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【2024/04/19 22:32 】 |
親、先生に感謝し、号泣するもの有り(上)と(下)in北京

4月22に書いた中学での講演会の続き。これ核心部分は某所に送って出版されるという文章なんだけど、ブログにすでに書いた内容でいいと許可をもらっているので、出版前にアップしちまう。一字一句同じじゃないし。


 


<前編>を読んだ人は<後編>から読めばよろし。



 


 <前編>保護者会があった。行ってみると、校庭に椅子が置いてあるのが見える。え?外?のちに生徒が椅子を持って出てきて、親はその置いてあった椅子に座る。自分の子どもの隣りに。


 


教育専門家の講演会だった。「自分は成績が下から二番目だったけど、クラスで一番の子よりも努力した。それが誇りだ」。講演を聴いたのは中三の生徒と父兄。高校入試まであと50日。努力すればいい結果につながると言いたかったのか。


 


この講演では「感恩」(gǎnēn)が強調された。親が子どものためにどんなに心を尽くしてきたか、いろいろな事例を挙げる。子どもの要求はすべて満たして、親は常に犠牲となっている。「キミ達は親が好きな食べ物を知っているか」とか。大やけどした子どもの皮膚移植で、母親が自分の太腿の皮膚を与えた。麻酔もせずなんていう例も挙げた。聴いてて怖かったよ。


 


親への感謝の気持ちが高ぶったところで、「親が来ている生徒起立。その親もご起立ください」。むせび泣く親と子、数知れず。「子どもは親の頭を撫でて。そして抱き合ってください」。えええええぇぇぇえええええ?みんなやってる。そういうの大嫌いな外国人の私と娘。娘「ママ、いいよ、やらなくて」。


親に感謝の気持ちを言いたい人、前に出て来てください3人が選ばれて、1人ずつマイクを持つ。男子(泣きながら)「親がそんなに大変だったなん今日初めて知りました」(おまえ、ブッ飛ばずぞ。15にもなってそんなこと知らなかったのか)。次は女子。この子は小学校のとき娘と同じクラスだった子だ。「うちは母子家庭です。お母さん大変なのに、これまで口答えしてきて本当に悪かった。今まで言えなかったからここで言います。いつも本当に有難う」。これは泣けた。知ってる子だったから。


 


次、先生。先生の仕事がどんなに大変か。「先生にだって子どもはいる。親もいる。連休だといって子どもを公園に連れて行ける先生が何人いますか」。いやあ、いるでしょう。連休は出勤しないでしょう。「生徒起立。先生は前に出て来てください。生徒、90度でおじぎ30」。ここで30秒もするのかよと思うのは私と娘くらいのものだ。「さあ、生徒は担任のまわりに行ってください」。泣きながら握手する生徒たくさん。生徒、席に戻る。その次は「親が先生のところへ行ってください」。娘「ママ、行かなくていいよ」。私「いや、そういうわけにいかないでしょう」。一応行って握手して、笑顔で「谢谢」と言ってみちゃう私。


 


ほかにどんな話をしたかというと……。性教育は家庭でちゃんとやってください。精子3億の中から一番に卵子と結合して生まれたのがアナタ達です。その精子は「全力以赴」(quán lì yǐ fù日本語だと「一生懸命」)だった。生まれてきて「全力以赴」で努力しなかったら、二番目の精子に申し訳ない


 


長期休暇のとき、たとえば四川省の山の中へ子ども達を連れて行く。毎日毎日じゃがいもを食べる。だってじゃがいもしかないから。子ども達は「ケンタッキーはないんですか」などと聞く。そんな子が北京に帰ってきてからは食べ物を無駄にしなくなった。そして体重も減る。親は喜ぶ。


 


中国の子は甘やかされているし、自分を守る意識がない。日本の大地震のとき、なぜ子どもの死者が少なかった知っていますか?避難訓練を小さい頃からやっているからです。たとえば山の中に置いていかれたり、海に投げられたり。


 


おいおいおいおいおいおいおい!初耳だ。私の特技「誇張」をはるかに卓越している。というよりはウソ?


 


この人の日本ネタはまだある。


 


<後編>


 


中国人の講演なんてあんまり聞いたことないけど、この人の話は面白かったと言える。原稿を読み上げているのではなかったし、デカい声だからというわけでなく、集中して聴いてもらえるようにいろいろ工夫してあったと思う。話し始めてすぐ、すぐ後ろのおかあさんがゲラゲラ笑っていた。私は笑いの基準が高いから、「ふーん」だったけど。


 


親に感謝、先生に感謝。わかっておるわい。うちの娘は私に非常に似ていて、めっちゃ冷静でツッコみ系。この人の講演を終始冷めた目で聴いていた。私も「ブログのネタ提供有難う」くらいの気持ちだった。それはこれまでの保護者会と同じように。そう。彼がそれに触れるまでは。


 


彼は強く言った。「親に感謝するべきです。親には二つあって、一つは祖国。もう一つは産みの親。祖国という親が虐げられたとき、子どもは黙っていられません。去年の9月私は日本大使館の前で3分間演説をしました」。ほかにもいろいろ言っていたけど、日本に強く抗議したい。そういう趣意をアツく語った。


 


私、そして私の隣には娘。クラスの子だけでなく、ほかのクラスの子でも私らが日本人なのは知っている。だからと言って、「ここに日本人がいる」と指差すわけでもなく、娘に何か言うわけでもなく。それこそ中学生ともなると、冷静だ。


 


私も冷静だった、、、わけがない。私の右に座っている娘を見たかった。見守りたかったというか。でも顔をそちらに向けられなかった。私が学校に行くというのは保護者会くらいのものだが、たいていテストの後で、先生からの話といえば、成績の話。「日本」を、しかも「反日」の話を学校で、この耳で直接聞くのは私にとって初めてのことだった。


