忍者ブログ
  • 2025.02«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • » 2025.04
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2025/03/15 10:43 】 |
中央美術学院美術館へ初めて行くin北京

 中央美学院美术馆へは初めて行った。ダンナが「あれはJiqixinの設計だ」。Jiqixinは磯崎新。日本の建築家が設計したことを私は知っていた。美術館の前は何度も通ったことがあって、妙な建物だということも知っていた。


 


 ダンナ曰く设计挺好,不过不像美术馆,像会所。美术馆应该是方的。这种设计里摆放艺术作品,会抵消掉」。美術館の建物というのはもっとシンプルで四角いほうがいい。外も芸術的、中の作品も芸術的、それでは相殺されてしまう。これがダンナの言い分だ。




 


 チケット切って、一階の階段を上がるとき、ダンナが「おお」。私も「ああ」。懐かしい看板だ。
 


 私が在籍していた時、校舎は王府井にあった。校舎の一番南に「陳列館」があって、そこで唯一私が出品したのは、日本人書家が主催した日中書道展。校舎はすべてこの美術館がある場所へ引越し、元の陳列館は元々隣にある協和医院の所有になってしまった。


 


 美術館という名になった今、非常にデカくなり、複数の展覧会が同時開催されている。

 4階では『北平艺专精品陈列(中国画部分)』(12月1日まで)。以下はダンナが特に子ども達に言っていたこと(青字)。

 叶浅予……挺好
 

 吴作人……牛の足の形が非常に正確に描かれている


 吴光宇……服のシワがよく描かれている



 徐悲鸿、林风眠、齐白石、张大千、李可染など中国画の大家による作品が陳列されているが、有名だから上手いってもんじゃない。「この齐白石はよくないな」と大声でダンナが言うもんだから、観ていた女子3人組ビックリしていた。

 
反対側の1階では『启美的素描』(922日まで)。デッサンばかり。上手いらしい。



 学生が学習していた。
 
 この美術館、職員、学生、12歳以下、60歳以上は入場無料。一般15元、学生10元。昔の学生証は無効か?まあこれだけ見られたら、いっか。




中央美术学院美术馆官网
 (月曜休館)



拍手[5回]

PR
【2013/09/10 10:31 】 | nダンナ、アート、アトリエ | 有り難いご意見(4)
この展覧会は行ったほうがいい「ヨーゼフ・ボイス展」byダンナin北京

 日曜日の夜ダンナが帰ってくることになっていた。そしたら午後早めにここに着いて、「美術館へ行こう」。えええ?宿題たくさんあって終わらないよー。「宿題ばっかりやっているのはよくない。展覧会は見たほうがいい」。いや、宿題のほうが大事だし。でも、結局家族総出で出かけた。
 そのオススメの展覧会とは。ドイツ人アーティスト、ヨーゼフ・ボイス约瑟夫·博伊斯19211986年)の個展。この人のことは何にも知らないけど、ダンナが以前からやたら高く評価していたのだけは覚えていた。 


  
 
 ダンナが言う。「これは有名だ」。中国語だと“
我爱美国,美国爱我”。ところがこれは相当な皮肉らしい。ダンナの解説は青字。


99艺术新闻网
  
博伊斯从杜塞尔多夫乘飞机抵达纽约肯尼迪机场,身裹毡布,用担架抬下上了一辆救护车,直送画廊。然后与一只荒原狼相处一室。开始时,他裹着毡布,揣着一个手电,露出一根拐杖,人与狼互相窥视。时不时,博伊斯敲打着挂在脖子上的三角铁,后来,好像开始建立睦邻关系,"与狼共眠"。三天后,他还是身裹毡布,担架、救护车、肯尼迪机场,返回杜塞尔多夫。
 ドイツからニューヨークの空港に着いて、そのまま救急車で画廊へ運ばれ、コヨーテとともに一室で過ごした……3日後再び救急車でニューヨークの空港に運ばれ、帰国。アメリカをまったく見ないまま。なぜならアメリカが嫌いだから。美国太霸权。


 
ここで↑流れているビデオは「行为艺术」(パフォーマンス)で、日本語だとタイトルは『死んだウサギに絵を説明する方法』。死んだウサギを抱いて、画廊内の作品を説明している。1965年の作品。私、生まれてないな(冗談抜きで)。ボイス本人は顔にハチミツを塗り金箔を貼っている。この時代にこんな前衛をやるのって貴重なことだと思う。


