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私の数少ない貴重な中国人の友達、劉さんの実家へ+近いので「清西陵」へ行ってきた。 朝7時半に「丽泽桥长途汽车站」集合。今、長距離バスに乗るのに身分証が必要なのね。知らなかったけど、持って来ていた。よかったーー。 8時50分発(実際は9時発車)に乗り、高速をガンガン進み、10時55分に易県の長距離バスターミナルに到着。劉さんの知人の車で案内してもらう。車に乗り込む(11時5分)。「永福寺」の前を通り(11時12分)、行きますか?と言われたが、行かないことにした。 光緒帝のお墓「崇陵」に到着(11時15分)。「五孔石拱桥」。 ここへ上がるのに、両脇は階段。中央が坂。表示は中国語、英語、日本語、韓国語になっていて、「滑り止め付き坂」とある。滑らない坂。 (クリックして拡大可) 地宫(地下宮殿) へ 。気温がどんどん下がっていく。 突き当たりに光緒帝と隆裕皇后の棺。 奥から出口側を見る。 奥は湿度高すぎ。下は雨が降ったよう。両脇の彫り物も濡れていた。 「崇陵」を出て(12時35分)、適当に「永发农家屋」という农家院に入り (12時47分) 、食事開始。どれも飾らず、味は素材が活かされていて、美味であった。「酸枣汁」というここの特産を飲んだ。 13時43分出発。13時47分、雍正帝のお墓「泰陵」に到着。 石祭台分上下两部分,上有香炉香,花瓶、蜡台。 隆恩殿の中から外を望む。 清西陵には4人の皇帝(とその他大勢の皇后、貴妃)のお墓があるが、ここ崇陵が規模が一番デカいらしい。でも地下宮殿が公開されていないので、その真上に上がり、おしゃべりしながらゆっくりする。 この壁は「哑巴院」。地下宮殿建設の秘密を守るため、作業員はおしである必要があった。ここへ来るのに目隠しされ、宮殿完工後は辺鄙なところへ追いやられた。それで「哑巴院」(おし院)と呼ばれる。これが伝説だ。しかし、しゃべれなくても、字や絵、ジェスチャーで秘密が漏れてしまうことから、信じるには足らないとされた。建築関係の書籍によると、中国の古代建築で外から見えない部分に対して「哑巴」という名を使う。それでここを「哑巴院」と名付けたという説に落ち着いている。 上に上がる。 上から下を眺める。
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娘、学生証を忘れた。息子、学生証を失くしてから再発行手続きをしていない。今回の旅行で二人とも学生証を持っていなかった。持っていたのはパスポートのみ。観光地の入場料、学割があるところがほとんどだ。 日本の美術館、博物館の場合、小中学生は同じ額で、高校生から高いなんていうのがある。うちの娘、帰国時中国の学生証を持っていなかったので、パスポートを見せて、何歳であるか証明して、相応の料金にしてもらってきた(次回から持って来てくださいと言われる)。でも、中国でそれは通らない。 入場券売り場にたいてい「1.2-1.4mは半額。小中高大は学生証を見せて半額」と書いてある。それはあとで気がついたんだけど、大雁塔へ行ったとき、よく理解していなくて、「子どもが2人いてなんたらかんたら」と説明した後私が買ったのは大人二枚、半額一枚。それでまんまと入っちゃったが、本来なら大人三枚だったね。華清池では学生証がないから、子ども二人とも大人料金だったが、碑林博物館では学生証を見ないで、学生料金だった。まあ、学生証は持たなきゃ損するって話よ。 以下、今回の入場料を記しておく。私の持って行った古いガイドブック(JTBの『中国 自遊自在』。1988年初版発行 1991年改訂)の記載とともに(カッコ内赤字は91年改訂分。青字はガイドブックから私の手書き)。 碑林博物馆 大人50元 学生25元(外国人3.5元、中国人1.5元/外国人20元、中国人3元) ホテルでツアー料金を払うとき、「学生料金ありますよね」とコンシェルジュに言うと、鼻で笑って「ありませんよ」と。本当はあるけど、ツアーに学生料金を設定していないという意味だと解釈した。华清池は学生証がないから大人料金を払ったけど、兵马俑は二人ともタダだった。