 


空気が凍てついた。私を包む空気だけが凍てついていた。娘にとっては初めてのことではない。盧溝橋に遠足に行っているし、教科書にだって「抗日英雄」が載っている。娘がもうすでにとっくに体験しているこの気まずさを、私は娘が中三であるこのとき初めて重く、非常に重たくこの身を以て知った。


 


このとき私が娘に顔を向けられなかったのは、申し訳なさから来ていた。私が国際結婚をしたから、相手が中国人だから。そして私が日本人で、生活の拠点が中国だから。娘がハーフだから。私は一人、中学の広い校庭で茫然としてしまった。


 


ふいに娘が小学5年生のときのことを思い出す。国語の教科書に「狼牙山五壮士」が紹介されていた。これも抗日英雄の話だ。「こういうふうに日本が教科書に出てきて、友達に何か言われないの」と聞いたとき、「いいの。無視するから」と娘は答えた。切なかった。それ以上何も言えなかった。このときからだ。私が娘にあれこれ問い質さなくなったのは。


 


誰かが悪いんじゃない。いや、私が悪いのか?いずれにしても娘にとっては試練だ。私は自分が冷静だと思ってきたが、娘のほうがもっともっと冷静なのかもしれない。


 


(完)

拍手[31回]

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【2013/08/18 07:27 】 | n中学校 | 有り難いご意見(2)
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有り難いご意見
滝のように流れる涙涙
僕は今、滝のように流れる涙を止めることができない〜
あああ、僕は本当に情けない、不甲斐ない、やるせない。申し訳ない申し訳ない申し訳ない。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!
二番目の精子に顔向け出来ない…
将近50年的生活我全力以赴地努力了吗?
あああ…僕は僕は、二番目以降の精子に謝りたいのに親父はもういない。仕方がないから、自分の精子に謝ろうと毎日毎日…あああ

前回も似たようなコメント書いたなぁ
【2013/08/18 14:07】| | 功夫man #7f4cb37d53 [ 編集 ]


どちらかではなく両方とも
私が『外国人』であった頃、実習のため私達学生は農村へ赴いた。そこは戦時中、日本軍が上陸した村で、村人達が一致団結して日本軍を追い払ったという話も残っている村だ。当時の私はそんなことなど知る由もない。
宿泊先の農家へまずご挨拶に行った時、引率の教師は包み隠さず私が日本人であると紹介した。
母屋にいた老人達の間から「わしゃ、日本人を見たことがある」「わしも」「わしも」「わしも」と声が上がった。いずれも戦争中の事だという。
私の顔がこわばったのを見て、中国人の同学たちが私の肩に手をまわした。教師は言った「みんなウチのクラスの生徒です。ここではお客ではありませんから、手伝いがあればどんどんさせてください。ご迷惑をおかけしますが、どうかよろしく」と。


(私は日本に戻って、中国人の生徒を受け持つようになってから、よくこの時の話をする。
「なーんにも知らないで行ったら、そこの村はね・・・」と話し始めると、中国人の生徒達は目を見開いて思わず「完了!」と叫ぶ。いつの間にか感情移入しているのだ。)

その村ではずいぶんお世話になった。炎天下、外を歩いていると「家で休んでいけ」とか「メシ食っていけ」と声をかけてもらった。
残念だったのは、その村では水が充分に使えず、シャワーができなかったためか全身にジンマシンがでて私一人だけ先に学校に帰ることになってしまった事だ。
出発の朝、母屋から人が来て私に朝ご飯を食べにおいで、と言われた。いつもはみんな朝市で炸糕を買い、ハスの葉をお皿代わりに食べていたのだけど、私だけ村を離れることになり、最後の食事だから、と。
皆にすまない気持ちと、少しおびえた気持ちもあって教師に言うと、「心配ないから、行ってごちそうになりなさい」との返事。

おそるおそる母屋の戸を開けると食卓の上にはすでに沢山のおかずが並んでいた。「小魚も煮たのよ」とおばあさんが言った。
おじいさんの一人が、湯気の立つものを持ってきて私にそれを見せ「遠慮せずに食べなさい」と言った。
それは、アルミのお弁当箱で炊いた白米だった。
「わしゃー知っとる。日本人は白米を食べる。魚もよく食べる。そうじゃろう?」
私も知っている。この村ではお米のとれる量が少なく、家ではめったにご飯をたべることはない。主食は小麦粉で、いつも烙饼を食べている。
私が「おいしい」と言うたびに、皆が笑ってうれしそうだった。
切なくも忘れられない朝ご飯となった。

もちろん自分が外国人であることで嫌な目にも沢山遭った。
日本に戻ってからは、生徒が中国人だという理由でいわれのない誹謗中傷も受けた。
事実を生徒に告げるべきか悩んだこともあったけれど、最終的には本当の事を話すべきだと判断した。
時にはあまりにひどい言われ方をしたので、相手(日本人)を殴りそうになったこともあった。
情けないことに、生徒の前で嗚咽したこともあった。

とても冷静ではいられない。特に自分の事はともかく、生徒が侮辱された時には。

それで、こんな風にいつも話しています。
「私にはふたつの故郷があります。どちらともいい所と悪いところがあります。いい人も悪い人もいます。誰でも外国に行ったら『外国人』です。私もかつては『外国人』でした。これからも時々は『外国人』になることがあるでしょう。でも、外国にいても自分が外国人だと思わないこともあります。それはどうしてでしょう。私には故郷がふたつあるからです。」

今年も生徒達にこの話をしました。何人かが涙を拭きながら頷いていました。
【2013/08/19 01:50】| | ユキヤマ #28a3f0cf51 [ 編集 ]


貴重なご意見の投稿















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