忍者ブログ

みどりの果敢な北京生活(忍者版)29日。最高気温36度、最低気温23度、空気質量144。

西四北○条をひたすら歩く(三条から五条)

《西四北三条》
  西四北三条は明代は箔子胡同だった。箔子苇箔とも)は建築材料で、金属の粉または金属の薄片を付けた紙を箔といい、紙幣にも用いた。当時北三条には箔を作る工房や商店があったことから、箔子胡同と名付けられ、清代には同じ音から雹子胡同、报子胡同となった。

一番東から西を見る。


3号。隆長寺。入れない。

明代在皇城地安门内设有汉经厂,是专为皇家刻印佛经、儒家经典和皇家文件的机构。明万历四十五年(公元1617年),外汉经厂奉赦改建为皇家庙宇隆长寺。明代は漢字(チベット、モンゴルの文字でなく漢字)のお経印刷所だった。高さ5mの銅仏があったが、法源寺に移した。


不明。中は工事中。


11号。西四北幼儿园。


乙26号院。明缘美容美发学校。こんなところに美容学校があるなんて。


39号是京剧大师程砚秋(1904—1958)先生的故居。程先生1937年买下此宅,直至逝世前一直在此居住。


程砚秋をずっと気にしていたのは、私が美大に留学していたときに、ちょうど程砚秋の孫に当たる中国人が在籍していたと記憶していたからだ。そして今、百度で「程砚秋的孙女」と調べたけど、わからない。そして横にあった関連人物「张君秋」。ここで誤りに気づく。同じく京劇俳優。程砚秋じゃなくて、张君秋だ!同時に孫の名前もわかった!「旅日画家、张君秋外孙女卢思作品展」(←ここに写真あり)。卢思、懐かしい。中国画専攻で、私の隣の部屋の日本人が同じクラスで、彼女とは仲よかった。卢思を知っている人も結構いるんじゃ?NHKの中国語講座の講師をやっていた。

《西四北四条》
明代は皮革工房があったので、熟皮胡同だった。皮革を加工するときに臭気を発するので、清代は臭皮胡同、民国初期に同じような音から受璧胡同となった。

47号。西四北四条小学の創立は光绪九年(1883)に遡る。当時は八旗学校の一つだった。



《西四北五条》
明代は石老娘胡同。昔はお産婆さんを老娘といい、石という姓のお産婆さんから名が付いた。

(写真はたぶん)7号。蔵書家傅增湘(1872—1949)旧居。1917年出任北洋政府教育总长。1927年任故宫博物院图书馆馆长。




26号。海外文摘(雑誌社)。


(続く)

拍手[2回]

PR

西四北○条をひたすら歩く(一条から二条)

以前西四のあたりを調べたときに「程砚秋故居」が近くにあるので、中は入れないけど、そのあたりへ行こうと思っていた。故居は「西四北三条」。西四の北は头条から八条まである。全部歩いてやる!と思って、百度百科にある八本の胡同の記載をプリントアウトしたのが半年前だ。4月にやっと行った。

このあたりは元明代は家畜市場があったため、かつての胡同名に動物が付いているものが多かった。清代に市場はなくなった。

《西四北头条》

明清は驴肉胡同、1911年に(音が似ているので)礼路胡同、1965年に西四北头条に。何号か住所は不明だが、和珅西四北头条で育ったという。和珅といえば、私がばあさんと同居していた頃じいさんばあさんが一生懸命見ていたドラマ『纪晓岚』に出てくる、王剛演じる和大人和珅は「中国史上最大の富豪で、乾隆帝、嘉慶帝の二帝に仕えたが、軍機大臣として専横の限りを尽くした」(wikiより)。1777年に和坤の私邸として恭王府が建てられ、ここから引っ越した。和坤は後に罪を問われて邸宅を没収され、恭王府は王府となったという経緯がある。

なんか臭いなあと思ったら、ニオイの元は水色の車。北京の中心、平屋ではまだ汲み取り式便所なんだよね。バキュームカーは朝陽区では見ないが、前門のあたりでもまだ見るよ。



