記事一覧

崇文門マキシム(やっと書き終わった)

珍しく家族四人で崇文門で食事をすることになって、ウロウロして、崇文門飯店に入ってみた。


このホテルは1978年開業。向かいに哈德门饭店という古めかしいホテルもあったが、今はデカいショッピングモールになってしもうた。

崇文門飯店に「淮扬村饭庄」という大きな看板があったので、晩ご飯はそこにした。ホテルの中に入ると、すぐに「マキシム」の看板がある。行ったことない。正装じゃなきゃ入れないんだよね。以前は隣接して「ミニマム」という安い版があって、そっちへは行ったことがある。

1階から2階の「マキシム」を見やる貧乏人。

バレンタインデーアベックコース1718(いーないーわ)元と1918(いくいーわ)元。


エレベーターで3階の科力淮扬村大众点评)へ。淮扬菜中,“扬”即扬菜,以扬州一带为代表的长江流域,“淮”即淮菜,以淮安一带为代表的淮河流域。長江、淮河流域の料理。北京のような「はい、炒めて塩入れまし」という大味ではなく、やさしい、日本人好みの味。


海鮮を頼まなければ、1人70元くらいかな。私らは4人で200元くらい。

ホテルの南側にパン屋があった。マキシムのパン屋の割には安いが、“一分钱一分货”の格言どおり、パンの出来はいまいち。


さらに南下。以前の崇文門市場のあたりはこんな近代的なビルディングに。中は電気が付いていて、ヒトがいたが、営業は開始していないようだった。



ダンナの出た美大=私の留学していた美大から近いので、崇文門市場も行ったけど、あまり買ったことはなかった。それよりここから北上して、今の東方新天地の一番東にあった、東単市場のほうが、大学からもっと近いのでよく行った。ダンナはどっちもよく覚えていた。

以上。

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懐かしの新僑飯店

崇文門あたりで晩ご飯を食べることになって、郷愁に浸ろうと、新僑飯店へ行った。90年代の初め、1階のレストランに当時は珍しい洋食があった。一般的なホテルの洋食のように格式高いんじゃなくて、ファーストフードっぽい感覚で、値段も安かった。当時同室だった沖縄出身の子と一緒に行って、ビーフシチューを食べ、彼女が「おいしいね」と言ったのをはっきり覚えている。そのときは中華もあったような気もするが、よく覚えていない。

二回は食べたと思うけど、20年以上行っていなかった。

中に入ろうとすると、「洋食ですが」と服務員が言う。客で、中に入ったら中華じゃなかった。出ようという人もいたんだろう。外にデカデカと「西餐庁」って書いてあるけど。

座る。メニューを見る。バカ高い。娘が出ようと言う。本当に迷った。スパゲティ98元。ほぼ88元から128元。暫し迷い、一回食べてみることにした。


罐焖鸡88元,奶汁烤杂拌98元。

↑これはレシートを見て書いたけど、メニューにはどちらも俄式と書いてあった。ロシア料理はどこでも食べられるわけじゃないから、頼んだのに、別に~という結果に。大きさを知らしめたくて、ボールペンを置いたから、よく見て!

主食が入ってないから、ドリアでもグラタンでもない。中はゆで卵と、澱粉を大量に含んだハムとソーセージ。ホワイトソースも澱粉入れすぎ感が満ち満ちていて、弾力があった。シチューの鶏は柔らかいし、味も良かったけど、表面はすぐに油と分離され、どんだけ油入れてんのよと心でツッコんだ。

コストパフォーマンスがこんなにも低い食事、久しぶりだな。

トイレに行った。トイレはレストランの中ではなく、ホテルの中だ。そこへ行くまでに写真が飾ってある廊下を通るのだが、これは懐かしい。









新侨三宝乐三宝乐はSAPPOROだ。今は経営が日系じゃないらしいけど、90年代は日系だと思って、行っていた。横にパン屋があって、そこではよく買った。21世紀の現代も、パン屋はあって、味や質が20世紀のままなのは、私たちにいつでも郷愁に浸らせるためなのか。

大众点评を見たら評価が高いんだけど、400元以上するステーキとか頼んだら、満足行く食事ができるのかな。

私は写真が見られて良かったと自分を慰める。もう食べることはないな。

新侨三宝乐西餐厅(大众点评)

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ああ、懐かしの

 这是80年代末,90年代初的北京 (計4ページ)

面包车(面的)10kmまで10元。
计划生育の広告が多かった。
木製乳母車多かった。
人々の服の色は地味だった。

80年代、90年代を知る人、コメントください。

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外貨兌換券、外国人料金に関してアンケート開始

私が留学していた90年代、中国人と外国人の使う貨幣が違った。たとえば、私は日本円の現金とトラベラーズチェックを持っていたのだが、それを銀行で中国元に替えると、外貨兌換券(FEC)を渡される。兌換券に対して、中国人が使うのは人民元。人民元だと、ドル等の外貨に両替できないし、北京だと友誼商店なんかは外貨券しか使えなかった。今調べたけど、兌換券は1979年から1995年まで流通していた。


