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だるい。何もする気がしない(って字ぃ打ってるでしょ)。子どもは宿題中。私も勉強するわ。今日はこれだけ。微博から。
爱是一道光! 他儿子的助手和他助手的儿子今天碰面了。 哈哈哈这些人的英语听力简直就是满级! PR |
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「打烊」[dǎ yàng]って今月初めて見た中国語だ。意味は察することができる。これ書面語なのかと聞いたら、中国人が答えてくれた。 算是比较有时代感的用语。如今的生活中虽然不常见了,说的人也不多了,但是影视作品中出现的频率还是很高的。 百度百科には打烊,口语也常用打烊,商店晚上关门停止营业。と書いてある。 |
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初めて敷地に入った。中国人民对外友好协会。
元はイタリア大使館だった。 王府井のすぐ南のこんないいロケーションにどっしりとした建物と庭。 日本と中国の小学生から大学生までの計100人が書道コンクールに参加。 50人が一度に練習。 中国人は「和平友好」、日本人は「平和友好」と書いたのだが、中国人は学校で習字の授業がないので、書ける子というのは結構ちゃんと習っている子だと思う。 見ていて、「これは中国人ならでは」と思ったのは、紙の折り方。日本人なら、二回折るだけ。4文字書くので、線が3本入ればいい。でも、中国人の子は上下を5cmくらい開けて、左右も少し追って、書く部分をちゃんと正方形にし、それをまた斜めに折ったりしていた。折った跡、見える? この国は大人もそうなの。楷書、隷書、篆書の場合、日本の書家は折らないで作品を書く。でも、中国人は大物でも折る。そのマスの中に字を入れる。日本人にとっては、折らなくても均等に書けるようにするのが訓練の一つだと思うけど。 来ている父兄は少なかったけど、一人小学生のおじいちゃんがつきっきりで横にいて、孫が書き終わったら、ハンコをついていた。そのハンコを出した袋からは洋食用ナイフが出てきた。あれの用途が今でも気になっている。 一枚はコンクール用。もう一枚は隣の子と作品交換用。何を書いてもいい。うちの娘、こんなん書いたんだけど。 交換した「一期一会」を書いたのは高二女子で、日本語を頭で考えながら一生懸命娘に話していた。日本人となかなか知り合いになれないから、あちらから「微信やってますか?」って。以前は電話番号を聞いたものだったが、その後メールアドレス、今は微信だね。 このほかカードに一人一枚ずつ書いて、貼り合わせたのが、これ。 お昼前、日本人大学生のお兄さんたちが前に立って、子ども達のゲームをやってくれた。いい天候でよかったよ。 お昼を食べるとき、日本人大学生と一緒のテーブルになって、何しろこっちは日本の大学情報をが知りたいから、質問攻め。9月に来たばかりだとかで、逆に「これ終わったら、王府井へ行くんですけど、どこへ行ったらいいですか?」と聞かれた。え?これどう答えたらよかったの?私からは「吴裕泰のアイス。マクドナルドのよりお茶の味が濃い。デパートがいくつかあるけど、王府井ならではというワケではないなあ。歩行者天国が終わって、道路渡ってすぐのところに教会があって、中は入れないけど、建物がいいよ」としか言えなかった。 会場は「中国人民友好协会」だからね。平和の鐘というのがある。それを学生全員でグループに分かれて叩いた。その場で「友好宣言」を斉唱。 全員で記念撮影も100人いたら大変。記者もたくさん来ていた。ここでえらく時間かかってたなあ。 最後はホールで表彰式、閉幕式。 金賞10人、銀賞20人。みどり軍団のさらちゃんが銀賞を受賞。小学1年生でこれだけ書けたら立派でしょ。ただ、「平和友好」は1年生で習う漢字じゃないので、本人ちんぷんかんぷん。私が紙にボールペンでこの四文字を書くんだよって教えて、書いた。 金賞の10人分は前のスクリーンに映し出されて、書法家協会の偉い先生がコメント(茶色部分)。 「落款(名前)を右に書いていた子が結構いて残念だ」と。それは書く前に全員に言ってあげないとダメなのかと思った。 「楷書ばかりで単調。楷書も欧体ばかり。颜体が少しいたくらい」。これを日本語にする通訳の日本語レベルは高いけど、書道の専門用語を知らず「ouのフォーマット」なんて言っていたので、誰にも通じなかっただろう。私だったらなんて訳してたかと、親身になって考えちゃった。欧体は「欧陽詢の書体」と迷わず言うかな。 うちの子なんかは両方しゃべれるから、日本人とも中国人とも話していたけど、日本人学校の子とか、中国人大学生なんかはあまり外国人と話してなかったように思う。でも、参加者何かしら収穫はあったはずだ。 友好協会のサイトでの記事“首届中日青少年書法交流暨友好宣誓大会” 一日ペン字教室:年賀状の練習 日時:11月10日(火) 10時半から1時間 場所:亮马桥外交办公大楼 1階「BAKER&SPICE」 受講料:100元 申込み:midoriiro★sina.com (★を@)へ |