私はこの日東西にしか歩かなかったが、姚家胡同3号曾是晚清著名诗人陈三立和当代著名历史学家陈寅恪父子的家。

南側は「历代帝王庙」。行ったことないのでいつか行きたい。


バス通りに出る。白塔寺が見える。かなり長いこと行ってないので、ここも行きたい。


《西四北二条》

北二条,明朝时穷兵黩武的江彬驻扎在此搜刮民脂民膏,后被凌迟处死。江彬は明代の姦臣。刮民脂民は庶民から搾取して私腹を肥やすこと。

58号は、民国初期に教会が建てた萃文、萃真学校が前身の北京市第41中学。




52号院は团圆客栈というホテル。1泊300元。




开墙打洞をどんどん閉じている。




10号。四禾居酒店。ここにもホテル。一泊540元。


バス通り(西四北大街)に出る。私が師範大学に留学していた頃、この通りのどこかで冷麺を何回か食べた。それは二階建ての食堂で、小さかったので、このレストランではないようだが、「华天延吉」(大众点评)だったのか不明。



冷麺全然美味しくない。
 

もっと南に餃子屋があって、そっちのほうが良かったな。


北上。

左から「毛主席万岁」と書いてある。

写真だけ撮って、帰宅後「西四北大街 毛主席万岁」で調べる。北京纸话に、ここは護国寺双関帝廟で、「関帝廟」と書いてあったところに「毛主席万岁」と書いたとある。

(続く)

拍手[1回]

法海寺4(古樹)

法海寺有“五绝”,即明代壁画、古铜钟、白皮松、藻井曼陀罗和四柏一孔桥。

法海寺の「五絶」とは、明代の壁画、古銅鐘、白皮松、藻井曼陀羅、四柏一孔橋。この「白皮松」は北京に現存する一番古い松(之一)で、壁画のある大雄宝殿の前に二本ある。一本しか写っていないが、寺を建立したときに植えたので、2017- 1440=577(年)。これ600年近く昔の松だからね。


山門の目の前にも変わった木がある。


なぜこんなにねじれる?


山門前の階段を降りて(11:55)、右に折れてすぐに橋がある。五絶の一つ、「四柏一孔橋」は橋から四本の柏が出ている。




帰途へ。途中「第四纪冰川遗迹陈列馆」があるが、行かず。

バス停に向かうのに、来た道でない方へ進む、わてら冒険家。バス通りに出ると、レストランが多少ある。ここらでは大きい東北料理の店に入った。

涼菜がたくさん並んでいて、自分で好きに選んで12元。肉丝拉皮,葱爆羊肉,饺子。3人で99元。

バス停は「金顶北街」が一番近く、527に乗って、地下鉄苹果园に戻る(527路,专109路と二つあるが、どちらも駅に着く)。

このあと、前門へ行ったんだけど、一日の徒歩数は16600。思ったより歩いてないな。

<法海寺に関しては一応終わり。時間のあるとき、壁画情報をその記事に追加する>


A バス停「首钢小区」
B バス停「模式口西里」
C バス停「模式口东里」
D 法海寺
E 田义墓
F 中国第四纪冰川遗迹陈列馆
G 承恩寺
H 东北料理
I バス停「金顶北街」

拍手[2回]

法海寺3(壁画)

法海寺は翠微山の麓にある。伝説では明代の李童(宦官)が夢の中で翠微山の麓に仏門の聖地があると仙人に言われ、1443年にここに建立した。法海寺が非常に貴重であるのは、明代正統年間(つまり500年以上前)の寺が一部、そして壁画はほぼ完全に鮮明に残っているということだ。戸部の画士官15人が描いたもので、その全員の名前もきちんと残されている。