そしたら、最後にガイドが240元返してくれた。彼の手書きの証明書に「240元受け取りました」とサインした。会社に戻って自分が請求しなきゃいけないからって。 あ、急に思い出したけど、华清池で怖そうなおじさんがガイドに「書類見せて」と言った。「导游证」を持ってないとガイドしちゃいけない。「导游证」を見た後も、ガイドが持っていたツアー客のリストとか細かくチェックしていたよ。西安は著名観光地。トラブルも多そうだ。取締も厳しいんだなと思った。 綺麗といっても人工的。それでも何回も見て、何枚も写真を撮った。 一応西安旅行記はここまでにしたい。碑林の石碑と博物館の展示物についてはいつか書く。 |
城壁の上ね、ガタガタなのよ。みんながみんな自転車を借りるわけじゃない。徒歩の場合一周3時間かかるらしいが、歩いている人も多い。入口が4カ所あるので、城壁の4分の1で降りてもいいし、入ったところへ戻ってもいい。その入り口付近は利用者が多いからか、道はまあまあまっすぐだった。一周自転車乗ってみ。ガタガタがたくさんだから。お尻痛くなったよ。 もうあと10分で着くあたりの位置で娘が「キャッ」と言って転んだ。私ものすごく心配して、急ブレーキをかけて振り向いたら、私も自転車ごと転んだ。地面に伏せたときは自転車は見事に180度向きを変え、サドルが地面に着いてたわ。娘も心配だけど、自分が骨折でもしたら、今晩北京に戻らなきゃならないのに、と冷静に起き上がった。左の手のひらを強く打って痛いくらいで、歩くのも問題なく、まずは一安心。そして娘を起こしに行く。手を擦って血が出たけど、引き続き自転車に乗れた。いやあ、自転車返すところで転ばなくてよかったよ。自転車壊れてるから弁償してくださいって言われるのイヤだもん(って、壊れてなかったけど)。 あ、私が転んだときの写真。おいおい!息子、絵に描くなよ。 ホテルに荷物を預けていたので、取りに行って(城壁南門から徒歩10分)、ホテルからすぐそばの、空港へ行くシャトルバス乗り場へ。「何時の飛行機?」って聞かれたから、「8時」と答えた。そしたら「間に合わないよ」という。客引きがうっとーしーほどいて、そのうちの一人だった。バスの運転手が「いっぱいだから出発。次のに乗って」と、ドアが非情にも閉まる。あらー。そのとき5時くらいだったけど、間に合わないわけがない。次のバスは数分で来たけど、それまで客引き(タクシーの運転手だった。白タクじゃなくて)が数人いて、しつこいしつこい。私は「話しかけないで!」と怒鳴り、娘は服を引っ張る人に対して怒っちゃって何か言ったら、あっちは逆ギレ。ああいう教養のない人たちともめたくない。その後ひたすら無視。 空港に早めに着いて、美味しくないけど、適当にご飯食べて、北京の家に着いたのは12時くらいだった。 翌日から私の脇の下あたりがものすごく痛い。打撲だと思ったが、友人が「ヒビが入っても骨折っていうんだよ。病院へ行ったほうがいい」などと脅す。でもずっと時間がなくて、5日経ってダンナが近所じゃダメだと「北京医院」(东单。結構いい総合病院)へ連れて行ってくれた。春節直前だから?空いていた。 先生:どうしたんですか? 私:自転車で転んで。(脇の下を指し)このあたりがものすごく痛くて、咳をしても痛くて。 先生:(脇の下を押し)痛いですか? 私:痛くありません 先生:有交通纠纷吗? 私:没有 先生:レントゲン撮ったらお金も時間もかかるし。もし骨折だとしても、手術するわけじゃないし。薬出しますから、それでいいですよ 私:生活上何に気をつけたらいいんですか? 先生:人ゴミに行って、体を押されないこと 押しても痛くなかったから、大したことないと判断された。あと「交通纠纷」を聞かれたのは中国らしいなと思った。例えば交通事故に遭って、相手に賠償してほしいときとか、どこかに書類を出さなきゃいけないなんていう場合、証拠物件としてレントゲンを撮る必要が絶対あるから、医者は質問したわけだ。私は飲む、塗る、貼る薬を出されて、帰宅。咳をしたらすごく痛かったけど、病院へ行った後は脇の下より鎖骨のあたりが痛み出した。でも相変わらず重いものは、その痛めた方の左手でも持ってるし、骨折ではなかった。あ、でも病院で出された湿布を貼ったら、痒くて痒くて、使うのを止めた。私は元々皮膚はまったく問題ない体質なのに、北京の湿布は合わないみたいだ。貼らなくなって5日経ってるがまだやや痒い。二次災害だわよ。あとカプセルの飲み薬デカい。塗る薬臭い。 最後は病院に行くハメになったが、それでも旅行に行って本当によかった。いや、私は西安に何回も行っているから、子どもが行けてよかった。ダンナは無視して、またどこかに連れて行ってあげようと思う。 <まだ終わらないから!続く> |
