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あ猫阿狗。い言不合。う霾天气。え而不伤。お心沥血。 PR |
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1. 90年代の画像。
昌河、大发、皇冠、切诺基、桑塔纳、捷达、富康、拉达、212、虎头奔、夏利、红叶、标志505、帕萨特B3、奥迪100,基本就是那个时代全部的车型 2. 70年代からの歌。年齢がバレてしまうシリーズって。ぷっ。 暴露年龄系列!81首超经典老歌合集! |
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頤和園のニュース二つ 1.颐和园重现金光穿洞了!! |
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クリックしたらレシピ出るからね。※は動画。
<中文> 红烧肉便当※ 酱爆鸡丁 京酱肉丝 双椒肉酱拌面 自制简易面包做法 牙签肉 ※ 卤肉饭 ※ <日文> ホームパーティにぴったり RF1メニュー再現レシピ 塩麹醤油ドレ新玉葱ツナサラダ 和風スパゲッティ カレー風味のサラダちらし寿司 新玉ねぎステーキガリバタ醤油 鰹節と胡麻のおにぎり スコーン 豚肉の野菜炒め梅干し梅肉ソース ポークチャップ 博多豆腐 千切り野菜のしゃぶしゃぶ巻き 鶏もも肉のうまいうまい焼き 塩麹豚丼 鶏の大根おろし煮 以上が今年チェックしていたのに作っていないレシピ。 自分が行ってよかったので、二回目は娘を連れて行った豐食堂。平日じゃないと、お得なランチがない。大众点评 チキンカレーを食べて「これはシンガポールのですか?」と聞いたら、店主が「南洋咖喱」と言った。自分では作れない複雑な味で、良い。 红烧肉もうどんもとてもいいお味。 これは豆腐なんだけど、塊から切って作っている。下はつながっているのよ。百以上の工程を経て作ると言っていた。スープの味がまた、とにかく食べてみて。やさしい味。 2人セットで268元。食べきれないのと、息子に食べさせたいのとで、半分以上持ち帰った。すんごい満足。平日のランチは48元から。 |
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2週間くらい前かな。また行った北京一狭い胡同之一。钱市胡同,早年曾是北京的金融街,在胡同西尽头院里有个大罩棚,那里曾是清代官办的银钱交易大厅。作为全北京最窄的胡同,其平均宽度只有70厘米,而最窄处更是只有40厘米!
アクセスはここ。 真ん中に見えるのがアテクシ。 ここから下はアテクシ撮影。 ここを↓しっかり見たかった。《清代官办银钱交易大厅》 ここ↑へ行ったと記事にしたのがもう三回目?バカの一つ覚えじゃないんだから!新しいスポットを紹介せねば。 一尺大街位于琉璃厂东街东口以南,现杨梅竹斜街西段。是北京最短的胡同。全长仅20余米,从东口到西口仅有40步之遥。早年间,一尺大街路北仅有三家刻字店。路南也仅有三家店,自西向东依次为酒馆、铁匠铺和剃头铺。现如今,虽然该胡同已并入杨梅竹斜街,但为了能唤起人们对于这条街的记忆,大栅栏街道于2015年底在原一尺大街的两端口安放了一对地标。自此这条全北京最短的胡同又一次回到了人们的视线中。 琉璃厂から杨梅竹斜街への道は一尺大街と言って、北京一短い胡同。一尺は約33cm。でも実際は十数メートル。まあ、それでも短いわな。 この日、初めて行った本屋。内观堂书店。あまりにも地味で、通り過ぎてしまい、また戻って、ようやく探し当てた。 ごちゃごちゃしすぎ。 日本の本も結構あった。 本以外もいろいろごちゃごちゃ。 わてらが入ったら、店主(?)のオバちゃんが「子ども迎えに行くから!」と慌てた様子。写真だけ撮らせてと言い、本一冊買って、退散。「また来るよ」と捨て台詞を残すわてら。っつーか。迎えに行く必要のある子ども=小さい子ども=非オバちゃん。 ああいうの見ると、整理したくなる! 今日は時間切れだ。明日に続く。 |
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1.生鲜馆(フレッシュネス)龙宝大厦2层
料理用清酒16.5元。豆味曾13.8元。 三全公寓地下2层超市。荞麦面10元。纪文鱼糕22.5元。 鱼清(うおせい)。红鱼糕26.5元。冷冻鱼18元。冷冻竹轮10元。 光明公寓超市。南海软炸豆17元。 藏善超市。牛蒡12元。紫苏5元。 マンションのスーパーなんてものすごく久しぶりに入った。どこが安い等、くわしい奥さんはご一報ください。 |
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12月31日まで書道展をやっていますよと教えてくれた人がいて、行ってみた。
地下鉄天安门东から南池子大街を北へ。通り入ってすぐ左に皇城艺术馆があり、何か展覧会をやっていたら入ろうと思ったが、保安に装修と言われる。 北へ。右に皇史宬。中国明清两代的皇家档案馆,又称表章库,位于北京天安门东边的南池子大街南口。皇史宬始建于明朝嘉靖13年(1534年)7月,建成于明嘉靖15年7月。占地8460平方米,建筑面积3400平方米。是我国现存最完整的皇家档案库,距今已有460多年的历史。 入れない。 どんどん北へ進み、灯笼裤胡同を右に。 前、左と進めば普度寺。突き当たり↓。 こわいよ。オジちゃん! 1. ドルゴン(1612年-1650年)は太祖ヌルハチの第14子。甥にあたる順治帝の摂政となり、清が中華王朝となるにあたって指導力を発揮し、大きな役割を果たした。 2.ドルゴンと重華宮(普度寺) 明代に紫禁城の東華門外に皇城東苑、またの名を南城と呼ばれるところがあり、皇帝や皇族の遊び場のひとつであった。その苑の宮殿を重華宮と呼んだ(普度寺の前身)。1450年の土木の変で失脚した英宗皇帝が一時ここに住んだことで歴史上に名を残している。 清朝の初期、ドルゴンが入城したとき、この重華宮で摂政をしいた。事実上清順治初期の政治の中心地となり、多くの人馬が行き来した。「百の馬車が南城に会す」とまで言われ、当時王侯貴族が頻繁に出入りしていたことがわかる。順治7年12月ドルゴンが病死すると、冤罪に問われ、王府であった重華宮は荒廃していく。 康煕33年(1694年)康煕帝はドルゴンの名誉を回復し、重華宮を改修してマハカラ廟と名づけチベット仏教寺院とした。マハカラとは日本では大黒天であり、チベット仏教では護法大神である。乾隆40年(1775年)更に拡充し、大殿を慈済殿と呼んだことから普度寺と愛称された。 20世紀後半から南池子小学校となり、また住民が住んでいた。2002年、周囲の居住区域も含めて大改修され、普渡寺の復元と保護を行い、2004年から一般に公開されている。 3. 北京普渡寺 色が鮮やかな方が修復されているところ。 外に出る。北へ。このあたりはきれいにしすぎ。新しい感、ハンパない。
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