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コメント少ないな。古いネタ書かないからか?
1. 在北京,这些事儿做过10个就证明您已经老了! 老了って大きなお世話だっつの。ここに写真がたくさん載っている、懐かしい!バス、ボロかったよねー。 大学の学食で留学生宿舎の中だと容器を持っていかなくていいけど、中国人学生はアルミの容器持参で学食へ行き、そこにおかずを入れてもらって、食べ終わったら自分で洗っていた。今は中国人の学生でも容器は持参しない。 この記事の中にいろいろ懐かしい写真があるといえばあるが、ホーローの容器はレトロ好きをターゲットにたくさん売っているから、今でもよく見るよね。 2. 东四的全部记忆都在这儿!老街坊你们在哪儿? ワシが(今日は誰キャラ?)書道留学していた大学の近くだ。しかしワシでもわからないという古さ。 东宫影剧院 ここは1954年にオープンした映画館。現在、周りは大大大改装中なのに、今も映画を放映しているというからビックリだ。なくならないでほしい。 东四人民市场。隆福大厦前身。 知らないよ。今じゃ「隆福大厦が懐かしい〜」存在なんだから。 东四邮电局 これは懐かしい。頻繁に行ったのは王府井の教会の南にあった方の郵便局だが(今はない)。 懐かしいネタ思いつかない。sumariさん、淳子さん、マリズさん、出番だよ。 PR |
久しぶりに行こう。古いネタ。私が留学している頃、毎週火曜日の午後はテレビが映らなかった。
これわかる読者、いるんだろうか? 以下、ネットから。 1. 一人一句有年代感的流行语 「時代を感じる流行語」。しかし、全然古くない。古くても10年以内だ。21世紀だ。去年のまで入ってる。時代という定義が私と世間が違いすぎるのか。 2. 2006超级女声十强的开场秀《你知不知道》 12年前で、このひどさ。八荣八耻、懐かしい!歌に盛り込むとは胡錦濤も、やるのー。 3. 这些怀旧老广告, 真是扑面而来的年代感啊 これは古い。北京の電話番号が6桁っていつなんだろう?昔のテレビCMといえば、商品名を三連呼。それよりも前のCMだな。 4. 40年40首歌,歌声里有我们的记忆 1979年から40年40曲。さすがにこの私でも、80年代の歌は、、、、半分だけ知ってる。 |
はいはい、古い皆さーん、出番ですよー。前回中華を書いたので、中華以外すべてのレストラン。
私が思いつくのを以下挙げる。 ・麦当劳 王府井1号店は1993年(だっけ?)にできて、のちに契約違反されて追い出された。 ・肯德基 1987年オープンの前門店に続き、1989年に東四にもオープン。 ・必胜客 东直门までわざわざ行ったよ。洋食にありつけるって。 香格里拉饭店、丽都饭店、建国饭店のようなちゃんとしたホテルなら洋食が食べられた。でも私ら貧乏留学生、めったに行かないし。今の留学生みたいに日本と同じような食生活じゃなくて、毎日毎日毎日中華だった。学食、または外の食堂(というかレストランというか)。自炊もしたけど、和食を作ったりはしなかったなあ。 西単の交差点をちょっと南に行った東側に「ダイヤモンド」というレストランがあって、軽い洋食が食べられた。 数年前にこのブログで90年代に行ったレストランを挙げたが、以下の店はその頃日本で買ったガイドブックに載っていた。 ・義利快餐庁 ・「VIE DE FRANCE」 ・莫斯科餐庁(北京展覧館) ・世界之窓(国際大厦)28階中華、29階洋食 ・アンクルサム(山姆叔叔)/ハンバーガー/建国門 ・マキシム ご丁寧に本から書き出してくれた殿方あり。 『北京散歩ノート』(1985年講談社文庫)によると、「北京の代表的外国料理店」として、「マキシム・ド・パリ」(崇文門。フランス料理)、「シルクロード」(長城飯店。照り焼きステーキなどの西洋料理)、「ミニマム・ド・パリ・ペキン」(前門東大街。フランス料理)、「レ・フランス」(長城飯店。フランス料理)、「ジャスティン」(建國飯店。エスカルゴやステーキなどの西洋料理)、「イーリー」(“義利快餐廳”宣武門內。ハンバーガー、ソフトクリームなどのファストフード)。 レストランとその思い出をどーぞ。 |
90年代ネタを書かないと、コメントが入らない奇妙なブログへようこそ。コメント書ける人(昔を知る人)は片手で足りるほどなのに。
