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地下鉄积水潭駅C口で降りて、交差点の方に進むとすぐに汇通祠がある。この中を上がっていく。
汇通祠は明代に作られ、法華寺とも、鎮水観音庵とも呼ばれた。清乾隆二十六年(1761年)に再建して、汇通祠とした(1984年に地下鉄を作るときに、すべて壊して再建)。乾隆帝が書いた汇通祠诗が石碑になっている。 入口に「記念館参観には3日前までの予約が必要」と書いてあったけど、「外国人ですぅ」ってゴネようと思い、前進。 水の景色が美しい。立ってる像は郭守敬だが、修理してるからそこまで行けない。この像の背中側に丘があり、そこに郭守敬纪念馆がある。 上がっていく。 これ↑どう見ても閉まってるでしょ。両脇の狭い入口は開いていて、おじさん数人が椅子に座っている。「可以参观吗?」と聞くと、無言でパンフレットだけくれる。その目が入れと訴えた。え?身分証も見ず、入れる?タダで?この入口にも「3日前までの予約」って書いてあるのに? 建物が四つあって、すべて展示場になっている。 郭守敬という名前は知っていて、「学のある人」だとは認識していたが、具体的に何をなさった人なのか、知らなかった。予習はしたよ。 wiki(日本語)にちゃんと載ってるから、それを読んでから行くとよい→郭守敬。 あと、これも参考に→ 中国网 北京に甦る「水のある風景」 (今は乾燥している北京だが)かつて「富水の都市」と呼ばれたこともある。十世紀以後、北方に興った遼や金といった国々は、北京の都市建設を進め、用水路や湖沼を掘って、住民に生活用水を提供した。頤和園にある昆明湖の前身である甕山泊まで往復する遊覧船もあったという。 13世紀にチンギスハンの孫のフビライが中国を統一し、都を北京に定めて「大都」と呼んだが、水上輸送を発達させるために84キロに及ぶ通恵河を開鑿した。通恵河は北京の西北部の昌平区白浮村を起点として、白浮泉の湧き水を引き、西山を通って玉泉山の水と合流させ、長河に沿って北京の市内に引き込み、積水潭まで流す。そしてその後、東の通州を経て、7世紀に開鑿された北京と杭州を結ぶ京杭大運河と連結させたのである。 当時、積水潭は港湾として栄え、出船入船は引きも切らず、商人たちが雲の如く集まって空前の活況を呈していた。南方からは食糧や木材が首都に運ばれ、北方で生産された物資も大量に南方に運ばれて行った。これによって北京の経済と社会は大いに発展した。 15世紀、明の時代になると、白浮泉は涸れてしまい、通恵河も衰退し、北京市内に外から入ってくるのは玉泉山の水だけになってしまい、水の欠乏が逆に北京の水系整備に新たな局面を生むことになる。 それまで立ち入りが禁止されていた皇居の紫禁城の外側に、筒子河を開鑿し、北京を囲む外城の城壁の内外に護城河を拓いた。それによって中海、南海、北海、西海、後海、什刹海の通称「六海」の湖がつながり、首都の荘厳さと河や湖の美しさがひとつに溶け合ったのである。 清の時代も、明代に造られた水系の基本構造は維持された。しかし、清朝末期以後の約百年間は、政府が腐敗し、国運が衰微し、内憂外患に悩まされ、そのため北京の水系は日ごとに衰えて行った。 ↑これを読んで展示を見ると理解が深まる。上記の「84キロに及ぶ通恵河を開鑿した」が郭守敬のやったこと。 さらには、この人ったら、「1970年,国际天文学会以郭守敬的名字为月球上的一座环形山命名为“郭守敬环形山”。1977年,国际小行星中心将小行星2012命名为“郭守敬小行星”」。惑星の名前に郭守敬が付いている。中国だけでなく、世界的にも有名(その世界では)。 私が記念館に行ったとき、参観者の中国人数人が出てくるところで、オバちゃんがしきりに「伟大,伟大,长得也好看」と言っていた。容貌はどーでもいいでしょ!水利と天文学に通じるって、確かに「伟大」だ。 西海西沿。 西海西沿を一番南東まで行くと、德胜桥がある。角に真武庙。跡だけで廟はなし。 ここで携帯の電池が20%だったので充電したく、百度地图で「德胜门内大街 咖啡」を検索し探す。一番近い壹咖啡へ。来た道と平行の道をちょっと戻る。 ユースホステルの中だった。 绿のドアに「男女混双」等と書いてあるので、卓球でもできるのかと思ったら、トイレだった。「男女混双」は男女ともに使えて、「女子单打」は女子だけという憎らしさ。 コーヒー28元から。コーヒーでなく、ケーキにした(1/4食べてお持ち帰り)。レモン水タダ。 德胜桥の東。 次の目的地、宋庆龄故居に向かって、西北方向に進む。 この奥に九门小吃という食堂街(?)がある。大众点评では中国人が「旅行者を騙す場所。高くてまずい」と書いているし、日本人は「北京B級グルメのテーマパーク」と。いつか行ってみる。 《続く》 PR |
