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炎黄芸術館からお知らせが来たので、コピーする。千葉県市原市の美術館で中国関係のイベントがある。市原湖畔美術館のHP 【展讯】炎黄艺术馆首次将馆藏中国民间艺术品带到日本展出,本批藏品由中央美院冯真教授捐赠,活跃于世界舞台的“犬吠工作室(Atelier Bow-Wow)”承担的展厅设计,将为中国民间艺术的魅力锦上添花。展览期间的体验活动,也将让大家度过愉快的周末时光。。炎黄芸術館の民間芸術コレクション300余点を展示する。そのほか、イベントも盛りだくさん。 5/21(土) オープニングイベント『中華之夜 チャイナ☆ナイト』 5/22(日) 皮影(影絵)パフォーマンス+ワークショップ 5/28(土)29(日) 風箏(中国の凧)に絵を描こう 6/4(土)5(日) 泥人形・兎児爺に絵つけしよう 6/11(土)12(日) 中国茶を飲みながら香包(におい袋)を作ろう 6/18(土)19(日) 中国茶を飲みながら針包(針刺し)作ろう 6/25(土)26(日) 剪紙(切り絵)パフォーマンス+ワークショップ 7/2(土)3(日) ニーハオ!山水(2日間にわたる水墨画教室) 「市原には小湊鐵道のトロッコ列車も運行していて、里山の自然が堪能できる」とのこと。たくさんヒト行くといいね。どんどん宣伝してほしい。 PR |
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地下鉄「建国门」A口から出て、すぐ北へ。
中国社会科学院の東側を北上するのだが、社会科学院の本屋がある。 私が行ったのは4月で、とっくに微博で記事にしているのだが、社会科学院にお勤めの中国人が「ここのカフェは営業許可を申請中」と教えてくれた。ここのコーヒーが飲める日は近いのか?そして「本屋を突っ切って、敷地の庭に出られる」とも。そう。桃の花だったかな。ポカポカ陽気の日で、ピンクの鮮やかな花が本屋の中から見えたけど、なんとなく行かなかった。 北上。 貢院とは科挙の試験を実施するところ。外側は残っているけど、中はぶっ壊されていた。 北上すると突き当たり、西に進むと、北京在住の日本人が大好きな四川料理の店がある。ここは四川省政府の北京事務所(驻京办)で、レストランはコックもウェイトレスも四川人(のはず)。本場の四川料理を食べられるというわけだが、私は10年くらい前に比べると、辛さがまろやかになったと思う。そして、ここはここで美味しいけど、成都の驻京办のほうが美味しいと聞いて、別の日に行ったら、とても美味しかった。 西へ。东总部胡同。北总部胡同との辻。 东总布胡同内53号 此宅建于20世纪30年代。陈当时任北平铁路局局长,用贪污铁路上的材料盖起了一座大宅院。北平沦陷后,陈觉生被日本人毒死,该宅被伪警察署一日本顾问官所得。抗战胜利后,此处为国民党警察部门。1953年,此宅成为中国作家协会所在地;文化大革命期间,中国作家协会迁出。1986年,东总布胡同53号作为旧宅院被公布为东城区文物保护单位。东总布胡同53号曾先后住过严文井、秦兆阳、艾芜、赵树理、舒群、陈白尘、萧乾等,刘岳先生在《名人与胡同》一书中写道:“这里恐怕囊括了中国现代著名的小说家、剧作家、儿童文学家、诗人、散文家。 どんどん西に進んで……。 东总布胡同32号—马寅初故居。 先に言いたいことがある。胡同はもともと狭いのに、車がたくさん停めてあって、写真撮るのが困難。車がなければ、いい感じに撮れるのに! 在胡同中段南侧,整座建筑为西洋风格。围墙相对较高。このあたりは西洋建築で、壁も高い。 据房屋档案记载,该院占地面积为1092.7平方米;共有房屋43间,其中楼房30间,建筑面积共计444.1平方米。此房购于1950年5月,经修葺马寅初全家入住。1951年6月,马寅初出任北京大学校长。1952年大学院系调整后,燕京大学并入北京大学,北京大学自东城区沙滩迁至海淀区燕园,为避免远道奔波,马寅初被安排在燕南园63号居住。1950年に馬寅初が一家で住み始めた。1951年に馬寅初は北京大学学長になり、1952年に北京大学が西へ引っ越したのに伴い、馬寅初も西へ越す。 この後、宝珠子胡同を北上。 宝珠子胡同に火烧赵家楼纪念碑がある。