お昼の豪華餃子宴を食べ終わって、バスで「永宁门」へ。この一帯大掛かりな道路工事をしている。遠回りしてやっとのこと門の下の方まで着いてよくよく見ると、このクレーンのすぐ後ろ、写真なのよ(おいおい)。 北京もかつては城壁が一周あったのに、ほぼ撤去されてしまった。西安はすべて残っていて、観光客はその上を一周できる。城壁の入場料を払うとき、大人54元と書いてあるのが5.4元かと思った。だって、中に入って見るものはないよ。城壁跡であり、そこに登るだけ。そりゃー保護維持するのは大変だろうけど、小数点がないと知った時の私の驚きようは形容できない。学生は半額で子どもと3人分100元以上払って、切符を切るところでの会話。 私:中に貸し自転車もありますよね?いくらですか? 切符切り:一人200元のデポジット。 私:え?(財布を確かめると現金は600元しか持ってない)レンタル代は? 切符切り:数十元。 私:私600元しかないけど、それでいいんですよね? 切符切り:レンタル代も含めて一人200元あれば大丈夫ですよ 上に登って、レンタサイクル屋での会話。 自転車貸す人:一人200元のデポジットとレンタル料40元。3人だから720元。 私:え?私600元しかないけど、600元でいい? 自転車貸す人:ダメです 私:え?でも私は切符切る人に確認したのよ。レンタル代も含めて600元あればいいって。それを知っていれば銀行で下ろしてから来たのに。 自転車貸す人:じゃあ、銀行へ行って来てください。 私:(めちゃ腹立つ。)私、苦情出します。あなたからもあのヒトに言ってください。私からも言います。 自転車貸す人:(苦情という単語にビビっていたが)規定ですから。 私:ちゃんと話しておいてくださいよ。観光客に迷惑をかけないで! 門出てすぐに銀行があるので、私だけ外に出た。さっきの切符切りに文句を言おうと思ったら、人が交代していた。私が長々と「こうこうこういう理由で私は面倒なことになっている」と訴えようと話し始めると、その人聞くのが面倒臭くなって「お金が足りないんですね。どうぞ出てください。チケット失くないように」と。しょうがない。ダイエットだと思い、動く。 二人乗りの自転車があるのは予習していたが、息子が「ヤッターマンみたいな三人乗れるのがあったらいいな」と言っていた。それヤッターマンの敵、ドロンジョのほうでしょ!三人乗りはなくて、二人乗りを借りようとしたら、「乗ったことありますか?まずは乗ってみて、大丈夫か確認してから貸しますよ」と。私、乗ったことあるよ。でも、サドルの位置が異常に高く、低くできないという。結局一人一台借りて、1時間40元(学割なし)、1時間を超える部分については10分につき5元プラス。 この城壁、一周で13.7kmと知っていた。自転車なら普通は70分か80分で戻れるという。うちの子たち、ものすごくダッシュして、「100分を超えたらお金がもったいない」って。東西と南北のどちらが長いか忘れてしまったが、単純に4で割れば、一辺4キロくらい。結構長い。漕いでも漕いでも終わりが見えない。ゆっくり写真も撮らず、3人でチキチキマシン猛レース状態。
以下写真三枚は城壁の上から撮ったもの。まずは南門の北側。この道を東に進めば「碑林博物館」。