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最後の目的地、珍宝馆へ。ここは別途10元を支払う。
この中に「珍宝馆」と「石鼓馆」があって、「石鼓馆」は書道愛好者必見なのだが、現在改装中。 锡庆门を越えて、右奥は中国に三つある九龙壁。 故宮は広いから全部見てられない。この地図の中でいうと、手前だけ見て出てしまうものだが、この日の目的は奥の方。入って左側が「珍宝馆」でここに光り物(?)が展示されている。私、見ない。だって何度も来てるもん。 乾隆花园(元は宁寿宫花园)の入口、衍祺门をくぐる。 最近塗りましたって感じの濃い色は好きじゃないので、こういう方がいい。 来ターーーーーーーーー!流杯渠ーーーーー!手前に柵があって、撮りにくい。これ水が入っていればいいのに。この中は入れないんだけど、ガードマンみたいな私服のおじさんが中に立っていた。え?ここ見張る必要ある?いやいや、私、勝手に水入れたりしませんから!これ王羲之と関係あるので、いつか記事にする。 禊赏亭。 ここの展示物、価格が書いてあるんだけど。え?何気にお店? 遂初堂。 遂初堂を出て、右側を見る。 左は乐寿堂。 乐寿堂を出ると、颐和轩。 符望阁。 かの有名な珍妃井。 贞顺门が10元払った分の出口。 故宮の出口(神武门)のほうへ向かうと、日本人がたいてい映画で見覚えのある壁。 神武门に向かって右は高いものばっかり売ってる商店が軒を連ねていた。 出た。 故宮に来るのは旅行客ばっかりでしょ。この出口でマイクで録音で繰り返し流れていたのは「黄包车に乗って騙されないで」って。黄包车は人力車のこと。このあたりを案内しますよってヤツなんだけど、法外な額を要求するから、問題になっている。 それでも「黄包车」と大きく書いた紙を持って、客引きしている人がたくさんいる。 その「黄包车」という紙を隠し撮りしようと狙っていたら、ナントそのおじさん、私のところへやってきて、「黄包车」の紙を見せて、これが欲しいんだろと言った。私、心臓止まるかと思った。絶対記者だと思われたんだと察して、「不要」だけ言って、ほかはしゃべらなかった。逃げるように退散したよ。いやいや、悪いことはできない。いや、悪いことしてないよね?ブログのネタ集めだっつーーの! 神武门のすぐ西の103のバスに乗って、王府井方面に行こうとしたが、一つ目のバス停のところにカフェが見えて、急遽休むことにした。ここよかったよ。ミルクティー18元。扶摇咖啡 大众点评。 この日の「故宮」は充実してたな。え?主語は「私」か? 追記:故宮公開面積について“2025年开放面积达82%” |
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このあたりはグラサンにいちゃん(石原軍団)がたくさんいる。
団体客がいつもより多かったような。 秋は旅行シーズンだから? まずはお目当ての书画馆(武英殿)へ。 書画館の中に入るのに並ばないけど、中へ入ったら、参観者で埋め尽くされていた。 目玉の烈女图卷と兰亭序とを並べるもんだから、そこだけ30人くらいの行列。並ぶくらいの人はきちんと見たい人=よさがわかる人。とにかくみんな動かない。私はすべての作品を二列目の隙間から見た(その隙間がなかなか空かず)。 私は蘭亭序よりも黄庭坚のほうが10万倍好き。これ、一番よかった。 書画館を出て、午门へ。10分で50人ずつ入れると言っていた。私は25分並んだ。その間にサンドウィッチを食べて、ずっと本を読んでいた。 午门の真上に上がるのは2011年の蘭亭展以来(ずっと展覧会やってなかった)。 建物に入って、後ろを振り返る。「萬壽無疆」という乾隆帝の字、デカっ。万寿无疆,谓千秋万世,无疆无界,永远生存。祝福、祝愿之语。旧时常用以祝颂帝王。 故宮は初めて西雁翅楼と东雁翅楼を開放。これは西雁翅楼。 長い屏風。字は刺繍。もっと写真を見たければあっちへ。 午门の真上から南を見て、「愚弄どもよ」とか言ってみる(おいおい)。 ここは午门の真上。 "铜镀金编钟"。もっと写真を撮ったので同じくあっちへ。 午门からそのまま東へ。故宮初公開、角楼まで歩いて行ける。行かなくていい人はここから下りる。 北を見る(見下げる?←もうやめなさい)。 南を見る(見下げ←だから、位が高いんじゃなくて、立ってる高さが高いだけだから!)。 角楼は小さい展示場。 角楼から东华门まで歩いて行ける上に、东华门の中が古建筑馆となって常設展示をしている。 建築に詳しくない私のような大部分の人にも目で楽しめる展示になっている。写真はここへ。 ここから下りる。 上記のルート、一方通行になっている。入口は1カ所で午门の西側、出口は2カ所で、午门の東側、または东华门。 《待续》 おまけ:1992年、フェラーリと天安門という貴重な写真。 |