赵家楼がどんなところかは4月14日に書いている。このあたりに実際行ってみたい人は、4月の記事に書いてあるところと併せて行くと良い。 気づかず通り過ぎてしまいそうなところに碑がひっそりと立っている。 五四運動についてはここに詳しく書いてあるので、読むといい→中国屈辱の100年 その4「五・四運動」。学生のデモ隊が天安門から出発し、ここに来て放火した、その記念碑。 宝盖胡同を北上。盛芳胡同を東へ。 レストランの裏みたいだけど、いきなりタイ。 一番東の家、彫り物が立派だった。 そして、北总布胡同に出ると、立派なお屋敷が見える(写真、記事は4/14の記事へ)。 このあたりでは「建国门社区博物馆」も行ったので(記事は後日)、そこもついでに行くが良い。 (地図はクリックして拡大可) A 地铁建国门A口 B 社科书店 C 贡院蜀楼(川办) D 东总布胡同53号 E 东总布胡同32号 F 火烧赵家楼纪念碑 G ゾウ H 建国门社区博物馆 |
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北京で買うお土産、いつの時代も頭を悩ませる。最近、私が買ったものを公表~。それが好評~(ラップ歌ってみた)。
南锣鼓巷で、クリアファイル、付箋紙(以上,石怡集。南锣鼓巷19-1号)、クリーム。 国家博物馆で、付箋紙、マスキングテープ。 3月に数年ぶりに女人街へ行った。 マダムがタイル画をお土産によく買っているというので、一緒に行った。 置物から家具まで。商品見たい人はHPへ→PURELAND 食べ物ではペニンシュラ(王府半岛酒店)のXO醤。レストラン入口。 店内。 1瓶80元。プチプチに包んで、日本人の奥さんは日本にいる友人へのお土産にしているらしい。 ついでに北京空港で息子が懇願したパーカー。 息子はどうしても欲しいモノがあると「働くようになったら、絶対お金を返すから買って」と言う。私は「返さなくていいよ」と言い、買った。 「これお土産にいいですよ」という品があったら、教えて欲しい。 |
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最近公布了中国人前十位死亡率:1恶性肿瘤 2脑血管 3意外 4心脏病 5糖尿病 6肝病 7肺炎 8高血压 9肺病 10肾病。女性前十位是一样的,但在顺序上有不同。 これは2014年の記事。中国語の「意外」は意外にも亡くなってしまったという意味だから、不慮の事故という意味。意外で片付けられてしまってないだろうなあ(さぶ)。あと、日本なら「女性も10位まで死因は同じだが、順序が違う」とは決して書かず、ちゃんと順位を併記するけどね。 一方、日本の死因順位は1ガン 2心疾患 3脳血管疾患 4肺炎 5老衰 6不慮の事故 7自殺 8腎不全 9 肝疾患 10 慢性閉塞性肺疾患 |
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私のブログ、「いつか書く」が100くらいたまっているけど、最新のから処理していく。 張済新は辛亥革命の後、瀋陽の大帥府(張作霖と張学良の官邸、私邸)の総務処処長、張学良の先生を務めた。京兆尹(今でいう首都の市長)を勤め(京兆尹という名称は張済新が最後)、退任後も北京にいて、毎日字を書くことを楽しみとしていた。抗日戦争では病を理由に満州国の誘いを頑なに拒否し、解放戦争では国民政府からの東北行き要請を断った。傅作義を説得し、北平の平和的解放のために奔走した。故に「平和老人」と呼ばれた。
この数カ月で二人、このブログを参考に街歩きをしていると言われた。実際会ったヒトで二人ってことは、実質200人?じゃあ真面目に書こうかと思う。
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万松老人塔を出て、西安门大街を東へ。西黄城根南街を南へ。この写真でいうと右が礼王府なんだけど、どこが入口かわからず、この日は時間もないので、颁赏胡同を西へ。