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朝からマクドナルド。朝はマフィンが多い?麦满分(MUFFIN)3個と土豆饼(ハッシュドポテト)2個で35元。 バスに乗って陝西省歴史博物館へ。位置的に「碑林博物館」と「大雁塔」の間だけど、1日目は半日しかなく行けなかった。 券買う人が結構並んでいた。身分証を見せて入館無料。私も子どももパスポートだったけど、西安人じゃなくて、外から来た人は用紙に名前、身分証の番号を書かなきゃいけない。まあ無料であることに感謝し、入館。 デカい。そりゃー。ここは西安。歴史的文物なんてたくさんあるわ(娘が写真をたくさん撮ったので、これも後日改めて記事にする)。 陝西省歴史博物館の近くにイカした本屋「關中大書房」(万邦图书城)があるというのを、行きにチェックしていたので、徒歩5分くらい西へ進む。その途中息子が「ママ~。あれ食べたい!」と肉夹馍を1個買う。回民街で食べたのは牛肉で、ここのは豚肉で、こっちのが美味しいんだと。 そして本屋へ。店内結構広くて、カフェもあった。本以外にシャレた文房具も売っていて、娘が定規とノートを買った。観光地だから、絵ハガキも売っていて、2階へ持っていけば、投函できる。こんなサービス、中国じゃなかなかないなと思って感心した。 向かいのデパートへトイレのためだけに入る。娘、買った定規にヒビが入っていることに気づく。本屋に戻る。その後私がトイレの外のベンチに手袋を忘れたと気づく。デパートに戻る。掃除のオバちゃんに「手袋見ませんでしたか?」と聞くと、何も言わず、トイレに入る。一番奥の掃除用具入れの中から手袋を出す。おいおい!どこにしまっとんねん!と心で思い、謝意を述べる。 昼ご飯をどこで食べるか迷った。夜はゆっくり食べる時間がないから、最後のまともな食事を取るチャンスだ。娘は予習していて、西安名物の餃子宴を食べたいという。種類がバカに多くてそれは珍しいが、味はあまりいただけないと私自身認識していた。西安で30年くらい前に食べたし、北京の前门でも食べたことがある(今ないと思う)。息子は元々餃子があまり好きでないし、食べたくない!とハッキリ言う。我が家ではこれまでいつも意見を強く主張するモノ勝ちだった。日本に行っても私は子どもを優先しすぎ。北京での食事は息子の言いなりすぎ。娘が犠牲になっている。このときは行ってメニューも見てから食べるか決めるつもりだった。「德发长」が有名なのだが、支店が「小雁塔」の近くにあると、あの本屋の西安ガイドブックでにわかにちゃっかりチェックした。そこからバスに乗り「小雁塔」というバス停で降り、近くを歩く人に聞いて、たどり着いた。 店内に入りいきなり「メニュー見せてください」。普通の一品料理もあるし、単品の餃子もある。とりあえず座った。餃子宴は128元からと言われる。それを一人分頼んで、ほかの料理を頼んでもいいかと聞くと、「一人分作るのは面倒(麻烦)」と言いやがった。ウェイトレスが2人いたのだが、もう一人が「餃子の種類は多いですけど、一つしかないものもあるので、そうするとお一人しか食べられませんよ」と丁寧に言う。二人分は安くない。でもいいよね。ダンナは家とか車とか買ってんだから。
最後は珍珠饺子(ものすごく小さい餃子)がスープに入っている。西太后が好きだったという。お玉ですくうとき、1個だったら○○、3個6個9個だったら○○と説明してくれたけど、つまりどれでも幸運なのよ。「吃到一个,称一帆风顺;两个,称双喜临门;三个,称连升三级;四个,称四季发财五个,称五谷丰登;六个,称六六大顺;七个,称七星高照;八个,称八仙过海;九个,称至高无上;十个称十全十美。若没有吃一个,你会得到一句“无忧无虑,健康长寿,欢迎您再来」。 店内に江沢民が使った食器が展示されている。西安に偉い人が来て、陕西小吃というわけにもいかないだろう。食事が終わった頃、服務員が「2分だけいいですか?当店では現地の特産品をお売りしています」。上述の三つの甘いもの、そしてナツメのセールス。結構迷ったが、買わなかった。蓮の実なんて河北省産だったし(おいおい)。
<続く> |
(16:25)全員揃って発車、市内へ戻る。ガイド、「これから事務所に行きますので」と客より先降りたよ。最後ホテルまで見届けないんかい!私の泊まったホテルは市の真ん中で動きやすいからか、皆さんそこで降りた。部屋に一度戻って、夕食。 西安最後の夜は回民街で本格的に陕西小吃を食べ歩き。 おまけ:
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兵馬俑博物館見学の最後に、敷地内の土産屋に連れて行かれる。ガイドが「兵馬俑を発見した楊さんがいて、本を買えばサインしてくれる」と言う。兵馬俑は1974年に地元の住民が井戸を掘ろうとしてたまたま発見した。運がよければ、この発見者の楊さんがお土産屋にいるというのだ。 到着すると、いなかった。本とDVDで180元(だったかな)。日本語版も売っている。今、調べたんだけど、実は楊さんが何人もいるのよ。YahooJapanなら「兵馬俑 発見者 サイン」で、百度なら「兵马俑 发现者 老杨」で画像検索してみ。複数のじーさんが出てくるから。ネットから拾った写真。
対聯でこのあたりじゃこういうのがあるらしい。「对联:‘翻身不忘共产党,致富不忘秦始皇。横批:感谢老杨’」。いずれにしても楊さん(どの楊さんじゃい?)のおかげで観光業が振るったわけだから。 北京で言うと「故宮の書道家」が連想されるわ。私に言わせれば、プロの書家は書道家って言わないんだけどね。故宮の土産屋では愛新覚羅溥儀の甥が一文字一万円(中国元じゃなくて)で日本人観光客にその場で書いた字を売っている。この甥も何人もいる。世界遺産の恩恵に妙に預かって(?)そ=ゆ=ことすんの、やめてほしい!誰も通報しないの? |
華清池を出て、お昼ご飯の場所へ。このツアー、お昼がついていないことは予め確認してあった。郊外なんて高いところ連れて行かれるに決まってる。絶対安いの頼んでやる!と意気込んで臨んだ。 着いた(11:20)のはかなりデカいお土産屋も付いているレストラン。食べるところは二つあって、一つは食べ放題。野菜炒めばっかりだけど、結構種類はあった。1人38元。さすが地方。北京ならありえない価格設定だ。私と娘なら食べ放題にするね。ところが息子が「絶対これヤダ」。そしてすぐ隣りの店へ行ってメニューを見せてもらう。主食は「biangbiang面」のみ。食べている人のを見ると量が多く4人分はあったが、76元もする。もうそれしか選択肢がない。どうしよう?と迷っていると、店の人が「あっちの食べ放題は早く作ってずっと置いてあるのよ。こっちは注文してから作る」と、あっちの悪口を言う。で、こっちにした。「麺とスープで足りるわよ」と言われたし、食べてる人がみなそれに従っている。スープは38元~。息子が日本語で「昨日7元だったでしょ」と。そしてスープを頼まない私達。白湯だけもらったわ。食器代、ここでもわてら2組にして、計80元。味は薄いくらいだったけど、それは好かった。
途中、車窓から「あれが秦の始皇帝のお墓ですよ」と眺め、兵馬俑の近くへ到着。私が前回行ったときはバスを降りてすぐにチケット切るところだったのに、今は入口まで1km延々と続く商业街(ショッピングパーク。日本でいうアウトレットみたいな感じ)に変身していた。ツアーの人たちみな「歩きます!」と言い、全員歩いたが、老人とか歩きたい人は电瓶车が5元で入口まで運んでくれる。
メインの俑坑に入って、息子の第一声は「大きい」。兵馬俑は教科書にも出てきたし、是非実際その目で見て欲しかった。「想像していたより大きい」という感想を持つだけでも来た甲斐があるというものだ。ガイドがさんざん歴史的背景を解説してくれて、私よりもずっと聞き取れているのも収穫だ。
徐福って知ってる?留学時代からどれだけ中国人に言われてきたかわからない。日本人の祖先は中国人説。以下wiki「徐福」の項より。司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衝山列伝」によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3000人の童男童女と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方(つまり日本)に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。 <続く> |
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