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西贡在巴黎でランチ。我在北京は「私は北京にいる」。じゃあ、西贡在巴黎は「サイゴンはパリにいる」?意味不明。約束通り11時半に到着。席に座ったはいいが、12時にならないとコックが来ないとウェイターが言いやがる。先に注文だけしておく。ここらへん、夜来る人のほうが多いんだね。
メニューには越南菜とも法国菜とも書いてある。店名に恥じないとでも言うべきか。 青パパイヤサラダ、春巻き、柠檬黄油煎加吉鱼(レモン多過ぎる感じのタイ)牛肉汤粉(フォー)等。私以外の女どもはベトナムのビールを飲んでおった。 お店は西单にもある。大众点评 食べ終わって、一人が「義利へ行きたい」と、南下し、右(西)へ。 よくスーパーにここの食パン等が売っているが、決して美味くない。彼女が買うので、私も買った牛汁(って書いてある)の豆。しょっぱい。 北冰洋の酸梅汤味を買った。 后海へ向かって南下。何に改装しているんだろう?ホテル? 東に進むと、豚食べない人のための肉屋。 向かいは烧饼等を買うのに並んでる。私らも並んだ。その場で食べたら美味しかった。やはり作りたてに限る。 どんどん東へ。 かの有名な银锭桥の北側から烤肉季を見る。 東に進み、バス通り(地外大街)に出る。向かいに渡って、まだまだ東へ。 沙井胡同15号四合院。 |
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西へ進むと、水、水、みずぅぅう!喉が渇いている虫は?水、水、みみずぅ!(って小学生が出したクイズは奥深い←深くないわい!)空も青いし、デートにはもってこいなのに、一人で散歩する世界一かわいそうなアタシ(って、世界にはまだかわいそうな人が←やめなさいっての)。
醇亲王府があるのは知っていたが、左右に1900平米の敷地があり、東側は摄政王府马号。 摄政王府位于中南海西北角,北西两面临墙。原位于西苑墙外,光绪十一年扩建西苑时将此地圈入中南海,并将位于原址的蚕池口天主教堂迁往西什库。慈禧太后拟在此修建新园林“集灵囿”,但一直未开工。1909年将此地拨给摄政王载沣,修建摄政王府。摄政王府规制同旧醇王府(北府)相似,包括中路、东路、西一路、西二路、西花园,工程耗银206万两。1911年清朝覆灭时王府仍未竣工,后改为国务院办公地,1918年后先后成为徐世昌的总统府、陆军部和海军部、北平市政府。1949年后改为国务院办公区,1970年代末大规模翻修中南海建筑时曾计划将摄政王府落架大修,但发现建筑质量非常低劣,地基松散,木柱间裂缝用碎砖填充,已无法保留,只得拆除。现存正门和正殿,为会议室。周恩来曾居住于西花园内的西花厅,也加以保存。现为旅游景点。 醇亲王府は外からだけど、写真を撮っていいかわからず、遠くからパシャ。 醇亲王府为清代规模较大的一座王府,曾先后作为纳兰明珠、永瑆的宅邸。1872年醇亲王奕譞成为宅子的主人,醇王府的名称也因此得来。醇王府历经了清王朝由鼎盛而至衰亡的历史进程,承载了极其丰富的历史文化信息。新中国建立后,府邸现归国家宗教事务局和中华宗教文化交流协会所有;1981年,醇王府花园(宋庆龄故居)对外开放。 地図等で見ると、醇亲王府があって、その西が宋庆龄故居だが、もとはすべて醇亲王府だった。あと30分で熟女ランチという時間に宋庆龄故居に到着し、危うく入りそうになった。いやいや、約束に間に合わない。入ったことがないので、近いうちに参観したい。 向かいは后海。来た道をひたすら戻る。 もしかして北京一狭い胡同之一? 大藏龙华寺、工事中。 大藏龙华寺始建于明朝。清朝道光年间曾更名为“心华寺”,为拈花寺之下院,又名“小龙华寺”。清朝末年,为摄政王载沣的家庙。1949年,在此开办了竞业小学。后来改为后海幼儿园。现在由北京市北海幼儿园托儿部使用。 楠书房。家具を売っているらしい。HPが豪華。 すぐ北上、突き当たるので、右折。中国画院。 广化寺的创始年代大约在1342年前后, 是一座北京著名的大型佛教寺院,也是北京市佛教协会所在地。参観はできない。 |
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