ここ細い。 西四南大街に戻り、ちょっと南下すると、义达里がある。 义达利に関して、「走访义达里」をいつか一部訳そうと思ってんだけど、中国語わかる人は先に読んどいて。この字は张济新が1936年に書いたもの。张济新は日本語のwikiにも載っていて、政治家・書家と書いてあるが、私はそんな書家知らなかった。 中にちょっと入ってみたけど、特に何もない死胡同(行き止まり)。 バス通りの向かいに缸瓦市教堂。入れない。 さあ、お昼の時間だ。どこへ進もう? 買い物ついでにブラブラするため、この日最後は南锣鼓巷へ行こうと思っていた。バスで西に向かうべく、地下鉄西四駅へ。その交差点。↓この新华书店、健在でうれしい。留学時代、ここで本を買ったよ。 西四路口东で612に乗って、地安门东で降りる。 中国人が「宫保鸡丁が北京一美味しい」という峨眉酒家へ行ってみたかった。が、ものすごいヒト。かなり待たないと入れない。それで諦めて北上。 姐さんが「新川面馆は新街口にもあって、ダンナが好きだ」と言う。 道路向かいの新华书店をチラ見。 望德楼に羊肉串があり、羊好きの姐さんにはいいかと思いきや、 簡単に麺でいいとおっしゃるので、捡面へ。 私が頼んだ凉面は美味しかった。3人で78元。 その後、鼓楼钟楼あたりをウロウロも、人力車乗れのオッサンがうるさくて、退散。 姐さんが昔は鼓楼と钟楼は入場券を一緒に買って、両方行くようになっていたと懐かしいことを思い出す。あと、ここから飛び降りたヒトもいたねと。あ、いた。 ネットで調べた时间博物馆へ。 今は開放していないと保安に言われた。いつオープンなんだろう? この後、南锣鼓巷へ行った。 <散歩部分は終わり> 地図はクリックして拡大可 A 西四站D口 B 古刹护国关帝庙 C 万松老人塔 D 礼王府 E 义达里 F 缸瓦市教堂 G 西四路口东 |
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姐さんが北京にやってきた。待ち合わせ場所の地下鉄「西四」駅D口へ。 そこからちょっと南に下ると、羊肉胡同があり、位置的には地質博物館の裏になるのだが、西へ進む。博物館内も宝石が展示してあるが、このあたりにもその類が売っている。「地质礼堂」は映画館。 羊肉胡同は北京に5つはあるが、ここが一番有名らしい。 它东西走向,连接太平桥大街与西四南大街。这是一条自元大都时就有的胡同,是大都城三大闹市之一(另两处分别是钟鼓楼和东四南灯市口大街)。那时西四一带有米市、面市、马市、羊市、骆驼市等,“羊市角头”即羊市。“角头”是指“人烟凑集之处”的市场所在地。到了明朝,它属咸宜坊,名羊肉胡同。 ここは元の時代からある胡同で、三大繁華街の一つであった。その頃、西四には米市、面市、马市、羊市、骆驼市等があり、羊市角头が羊市。角头とは人が集まる場所、市場の所在地を指した。明代に咸宜坊に属し、羊肉胡同となった。 古刹护国关帝庙。詳しくは中国人のブログへ→北京西四护国双关帝庙。 私はずいぶん前、多田さんのコラムを見て、いつか行こうと思っていた。→文化財を守り、公開し、継承する──万松老人塔と「磚読空間」←どんな場所かが書いてある。 私が語学留学していた大学がこの通りのずっ―――――と北にあり、当時街に出るといえば、西単あたりだったが、位置的にその途中になるのでよく通っていたはずだ。でも、塔があるなんて知らなかった。姐さんは「ここ下着が売ってたよ。店だった。20年くらい前」。まったくわからない私。塔は長らく見学できるようにはなっておらず、こうやってタダで入れるようになったので、みなも行くがよい。 帰宅して、いろいろ調べて、中国人のブログに書いてあったのだが、この門のところに「元萬松老人塔」と書かれていて、「砖塔镶嵌的匾额为国民政府交通总长叶恭绰所题」。国民政府交通総長の叶恭绰が書いたものだった。知ってたら、ちゃんと見たのに。 敷地入って左が本屋。 日本の本も売っていた。「北京」を紹介した本があって、娘が買おうと思ったが、店の人は値段がわからないという。買わなかった。 多田さんのコラムやニュースに本屋の反対側には展示室があると書いてあるが、開放されていなかった。 北京で行きたい場所があって、調べるとき、日本人で詳しく書いている人はほぼいないので、中国人のブログで探すといい。私が見たこの記事は、まさにここで書いた二箇所のことが書いてある。→砖塔胡同走访记 |
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