 ダンナが教えてくれたのだが、ボイスは顔によく油を塗っている。それは二次大戦でドイツ軍人として参戦していたとき、ソ連に撃墜され、遊牧民に助けられた。そのとき、油を塗って体を保護してもらい、命が助かったことから来ている。 


 この展覧会、11月までやっているから見るといい。行く前に日本語でボイスのことを調べてから行ったほうが理解が深まると思う。いきなり行くとわかりにくい展覧会だから。


  この日はダンナが結構解説してくれた。息子が「パパは病気してから親切になった??」と言ったほど。ボイズのデカい写真の前で、家族4人で記念撮影。4人で撮るなんて5.6年ぶり?
 美術館に入ったとき「ボイズの作品って言ったって、そんなに重要なのではないな。いいのだったら国家級の美術館でやるはずだ」とも言った。やっぱり次回もダンナと行きたい。



“社会雕塑:博伊斯在中国”展览


展览时间:2013971115
展览地点:中央美术学院美术馆


929にはアンディウォーホル展開幕。


中央美术学院美术馆官网 

拍手[5回]

【2013/09/09 09:03 】 | nダンナ、アート、アトリエ | 有り難いご意見(0)
じじばば改築中(2013年8月編)in北京通州区
 自力で車庫を壊した齢70の夫婦は多少の大工を雇い、家を一軒建て始めた。

 728


 8月22日 

 
 アトリエの冬は寒い。いかんせん広すぎて、部屋が温まることはない。床暖房にしたのは足が冷えすぎないならいいという策なんだけど、もっといい方法は無いか?とじじばばはいろいろ考えて、オンドルを思いついたらしい。


 ダンナが偉そうに「今見てこい」。東北人にはなじみのオンドルがどういうしくみになっているか、現在建設中だから、その目で見て来いと。



 8月下旬にはもう完成していた。




後ろから見たらこんなんだった。




 あと窓とドアがついたら、外側は終わりかな。




おまけ:オンドルの中国語は炕(kàng)


拍手[7回]

【2013/09/01 08:21 】 | nダンナ、アート、アトリエ | 有り難いご意見(6)
入院系列8:怒るダンナin北京

 もし私が入院したら、暇だから、友達に来て欲しい。しゃべりたい。それが私だ。でも、ダンナは真逆の人。いつ行っても「早く帰って、晩ご飯作れ」。
 私ら別居してるし、普段全然しゃべらない。ダンナ、退屈だろうし、こういうときこそゆっくりしゃべりたい。でも「病院っていうのは健康な人が
10分でもいたら、病気になるところだ。早く帰れ」。出ました、極論。

 

相手は病人だからさあ。同情するっていうか、親切心で「別に時間あるからいいよ」と居続ける。

 
ダンナ:不愉快だ

私:私は不愉快に感じないよ

ダンナ:自分が病気なのに、人がいるのが不愉快だ

 

 ああ、そうなのか。自分の情けない姿を見られるのがイヤなんだ。なんかね。いつもより怒りっぽくなっていたよ。私、自分が健康だからさあ。真面目に同情して、言われたとおり、さっさと帰った。

 

元々怖い人だからさ。怒るのはよく見てきたけど、病人には優しくしてあげなきゃと心から思った。それは退院した今も同じ気持ちだ。

 

(まだ続く)

 

 

 

 

拍手[6回]

【2013/07/16 01:17 】 | nダンナ、アート、アトリエ | 有り難いご意見(4)
悪魔の館へようこそ(レンガ編)in北京通州区
 門を開けると、そこはレンガだった。またまた建築開始ですかい、ダンナ!

 

 

 

(待续)

拍手[3回]

【2013/07/13 20:40 】 | nダンナ、アート、アトリエ | 有り難いご意見(0)
入院系列5:ドラマと違う中国の手術室in北京

 ダンナの手術日。午後からとはわかっていたが、何時からかわからない。当日午前中ダンナに電話で聞いても、「午後」としか答えない。私が2時に着いたとき、画家仲間5.6人、ばあさんがすでにいた。

 3時頃、ストレッチャーでお迎えがやってきた。横たわるダンナ、何だか可哀相。一般用と病院関係者用のエレベーターが別のところにあるので、一緒に乗れず、ダンナは5階へ。

日本でも中国でもドラマで手術室といえば、ドアの上に「手術中」という文字があり、ランプがつくと手術中、消えて「あ、終わった」と外にいる人がわかるしくみ。廊下には長椅子があって、家族が不安そうに待っている。そういうイメージがあった。