私ら留学生、それでなくても中国語が上手じゃなくて、外国人だとバレて、ぼったくられるのがイヤなのに、兌換券を出すと、外国人であることがバレバレだ。当時は闇の両替所があって、そこへ行くと、1:1.5で、お金が多くもらえるので、皆さんよく利用していた。私が覚えている場所は語言学院の門の外の現像屋、三里屯のバー街の西側は小さい店が並んでいたが、そこの数軒などなど。
外国人がよく行く中国銀行の前だと、外国人を見かけては「change money」と話しかけて、換金しがたる中国人もよく立っていた。


当時は観光地に外国人料金があって、兵馬俑は30倍じゃなかったかな?だれか覚えてないかな?故宮もかなり違った。だから、日本人は人民元を持って、中国人のフリをして、中国人料金を利用したりした。外国人とバレないアジア人でよかったと思った。


1993年頃、一人で大連へ旅行に行き、海の近くのケーブルカー(だったかな?)に乗るときのこと。中国人料金と外国人料金の別のほか、片道か往復かを余儀なく選ばされた。それって、喋らなきゃいけないんじゃないか。人民元を出して、緊張して「单程」と言った。この[dān chéng]の発音でバレないかヒヤヒヤしながら。


古い皆さん!そういう思い出をアンケートに書いて欲しい。私、この大連の思い出しかない。そんなはずはなく、思い出したら、書き足す。


質問:外貨兌換券、外国人料金に関して思い出をどうぞ。
1. 成功した
2. 失敗した
3. その他


パソコンで見ている人は横のバーから、携帯等で見ている人はここから

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懐かしいゴミ入れ





    21世紀の今、見なくなった。懐かしくて、悲鳴を上げそうになった。

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読書関連文:『現代中国百景』で昔の北京を

  作者は新聞記者だった人なのだけど、文章が実に読みにくい。故意になんだけど、接続詞がない。文章をスパっスパっと書いてるつもりなんだろうが……。

  1974年に初めて訪中しているので、私の知らないことがたくさん書いてある。順に言及したい。緑色はみどりの弁。


・土地の値段……1981年、北京の市街地で13畝=700万元(当時は1元=130円)、郊外が坪16000から26000円。平米でないし、換金レートも違いすぎて、計算できない(保留)。


・国内の航空運賃、外国人は中国人の平均して2倍半。外国人なら10倍ふっかけろ。そもそも外国人と中国人で使うお札が違ったので、外国人用の紙幣を出す場合、北京の故宮や西安の兵馬俑とか、20倍くらいだった(不確か)。


・西単商店街。コンピュータが初めてショーウィンドーに登場。新婚用品専門店、横断歩道もここが初。新婚用品専門店、よーーく覚えてる。でも、西単の十字路の北よりも東側のパン屋によく行った。今の「時代広場」(ってまだあるのか?)のあたり、ビエドフランスのパン屋があり、語学留学時代たまに買ってた。


・なんとしても現在10億の人口を2000年に12億までに抑えないといけない。婚姻法の改定の年が記されていないが、男20歳、女18歳で結婚できたのが、男22歳、女20歳になったと。私が留学終わって、就労ビザで働き始めたとき、中国人スタッフが言っていたが、1年に子どもを産んでいい人数が決まっていたと。この1年は何月から数え始めるんだろう?早いもん勝ちってこと?遅いと堕せ?なのか疑問だった。


・ディスコの中国語訳は二通り。「随便舞」と「迪斯科」。随便舞なんて初めて知った。こうやってどんどん死語になっていった中国語たくさんあるんだろうなあ。


・(テレビの)人気の番組はテレビ劇60%、芝居48%、ニュース42%。このテレビ劇の中国語は电视剧であろう。当時は「ドラマ」という日本語が思いつかなかったか。


・(日本人の)いま中国みやげの人気ものは、水虫の薬「土槿皮酊」。あった、あった。商品名はすっかり忘れていたが、中国にはものすごくよく効く水虫の薬があると言われていて、お土産で買ってた人いたなあ。


・ラジカセは中国語で両用機。ラジオとカセットの二つ分の働きをするから。この中国語も淘汰された。中国では今でもこれを使うけど、收音机か音机かな。


・「中国でも婚前交渉あるでしょう?」「ありますよ」「場所はどうするの?日本のようにホテルがあるわけじゃないし」「公園があるじゃないですか」「冬なんかさむいでしょうに」「二人の棉大衣で覆うと、もう二人の熱い世界ですよ」。1995年頃、大学を出たばかりの中国人男子が言っていた。学生寮は男子だけで8人部屋だったけど、彼女のいるヤツが連れ込んで、ガサゴソやっていた。バレて退学になったヤツもいる。


 


 とりあえず以上。


『現代中国百景』今田好彦著/中公新書

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