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外食から。
3.川成元。北京を離れる人と、麻辣香锅。チェーン店でいろんなところにあるけど、私が行ったのは建外SOHO。 |
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チューリップの都、アムステルダムへ行ってきたよ~。
風車あって、チューリップあったら、誰がなんと言おうとオランダでしょ。 場所は天安門のすぐ西(それでもオランダ)。3月末から5月まで「郁金香花展」で、入場料が10元もする。普段は3元なのに。あ、元じゃなくて、ギルダー。いやユーロか(←しつこい!)。 中山公园。 中山公園……中央にある社稷壇は土神(土地の神)と穀神(五穀の神)を祀ったところで、1421年に建造された。明・清の歴代皇帝が休憩や雨の神を祭る際に利用。1914年に公園として改造され、中央公園と名付けられたが、1928年に孫中山(孫文)の遺体が一時ここに安置されたのにちなんで、中山公園と呼ばれるようになった。北京の解放初期にはここで全国人民代表大会が開かれ、毛沢東や劉少奇、周恩来などの指導者が全人代代表に任命された。1900年に八カ国連合軍が北京を占領した際には、米提督の事務室が置かれていたこともある。(出典:旅情中国) この中に音楽堂があるの、知ってる?たびたびコンサートをやっている。 蘭亭八柱亭といって、蘭亭序が刻されているのだけど、よく見えない! チューリップはいたるところに植えられていて、これから咲く!って方が多いから、2週間くらい後に行くといいかな。 公園へは天安門側から入ったが、西門から出る。北へ向かう。 偶然なんだけど、微博で中国人が貼っている地図を前日見ていて、まさに中山公園の西。出典:胡游京城(微博に登録していないと開けない)。 「北京一六一中学的前身是著名的“北京女一中”,创建于1913 年,建校初期即得到革命先驱李大钊同志的关怀,现在的北校区就是1926年李大钊同志亲自为学校选定的校址。70年代更名后,陈云同志为学校题写了校名」(百度百科より) 「静默寺明时为关帝庙,有载其为为明崇祯元年(1628年)募建,清康熙五十二年(1713年)在原址重建为寺」(百度百科より) 「昭显庙建于清雍正十年(1732),以祀雷神。庙坐北朝南,外垣门东向。中轴线上有影壁,长22米,高约3.5米,绿琉璃瓦硬山调大脊。」(百度百科より) 「福佑寺建于清顺治年间,为清圣祖玄烨的避痘处。雍正元年(1723)拟分给宝亲王(乾隆帝)弘历作为私第。弘历未迁入,登基后改为喇嘛庙,名福佑寺。后代曾数次重修。民国16年(1927)改为班禅驻北平办事处。1980年后作过班禅驻京办事处。」(百度百科より) 「万寿兴隆寺原为明代兵仗局佛堂,清康熙年间经两次重修,清康熙三十九年(1701)敕改万寿兴隆寺。寺坐西朝东,规模较大,西至中南海,北至庆丰司,南邻后宅胡同。」(百度百科より) 以上、すべて中は入れない。位置は東が故宮で、西が中南海。もともとこんなにお寺があったとは。 このちょっと北に食堂があって、ジャージャー麺を食べた。15元。味噌が別じゃなくて、上にのっかって、出された。私はしょっぱいとイヤだから、混ぜないで食べていたら、お店のオバちゃんが「姑娘,没拌匀」(お嬢ちゃん、ちゃんと混ぜてないよ)と忠告された。なんとなく誤魔化したのだが、それより何より「姑娘」に喜ぶ、年いってるアタシ。オバちゃんは50代かな。まさか年が近いとは思いもしなかっただろう。 気をよくして、店を出て、すぐそばにある5番のバスに乗って、長安街の近くで降りるつもりが、バスは私を前門まで運びやがった。まさか中山公园西门からひと駅がこんなに遠いとは! 私が留学してた90年代からあるケンタッキーフライドチキン。ご丁寧に「第一家」と書いてある。 この後、バスで東へ。博物館へ行ったんだけど、別の記事に絡めるわ。 |