2011年にこのブログで昔のレストランネタを書いているけど、再度書く。面倒くさいから(おいおい)、一部コピーする。 1991年に北京留学が始まった私だが、その頃あったレストラン。今ない店に❌をつける。 ・晋阳饭庄 1959年開業の山西料理。 ・悦宾饭馆 民間で初めてのレストラン。 ・阿静 东四の交差点を北上。道の西側にあった広東料理。❌ ・塔园外交公寓の一階のレストラン。私の初中国が1986年。団体で北京旅行に来たとき、空港からそのまま夕食となった店がここ。 ・香港美食城 东华门の屋台(すらすでに懐かしい)の向かいにあった。❌ ・能仁居 ❌ 今は北京にないが地方にはある。 ・无名居 东直门の本店は今でもあるが、本当に美味しかった。今は支店が増えて龙宝大厦の向かいにもあるが、日本人から行ったと聞いたことがなくて、味は落ちたのか?私は20年以上行っていない。 ・すでに書いた加州牛肉面大王。 ・有名すぎる全聚德,东来顺,便宜坊。 昔話がある人はどうぞ。 |
北京師範大学より北にあったと送られて来た写真。全然覚えていない。私が覚えている「加州牛肉面大王」は琉璃厂の方。二回は行った。別に美味しくも不味くもないと記憶している。そして「加州」(カリフォルニア)はなんの関連があるか不明だった。今百度百科を見たよ。 在美国从事餐饮业的华侨吴京红1985年回中国创办了第一家“美国加州牛肉面大王”。1993年在中国注册了商标。1996年在美国注册了商标,归吴京红所拥有的美国鸿利国际公司。 另一家“李先生加州牛肉面馆”的创办人是重庆人美国加州华侨李北祺。他在1972年到1974年间以“牛肉面大王”为号,洛杉矶地区的唐人街、蒙特利公园、阿罕布拉开了3家“牛肉面大王”餐馆,到1979年扩展到7家。之后在中国以“美国加州牛肉面大王”为商号,开办专营店。 李北祺(1932年9月15日—2008年1月27日),字华康,是“李先生”事业的奠基人, 1972年,怀着对中华饮食文化的独到见解与执着之梦,李北祺先生于洛杉矶成立“中国烹饪艺术公司”,传扬中国的餐饮文化,经营川、沪、京、粤各式菜品,尤其是他将中国牛肉面进行精心改良,于美国加州创立了“牛肉面大王”餐厅,至1979年餐厅发展为7家;并获得当时中餐厅获得的最高评价——《洛杉矶时报》四颗金星盛赞,由此,开启了李先生品牌近半个世纪的梦之旅程。 90年代初頭は日本のラーメンはなかったよね?和食屋にあった? とにかく「加州牛肉面」を食べた人、名乗り出て欲しい。 |
90年代の記事を書くと、5人以下でしか盛り上がらないけど、ま、いっか。
80年代、90年代に北京を生きた人が行ったお店。 <もうない> ・五道口百货商场 ・华泰百货(今は産婦人科病院) ・东单菜市场 美大から近かったのでよく行った。当時美味しいお菓子が少なく、ウエハース量り売りが美味しいと日本人留学生で盛り上がり、何度か買った。 ・崇文门菜市场 ・西单菜市场 私は覚えがないが、ネットにあった。 ・北辰购物中心 この一月に閉店。 ・华堂商场 北苑路、五棵松、劲松西直门、右安门、十里堡、望京、丰台北路、大兴等が閉店していて、今は亚运村のみ。 ・百盛 ・隆福大厦 ・东安市场 <まだある> ・红桥 ・秀水 ビルではなく露天だったが。 ・百货大楼 ・西单商场 ・华威大厦 97年くらいかな。上の方の階は若者の服が売っていて、渋谷の109のようだった。ダンナの従妹が服を売っていた。 ・友谊商店 ・双安商场 ・当代商场 ロッテリアがあった。 ・塞特购物中心 地下一階にロッテリアがあった。 今回は物を売っているお店に限る。古い皆さん、まだあったら教えて欲しい。あと、思い出を語っておくれ。レストランは次回。 以下、懐かしい写真が多く、溢れる涙を……。 80张最真实的老北京照片,都是记忆中的北京城 90年代的北京,满满的都是回忆 |
《Tokyo Bon東京盆踊》 微博で多くの中国人が転送していて、「洗脳されたー!」と。日本人の英語、なめるなっての!
さて本題。「記憶にあるか」と送られて来た写真。 94年に撮った北太平庄の市場だという。北太平庄のT字路の(今は三環路が通って、十字路になったが)西だって。私が覚えているのは同じく西で、道路の南にあった北太平庄のスーパー。名前は市場だったのかなあ。当時にしては珍しい、二階がスーパーだった。つまり服務員に商品を指して欲しいものを出してもらうのはなく、自选だった。 92年頃はそのスーパーでクラフトの塗るチーズが瓶で売っていて、しかも高くないので、日本人は買っていた。 さて昨日、コメント欄で「北京の街は電気がオレンジだった」と盛り上がった。薄暗くて、10時以降に開いている店はなくて、遊んでる留学生は昆仑饭店などのディスコに行っていた。 中国(北京)の留学生生活で何をしていた? 私は皆勤賞を取るくらい一年目はちゃんと授業に出た。半年で200元出たんだよね。結構日本人で固まっていて、誰かが日本から船便が届いたといえば、「カレー作ろう!」となったり。 土日は何してたかな。西単など市内に出ても、バスがなかなか来なくて、来ても、人民が多すぎて乗れず、寮に帰れず、外出も億劫だった。でも、日本から紹介された書道の先生のところに稽古には行っていた。 みんな何してた?? |
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