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故宮の蘭亭展会場入ってすぐに、王羲之の作品ではない《王兴之夫妇墓志》、《陆机平复帖》、《王珣伯远帖》が展示されている。日本語で『王興之墓誌銘』、『平復帖』、『伯遠帖』と検索しても資料は出てくるので、各自見るがよろし。以下カンタンに。 1王興之墓誌銘……隷書から楷書への過渡期の字。 2平復帖 詳しくは日本語でwikiへ(wikiに載ってていささかビックリ)。 現存する最古の有名書家による真跡(肉筆)とされている意味で非常に貴重。 3伯遠帖 これを書いた王珣は王羲之の甥。平復帖見てから、伯遠帖を見たら「これ、上手いか?」と疑問に思う。電話で師匠に言ったら、「だって三希堂だから」。それって「あのデザインはいかがなものか?」と問いて、「だってヴィトンだし」って答えるようなもの? 三希堂は故宮の養心殿の中にある、かつての乾隆帝の書斎。乾隆帝は王羲之の『快雪時晴帖』、王献之の『中秋帖』、王珣の『伯遠帖』を合わせて「三希」と称し、三希堂に収蔵していた。 養心殿に行ったら、建物に強烈な赤や青が塗られてなくてほっとする。でも三希堂を見ようと思っても、ガラスが汚くて、中がよく見えない(おいおい)。三希堂法帖はそこに置いてあるわけではないので、注意のこと。 PR |
週末、故宮で第二会場が見つからないとお電話いただいたので、ここで説明。
「捐献館」と書いてあるところから入ると、「延禧宫」(工事中)があり、その中に「古书画研究中心」があって、1階と2階で「兰亭珍拓展」が催されている。こっちは丛帖など。 丛帖(亦称丛刻、套帖)……集帖(しゅうじょう)とは、複数の書人の名跡を集めて石や木などに刻した法帖のこと。単帖(一つの作品を刻した法帖)や専帖(一人だけの筆跡を集めた法帖)に対していう。三希堂法帖など。 この展覧会は12月5日までだけど。 故宫博物院官方微博 朋友们,出于文物保护的需要,午门上“兰亭特展”有四件展品将会在11月7日闭馆后撤陈,它们分别是从日本东京国立博物馆借展的《宋拓独孤本定武兰亭序并赵孟頫十三跋》、《宋拓吴炳本定武兰亭序卷》以及本 院收藏的西晋陆机《平复帖》、东晋王珣《伯远帖》。请有兴趣的朋友们尽早安排时间参观。 東京国立博物館から借りている『宋拓独孤本定武蘭亭序并趙孟頫十三跋』、『宋拓吳炳本定武蘭亭序卷』と、故宮収蔵の『平復帖』、『伯遠帖』は11月7日の閉館後撤去する。つまり11月7日までに行くのがよい。 それから、11月からオフシーズンで入場料が安くなる。寒いけどなあ。 淡季(11月1日-3月31日)40元 旺季(4月1日-10月31日)60元 |
あのー、私、別に「王羲之マイラヴ」じゃないから!ただ蘭亭展は見たほうがいいと思うから、うちに来るヒト来るヒト、「蘭亭序、書かへ~ん?」と関西弁で迫り、がっしり筆を持たせる。だってただ見るだけより、実際書いてから本物見たら、理解が深くなると思って。
無理やり書かせているのは……。 1. 蘭亭序の初めの4字「永和九年」 2. 4行目4字目の「茂」……バージョンによって字はいろいろだけど、「茂」を見ると、素人でも違いがよくわかるかなあという私の判断による。 3. 「晋唐心印」。冯承素兰亭の前に書かれた乾隆帝の字。書家は乾隆帝の字を練習したりしないけど、書道が専門じゃないヒトが書く行書には、きれいでいいかなと。 4.「八大山人」の署名 蘭亭序の展示数は非常に多いが、一応みな「王羲之」風。でも八大山人だけは異様。 八大山人(はちだいさんじん)……本名:朱耷(しゅとう)。1626年~1705年(?)。明末清初の画家、書家、詩人。花卉や山水、鳥や魚などを多く題材としつつ、伝統に固執しない大胆な描写を得意とした。描く鳥の足を一本のみで表したり、魚などの目を白眼で示すなど時に奇異とも取れる表現を用いている。白眼は、阮籍の故事に倣い中国では「拒絶」を表現するものとされる。