忍者ブログ
  • 2024.02«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • » 2024.04
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/03/28 20:13 】 |
アラーキーの書道展+北大紅楼+芸術8(中)
アラーキーの書道展のお寺から来た道を戻り、バス通りに出て、ちょっと東に行くとすぐに元の北京大学がある(北大红楼)。今は「北京新文化运动纪念馆」として無料開放している。

荷物検査をして、パスポートを見せて入館。6人で行って、私の分しか見ないし、番号も記録しなかったが、持参した方がいいと思う。以下、写真は2015年6月の過去記事から。今は中は写真撮影禁止。



建物に入ると、蔡元培の像。


北京大学の前身は1898年創立の京师大学堂。蔡元培は1912年に北京大学校と改称してから、2代目、創立から数えると14代目の学長(在任期間は1916年12月から1927年7月)。

文科学長室。


この北大红楼は1918年から使っていて、毛沢東が北京大学(つまりここ)の図書館で働いていたのがこの時期。

中に入れないが、図書の登録室や書庫等を廊下から覗くことはできる。

学生大教室。





「新潮社」と書いてあったが、五四運動ののぼりをここで作っていたの図。


打倒曹汝霖って書いてあった。

メインの建物の外を出ると、入口の脇にもう一つ展示場があって、デモ行進した地図が貼られている。


デモのコースは天安門から曹汝霖の家(赵家楼)まで。

曹汝霖は早稲田と法政に留学経験があり、外交部次長のときに対華二十一カ条要求交渉に臨んで、親日派売国官僚とされた。こうして1919年5月4日にデモ隊が曹汝霖宅へ行き、放火するのだが、このとき曹汝霖は不在。駐日特命全権公使の章宗祥がたまたま帰国して曹汝霖宅にいて、デモ隊に殴られた。

赵家楼のあたりへ行きたい人は過去記事へ。

<続く>

拍手[1回]

PR
【2018/05/11 11:38 】 | n博物館、観光地、散策 | 有り難いご意見(0)
<<アラーキーの書道展+北大紅楼+芸術8(下) | ホーム | アラーキーの書道展+北大紅楼+芸術8(上)>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿















前ページ | ホーム | 次ページ

忍者ブログ [PR]