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地下鉄「建国门」A口から出て、すぐ北へ。
中国社会科学院の東側を北上するのだが、社会科学院の本屋がある。 私が行ったのは4月で、とっくに微博で記事にしているのだが、社会科学院にお勤めの中国人が「ここのカフェは営業許可を申請中」と教えてくれた。ここのコーヒーが飲める日は近いのか?そして「本屋を突っ切って、敷地の庭に出られる」とも。そう。桃の花だったかな。ポカポカ陽気の日で、ピンクの鮮やかな花が本屋の中から見えたけど、なんとなく行かなかった。 北上。 貢院とは科挙の試験を実施するところ。外側は残っているけど、中はぶっ壊されていた。 北上すると突き当たり、西に進むと、北京在住の日本人が大好きな四川料理の店がある。ここは四川省政府の北京事務所(驻京办)で、レストランはコックもウェイトレスも四川人(のはず)。本場の四川料理を食べられるというわけだが、私は10年くらい前に比べると、辛さがまろやかになったと思う。そして、ここはここで美味しいけど、成都の驻京办のほうが美味しいと聞いて、別の日に行ったら、とても美味しかった。 西へ。东总部胡同。北总部胡同との辻。 东总布胡同内53号 此宅建于20世纪30年代。陈当时任北平铁路局局长,用贪污铁路上的材料盖起了一座大宅院。北平沦陷后,陈觉生被日本人毒死,该宅被伪警察署一日本顾问官所得。抗战胜利后,此处为国民党警察部门。1953年,此宅成为中国作家协会所在地;文化大革命期间,中国作家协会迁出。1986年,东总布胡同53号作为旧宅院被公布为东城区文物保护单位。东总布胡同53号曾先后住过严文井、秦兆阳、艾芜、赵树理、舒群、陈白尘、萧乾等,刘岳先生在《名人与胡同》一书中写道:“这里恐怕囊括了中国现代著名的小说家、剧作家、儿童文学家、诗人、散文家。 どんどん西に進んで……。 东总布胡同32号—马寅初故居。 先に言いたいことがある。胡同はもともと狭いのに、車がたくさん停めてあって、写真撮るのが困難。車がなければ、いい感じに撮れるのに! 在胡同中段南侧,整座建筑为西洋风格。围墙相对较高。このあたりは西洋建築で、壁も高い。 据房屋档案记载,该院占地面积为1092.7平方米;共有房屋43间,其中楼房30间,建筑面积共计444.1平方米。此房购于1950年5月,经修葺马寅初全家入住。1951年6月,马寅初出任北京大学校长。1952年大学院系调整后,燕京大学并入北京大学,北京大学自东城区沙滩迁至海淀区燕园,为避免远道奔波,马寅初被安排在燕南园63号居住。1950年に馬寅初が一家で住み始めた。1951年に馬寅初は北京大学学長になり、1952年に北京大学が西へ引っ越したのに伴い、馬寅初も西へ越す。 この後、宝珠子胡同を北上。 宝珠子胡同に火烧赵家楼纪念碑がある。赵家楼がどんなところかは4月14日に書いている。このあたりに実際行ってみたい人は、4月の記事に書いてあるところと併せて行くと良い。 気づかず通り過ぎてしまいそうなところに碑がひっそりと立っている。 五四運動についてはここに詳しく書いてあるので、読むといい→中国屈辱の100年 その4「五・四運動」。学生のデモ隊が天安門から出発し、ここに来て放火した、その記念碑。 宝盖胡同を北上。盛芳胡同を東へ。 レストランの裏みたいだけど、いきなりタイ。 一番東の家、彫り物が立派だった。 そして、北总布胡同に出ると、立派なお屋敷が見える(写真、記事は4/14の記事へ)。 このあたりでは「建国门社区博物馆」も行ったので(記事は後日)、そこもついでに行くが良い。 (地図はクリックして拡大可) A 地铁建国门A口 B 社科书店 C 贡院蜀楼(川办) D 东总布胡同53号 E 东总布胡同32号 F 火烧赵家楼纪念碑 G ゾウ H 建国门社区博物馆 PR |
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