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3月23日 ・小偷被抓直喊“我有孙子了,给我打马赛克” 泥棒が捕まったときに、テレビ局の記者がその様子を録画しようとしたら(なんで記者がいる?カメラ持って)、「私には孫がいるんだ。顔にモザイクをかけてくれ」と言った。おいおい! 3月25日 ・少女街头手持西瓜刀现“女版古惑仔” 不良少女のケンカ。時代劇に出てくるような刀、「西瓜刀」っていうのか。 ・2016“中国愚人榜”揭晓 2016中国バカランキング。 3月27日 ・医疗垃圾回收形成利益链条 医疗垃圾变成一次性餐具。院長と廃品回収者が結託してる。医療ゴミをきれ~に加工して、ビニール袋、プラスティックのコップ等に再利用している。河南省。字幕もあるし、中国語の勉強にどうぞ。 4日2日 ・古文体检讨书:老师看后都感慨要多读书才行 |
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子どもが集まるイベントで、講師として呼ばれた。参加者には色紙に漢字一文字を書いてもらった。友人の子(小学1年生)が参加してくれて、この子は「新」を書いた。筆で字を書いたことがないので、一緒に筆を持つ。そして「新」の左下の「木」の部分を書いたとき、「先生!それは日本の漢字でしょ。中国の漢字を書きたい!」と言われて、はっとした。あぁ、そうか。日本と中国で漢字が違うんだ。
日本の学校なら左下を「木」で教えるが、中国だと「ホ」で書く。 この子はうちの子と同じで、ハーフなんだけど、母親が「どっちの漢字で教えていいのか迷います」と言う。でも実際は大人が心配するほど、子どもは迷っていない。この子だってこんなに小さいのにしっかり日本の漢字と中国の漢字の違いを理解しているんだから。このお母さんとは微信でやりとりしたんだけど、学校のノートを写真で送ってくれた(アップするのは本人に許可済み)。 私は自分の子が小一のとき、「国語の先生って漢字の書き方を細かく教えるなあ」と思ったけど、10年たった現在、このお母さんも「中国の学校って」と同じ感想を持っている。 これ注目してほしいんだけど、四、西、目、白の右下。「はねている」の、わかる?こっちは↓今、私が書いてみたほう。 右、はねている。左、止めている。はねると、そこが太くなり、うまく見える。芸が細かいとしか言い様がない。先日うちに来た中国人(小五)も同じく、「日」の二画目の収筆(終筆とも)をはねていた。中国人、基本的にみんなそうだから。 最後に過去記事だが、「簡体字に気をつけろin北京」で、簡体字と日本の漢字の違いをまだまだ募集している。気がついたらすぐコメントしておくれ。 |
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三連休なので、久しぶりにアトリエへ行った。おとといの午後着いて、晩ご飯は言わずもがな麺。ばあさんが孫(約一名)に食べさせたいから。ダンナは友達と外食でいない。メンバーは老人×2、孫、私。小麦粉をたくさん練ってあって、麺の塊はデカいのに、ばあさんは少なめに作る。ダンナがいないといつもそう。 翌日。朝ご飯は私の担当。私はマントウを電子レンジから出して(マントウの定位置=電気を切った電子レンジ)中華鍋で蒸して、大根を煮て一品、小白菜を炒めて一品。さあ食べましょうというときに、ばあさんは「焯菠菜」※と言い、台所へ行った。漬物もあるし、もう十分でしょと思うのだが、まだ一品増やす。アッタマきて、超高速で食べ物を口に運んだ私は目標の「ばあさんがほうれん草を出す前に食べ終わる」を達成した。使ったお椀とお箸を持って、台所へ行き誇らしげに「吃完了」と言い、ばあさんが「ええ?もう??」とハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。あ、鳩じゃなくて、鬼だけど。えっ、鬼は私?こうして朝の決戦無事終了。 昼は友人が来たので、一緒に外食。 夜。何か一品作ろうと思ったけど、ばあさんがたくさん用意しているから、私は作らず、手伝うのみ。にんじんと油の炒め物はなぜか私らが行くたびに必ず作る。レンコンのはさみ揚げ、あと里芋の炒め煮なんだけど、怖いのが入ってた。
本日の中国語学習※焯[chāo] ……把蔬菜放到沸水中略微一煮就捞出来:~菠菜。日本語だと「湯通し」、「ゆがく」あたり。 |
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ばあさんに「なんで水に浸かっているんですか?」と聞いたら、「知らないの?パイナップルは塩水につけなきゃいけないのよ」とのたまった。なんで水に浸けるんでしょうか。これが今日の問題だ。 アトリエ着いて、5分でネタができるとは。こいつは幸先、、、。 |
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