壁画のある大雄宝殿に入ると、仏像が三体あるが、文革で十八羅漢造像とともに壊されているため、現在の仏像は新しい。台座は明代のもの。

殿内は撮影禁止。すぐ後ろの薬師殿にある壁画の複製品は撮っていい。

壁画は計240平米。77人を描いている。


水月观音

絵を学ぶ人が模写をよくする代表作。


白いベールをまとっている。白いところ、見て欲しい。その柄が非常に細かく、一つの柄から48本の線が出ている。





菩薩のほかに、動物、植物も見事。猛獣なのに怖くないのは表情がかわいいからだと言っていた。






よーく見て欲しい。目が鳥の顔になっている。

「この男子はイケメンだ」、「壁画に穴があいているのは、洗濯物を干すときに開けた穴。以前は第九中学の宿舎だった」等等、ガイドがついて、説明してくれた時間は30分以上。

古いものが見られるというだけで、それほど期待はしていなかったが、心から思う。「行ってよかった」。马未都(収蔵家、骨董鑑賞家、CCTV《百家講談》講師)が必ず見るべき国宝だと述べている。この国宝は超お勧め穴場スポットだ。

時間のあるときに、解説してもらった内容を補足していきたい。

拍手[4回]

法海寺2(アクセス)

これから法海寺へ行く人のために、私の通った時間を書いておく。

1号線の「大望路」駅(8:35)から終点の「苹果园」駅へ(9:25)。A口を出たら、すぐに右手にバスが停まっている。法海寺方向に行くバスはたくさんある。乗ろうと思ったら、ドアが閉まった。左手を見ると、近すぎるが別のバス停のようで、停まっているバスに法海寺に行くか確認して、乗った(9:34)。

首钢小区で下車(9:42)。前進して右に進む。途中、工事で通れない道があり戻ったり、宦官博物館の中に入ってみたり(現在休館中)したので、通常ならバス停から徒歩30分以内で着くと思う。私達が法海寺に着いたのは10:10。この階段を上がったら山門(入口)。


チケットは20元。壁画を見たければ100元(入場の20元を含む)。壁画を見る時間は決まっている。9:40,10:40,11:40,12:50,13:50,14:50,15:50の1日7回。


山門の後ろは天王殿。


天王殿の後ろが大雄宝殿。壁画はこの中。


ガイドがいて、その人の説明を聞くことが義務付けられる。私達は10:40の回に入った。中は明かりがなく、一人ずつ懐中電灯を持たされる。

中国語が聞き取れれば非常に有意義だ。日本人観光客のために日本語訳を作りましょうかと提案したくなったほどだ。有償で(おいおい)。だってただ見るのと、説明聞くのとではあまりにも違いすぎる。中は撮影禁止。

30分以上ゆっくり話を聞きながら鑑賞して、出て、すぐうしろが薬師殿。

この中に壁画の複製があって、それは写真を撮っていい。どんなにすんばらしい壁画だったかは別途記事を設けたい。

法海寺の紹介が詳しいサイト。
法海寺 冬游笔记友
冬游法海寺笔记
五百多年前,他们给狮子画上了小鸟眼睛,很美,没什么人知道
探秘法海寺
法海寺壁画讲解

とりあえず今日は終わり。

地図はクリックして拡大可

A バス停「首钢小区」
B バス停「模式口西里」
C バス停「模式口东里」
D 法海寺
E 田义墓
F 中国第四纪冰川遗迹陈列馆
G 承恩寺
H 东北料理
I バス停「金顶北街」

拍手[2回]

法海寺1(法海寺以外)

法海寺に500年前の壁画がちゃんと残されていると知って、ずっと行きたいと思っていた。

大和撫子三人で待ち合わせて、地下鉄1号線最西端の苹果园で下車。降りると、「八大处へ行くのか」と白タクが声をかけてきて、やかましい。無視し続け、バス停を探す。降りるバス停は「模式口西里」か「首钢小区」か「模式口东里」。どこからも徒歩30分。この三つのどこかへ行くバスは非常に多く、地下鉄出たらすぐバス停があるので、見つけやすい。

