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アラーキーの書道展のお寺から来た道を戻り、バス通りに出て、ちょっと東に行くとすぐに元の北京大学がある(北大红楼)。今は「北京新文化运动纪念馆」として無料開放している。
荷物検査をして、パスポートを見せて入館。6人で行って、私の分しか見ないし、番号も記録しなかったが、持参した方がいいと思う。以下、写真は2015年6月の過去記事から。今は中は写真撮影禁止。 建物に入ると、蔡元培の像。 北京大学の前身は1898年創立の京师大学堂。蔡元培は1912年に北京大学校と改称してから、2代目、創立から数えると14代目の学長(在任期間は1916年12月から1927年7月)。 文科学長室。 この北大红楼は1918年から使っていて、毛沢東が北京大学(つまりここ)の図書館で働いていたのがこの時期。 中に入れないが、図書の登録室や書庫等を廊下から覗くことはできる。 学生大教室。 「新潮社」と書いてあったが、五四運動ののぼりをここで作っていたの図。 打倒曹汝霖って書いてあった。 メインの建物の外を出ると、入口の脇にもう一つ展示場があって、デモ行進した地図が貼られている。 デモのコースは天安門から曹汝霖の家(赵家楼)まで。 曹汝霖は早稲田と法政に留学経験があり、外交部次長のときに対華二十一カ条要求交渉に臨んで、親日派売国官僚とされた。こうして1919年5月4日にデモ隊が曹汝霖宅へ行き、放火するのだが、このとき曹汝霖は不在。駐日特命全権公使の章宗祥がたまたま帰国して曹汝霖宅にいて、デモ隊に殴られた。 赵家楼のあたりへ行きたい人は過去記事へ。 <続く> PR |
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