だがここは中国。手術室はいくつもあって、廊下はほぼ真っ暗。そのすぐ外は立ち入り禁止。同じ階に北京駅の待合室みたいな広い部屋があり、そこで家族、友人は待機する。テレビがあって、電気も明るいが、ゴミゴミしていて、そこに長時間いる気になれない。

手術は2時間以上かかる。「若いのが待合室にいますから、おかあさんとおねえさんは病室にいてください」。そしてばあさんと二人で病室へ。ばあさんと二人って言ったって、ダンナが手術中に何しゃべんの?やがてばあさんが「これ待ってたら、子ども達帰って来ちゃうよ。アンタもう帰りなさい」。ダンナが手術だというのに、とっとと帰る私。

 
ダンナの携帯は誰かが預かっているはずだ。6時すぎに電話したら、「若いの」が出て、「手术成功」と教えてくれた。涙がボロボロ出た。手術って失敗することもある。そうじゃなかったことを有難く思った。

拍手[16回]

【2013/07/07 17:28 】 | nダンナ、アート、アトリエ | 有り難いご意見(2)
入院系列4:実は暫く泣いていたin北京

 私はダンナにほぼ電話しないけど、ダンナからは2.3日に一回は電話がかかってくる。もう何年も何年も。それは別居しているから、わてら母子家庭の安否確認。

 5月のある日。電話口で改まって「你看好孩子」(子どもをちゃんと見ろ)。いや私、毎日ちゃんと面倒見てますがな。あまりにも強調するので、遺言かと思った(おいおい)。

 

 それからちょっとして、「入院、手術することになる」と告げられる。具体的な病状を聞かされても、冷静な私。だって命に別状ないし。

 

 ダンナったら私に内緒で5月下旬から入院していた。たびたび外泊(というかアトリエへ帰宅)していたので、両親にもバレなかった。検査をするのは昼間なので夜は病棟にいなくていい。病院、退屈だし。入院し続けたのはベッドを確保するという理由から。

 

 入院したとちゃんと教えられたときも「病院には来るな。とにかくおまえが倒れたら困る。子どもだけを見てればいい」とはっきり言われた。私が初めて病院に行ったのは6月で、ばあさんと一緒。

 

 やや広い二人部屋の奥のベッドに横たわるダンナ。画家村の友人達が6人くらい来ていた。私とばあさんが入るや否や、6人はさささっと立ち上がって、2つしかない椅子が私らに譲られる。6人の中で年長者が若い人に「ほら、リンゴ剥いて」と言い、リンゴが2つ剥かれ、それぞれ私とばあさんの手の中へ。なんか私、やくざの親分の嫁のような気分だった。

 

 私は5月末から展覧会の場所移動、引越し、いろいろやることがあった。いつ行っても、友達にもばあさんにも言われた「子ども達が帰ってくるんだから、早く帰ってご飯を作りなさい」に甘えた。

 

 ばあさんが「何食べたらいいか、何食べたらいけないか。おとうさんがインターネットで調べているけど、あんたも調べなさいよ」。帰宅して日本語で検索するも、涙で文字が見えない。悲しくて冷静になれない。

 

 先週退院したのだが、病気のことは誰にも言わなかった。それは私が悲しくなるから、これに関して私に何も言わないで欲しかったから。入院に伴うばあさんネタを披露する義務が私にはあるし(あるのか?)、退院して気持ちに少し余裕が出てきたから、公開することにしたが、こうやって字を打っていると、やはり胸は痛む。二回の手術は成功したし、ダンナも落ち着いているけど、体の機能が弱くなったのは確か。あ、でも、ばあさんネタね(結局そっちかい)。

拍手[7回]

【2013/07/05 12:21 】 | nダンナ、アート、アトリエ | 有り難いご意見(5)
入院系列3:病人の智慧in北京

 

 病室は二人部屋だった。トイレ、シャワーがついてる部屋で、そこにはゴミ箱があったが、病室にはなかった。
 棚が一つあって、そこに二人分のモノを置いていた。引き出し
3つのうち、1つをちょっと開けて、未使用の歯ブラシを刺して、レジ袋を下げて、ゴミ袋としていた。どうよ、このダンナの智慧。


拍手[8回]

【2013/07/04 03:23 】 | nダンナ、アート、アトリエ | 有り難いご意見(1)
前ページ | ホーム | 次ページ

忍者ブログ [PR]