近道を行く。何十年もこのままですっぽい商店街。


道路に出たら、北へ行きたいのに、閉鎖されている。オバちゃんがよじのぼって越えるかと思い、向こう側の人にモノを渡すだけだった。無駄足だったが、戻る。


またバス通りに出る。坂だ。北京市内に坂はないので、チト卖力。


「模式口大街」を東へ。「大街」だからもっと広い道路なのかと思ったが、市内でいうところの胡同だ。

途中に「田义墓」がある。田义は宦官で、この中に宦官博物館があるのを知っていた。




中へ入ると工事中。「開いてないよ。7月以降」と言われる。残念~。





宦官だからね。ネットで調べたら、展示がストレートで、ややビビる。写真見たい人は携程のサイトへ。 心臓の弱い人は見ないほうが……。

東へ進む。百度地図にも載っている「模式口早市」。路上で野菜売るなんて、市内ではめっきり減った。


私は、この座っている人が人形か本物か凝視してしまった。動いた。この一帯、商店街のようだが、写真にあるように青いブリキで閉鎖されている。


过街楼遗址。一般的な过街楼はアーチ型で、行き来できる形。中国人のブログへ→「北京的过街楼」。←一枚目の写真が正にここ。これはあっち側に行けないけど、いったいどういう構造?




<続>

拍手[2回]

安いマスキングテープ+鼓楼東大街あたりのカフェたくさん

北京に初めて来た人を連れて、北京の原宿、南锣鼓巷へ行った。久しぶりだ。

ああやっとこうしたか!と思ったのは、車を入れなくなったこと。平日でもこんなにヒトいて、週末は全部ヒト。それなのに勇気ある運転手が車で入ってきて、トンでもないことになっていた。

 

絵ハガキを売っている店が増えた。1枚2元(5枚で10元。バラ売り無しの店も)。なんとなく入ってみて気がついた。安いマスキングテープを売っている。以前は輸入物ばかりで、一個20-30元、それ以上していたので、まず買うことはなかった。でも今は8元~。私は「すっごく北京っぽい柄」を探しているんだけど、洋風なものしかなかった。


お昼を食べるのに、店を迷った。私自身が行こうとチェックしている店は小さく、衛生面がまったくわからず、旅行者をお連れするにふさわしいか考え、行かず。
・麵食肆(南锣鼓巷私房体验店) 菊儿胡同103号
・伊隆斋 帽儿胡同43号
・大跃啤酒豆角6号古朴小院
・菊儿人家 小菊儿胡同63号


ここに書いてある「卤肉饭 免费续饭」に大いに注目した。ダンナと息子ならここだ。窝儿餐吧 南锣鼓巷85号。


前の記事に書いたけど、結局歩いていて適当に「叁十玖號私房菜」に入った。

南锣鼓巷は抹茶の店が増えていた。オーソドックスなヤツ。20元。かなり苦かった。




客人と行った日と別にまたこのあたりに行った。カフェに入りたい。メインの南锣鼓巷の通りでなく、別のところがいいと思い、鼓楼東大街へ。この通り、久しぶりに歩いたけど、カフェが激増。









「鼓楼 咖啡」で検索したときに出てきた「Cafe Zarah」に入った。息子が夜家で食べないのを知っていて、ゆっくり帰ればいい。文庫本は持っていたし、紙とペンも持っていて、静かに執筆もしたかった。ところが、私が座ってすぐに隣に白人の子連れがやって、ガキがうるさい、うるさい。打ち合わせしてた中国人なんか、いや~な目で見ていた。



コーヒー25元。


和食屋もあった。

ここにカフェが16軒紹介されている。写真見るだけでも楽しい。週末に行くという記事だが、週末は席ないよ。→周末去鼓楼这16家咖啡馆浪费时间

以上。

拍手[1回]

帽儿胡同をゆっくり

帽儿胡同の一番西から東へ。この高い建物はこのあたりにそぐわないと。


45号院曾经是清朝的提督衙门、民国保安部,解放后,改为中央实验话剧院,又在院子里盖起了职工宿舍,上世纪80年代建的一座塔楼,与周围的四合院显得极不协调。当年的提督衙门早已荡然无存。

適当に39号に入って、お昼を食べる。叁十玖號私房菜




面23元、卤肉饭30元。メニューの卤肉饭の写真には油菜があったけど、運ばれてきたのにはなかった。麺にボール。このあたり、家賃が高いとはいえ、値段に見合ったものを出して欲しい。

35号、37号。婉容故居。ラストエンペラー溥儀の妻、婉容が結婚する前に住んでいた家。


現在は民家なので入らないように書いてあるのに、観光客っぽいじいさんがズカズカと入っていった。住民は本当に気の毒だ。



人力車も停まって、解説している。婉容故居(帽儿胡同)中の様子は中国語のニュースで。




となりの33号はホテル。一泊700元から。参観は10元。初めて北京に来たヒトと一緒に入った。



ホテルは満室なので、部屋は見せてもらえない。庭に写真が飾ってあって、老板みたいなヒトが説明してくれる。

何も知らないでただの「昔ながらの平屋」だと思って入ってくる人にそう話すのだろうが、「となりは溥儀の奥さんの家だった」。


「この真ん中のヒトを知っているか?」と。「このすぐ裏に住んでいた。つまり小さいときはこのあたりで育ったんだ」。


「上に上がると隣が見えるよ」と言われ、階段上がって、テラスへ。37号側。


ホテルの瓦。


31号。猫巢という猫カフェ。


28号、荣府老宅四合院酒店。

百度地図で見ると
可园の面積はとても広い。現在の7号から15号までが、かつては一つの建築群で、東を「可园」といい、文煜のプライベートガーデンだった。

文煜……1883年総管内務府大臣、1884年武英殿大学士を歴任。



原来是两个宅第连成的一组建筑群,东、西两个宅子各有一个花园。东园就是可园。可园是清光绪年间武英殿大学士文煜的私家花园,是个仿苏州拙政园、狮子林的大四合院。落成于咸丰十一年(1861年)。南北长约97米,东西宽约26米,面积约4亩左右。
うちのアトリエが3畝だから、負けてるな(出た!負けず嫌い)
50年代,曾经做过朝鲜驻中国使馆。

13号院的门洞已经改为住家,在旁边开了个门,从外面看不出院子里到底有多气派,民国时期,北洋政府的总统冯国璋被迫下野后,曾在这里闲赋,一年后就在这所院子里病故。院子至今还保留着民国时期的建筑。
馮国璋故居。馮国璋は袁世凱の部下で、後に北洋政府の総統に就任する。……1918年馮国璋政権は瓦解し、翌年に死去。

14号。表は閉まっていたが、BARみたいだった。


10号。铃木食堂。


6号。达贝子府。


樸道草堂書店。カフェのある本屋だと思ったら、本のみだった。


最近私は頻繁に本屋に行ってるでしょう?手にはとるし、開いて、ちょっと見て、本当に買いそうになる。でも、本当に何を買っていいかわからないし、「うちにある本から読む」と念じて、買わない。店にいたのはバイトのようだが、店長の詩集が売っていた。私はカードだけ買った。私の友達が駐在で中国に来るらしいので、会った時にあげようと思う。

老板の直筆。「京」の部分、赤入れたい!私もカード作ろうかな。


そのほか。

1号文昌庙(现仅存一块刘墉题写的御制碑),现为居民院。
2号,那里曾经是中共晋察冀中央局城工部秘密电台隐蔽地。解放战争时期,中共晋察冀中央局城工部在刘仁领导下,向北平城内派遣人员,设立秘密电台,其中一部就设在帽儿胡同2号。

21号 梓潼庙文昌宫遗址。
梓潼庙文昌宫位于帽儿胡同21号。文昌帝君是文昌星与梓潼帝君合而为一的文教之神。文昌宫是供奉文昌帝的地方,文昌帝即文曲星,是神话传说中掌管文运的神仙。辛亥革命后,文昌庙停止祭祀活动。庙址前半部现为帽儿胡同小学。《明御制护国文昌帝君庙旧碑》仍立院内,为东城区文物保护单位。

<kotobank>
 文昌帝君は中国では文章をつかさどる神とされ,俗に奎星と称される。学問の神である文昌帝君と兼祀されることも多く,とくに科挙の受験生に信奉された。神像は,〈魁〉の字が鬼と斗とからなっていることから,鬼が左足で北斗を後に蹴りあげている姿をとっている。

ここから南锣鼓巷へ。(続く)

拍手[1回]