そこから汲み取れるように、その作画の中には自らの出目であり滅び去った明朝への嘆きと、その眼に侵略者と映る清朝への、屈してしまったからこそ心中でより激しく沸き立つ反抗が暗に表現されている。 「八」「大」「山」「人」の四文字を潰し気味にサインした図柄が一瞥して、「哭」や「笑」、「哭之(これをこくす)」とも見えることから、清朝のものとなった世への厭世感に苛まれ、むしろこれらの字を崩して名としたとの説もある。(以上wikiより抜粋)。 故宮に展示されているのは左のほう。 うちに来る友に「八大山人って書いてみてよ」と無理やり書かせる。そして「あー、ホントだー、『笑』みたいでもあるし、『哭』みたいでもある」と納得してもらうことに喜びを覚える最近のアタシ。 八大山人の絵を見たい人ここへ→「八大山人朱耷·花鳥作品精選」 八大山人の署名を見たい人ここへ→「八大山人签名款之刍析」 私は王羲之より八大山人のほうが好きだな。 |
書道に興味を持つヒトが私のまわりにたくさんいて、蘭亭についていろいろ教えてあげたいけど、逸話が多すぎて、どこから話していいか迷ってしまう。
まずこれだけは押さえていてほしい。「王羲之の真蹟(肉筆)は一つも残っていない」。 理由はエゴ。唐の太宗皇帝が王羲之の書を酷愛し、権力を駆使した蒐集品は2290紙(楷書50紙、行書240紙、草書2000紙)になったと言われている。王羲之の書を自分の墓に副葬させるよう遺書に書いてあって、本当に埋葬されてしまったので、今残っている王羲之の作品というのは後のヒトにより作られたもの。唐の太宗は複製の専門官である馮承素、趙模、韓道政、諸葛貞という供奉搨書人(きょうほうとうしょじん)に『蘭亭序』の摸書を命じ、欧陽詢、虞世南、褚遂良に命じて、臨書をさせている。 ・欧陽詢の臨書は定武本『蘭亭序』 ・虞世南の臨書は張金界奴本『蘭亭序』 ・褚遂良の臨書は褚摸『蘭亭序』 ・馮承素の摸書は神龍半印本『蘭亭序』 故宮の蘭亭展を見たいが、日本にいて見られないというヒトに、ニュース(動画2分23秒)を教えてあげた。故宫年度大展《兰亭特展》。会場の雰囲気がわかるかなと思って。ついでに北京に住んでいて、これから観に行くというヒトにもささやかな予習として以下を教えてあげた。 [00:00.20](20秒目) 日本で「神龍半印本」、「八柱帖第三本」とも言われるが、故宮の展示では「冯承素摹本」。「永和九年」から始まる本文ははっきり写らないけど、その前の大き目の四字「晋唐心印」は乾隆帝の字。 [00:00.23] 「八柱帖第二本」。褚遂良が書いたといわれている。 [00:00.50] アナウンス「乾隆帝が収蔵していた『蘭亭八柱帖』をすべて展示しています」。 [00:01.02] 女性職員「冯承素摹本は濃淡乾湿も王羲之のオリジナルをよく模倣しています。たとえば、『向之所欣』の『向之』は濃く書かれています。」 この写真を参照のこと。3行目下のほう。わざわざ「向之」ってしゃべってんだから、カメラ!「向之」を写せっての!どこに目ぇつけとんじゃ、BTV! [00:01.52] 平復帖 [00:01.56] 伯遠帖 王羲之の書いたものではないが、同じ時期の名品として、平復帖も展示されている。これを東京の師匠に電話で言ったら「えええ?平復帖も出てるの?」(感動で暫し絶句)。そして「絶対行かなきゃ」と。平復帖と伯遠帖については後日記す。 最後にもう一つ強調。王羲之の書いたものはない。その代わり「唐代以降の著名な書家が書いたものが残っている」と言われているが、本当にその有名なヒトたちが書いたのかも確定はできない。作品名にも「传」(伝)とついていたりする。多くの学者により真偽両論が展開される中で、郭沫若が文革直前に発表した蘭亭序偽作説は一大センセーションを巻き起こした。「古来からの権威に対して偶像破壊を行うことがよきこととみなされたからであって、右派とされて抹殺されないためのポーズの一つだったのでは」とも言われた(ここにそう書いてある→「蘭亭偽作説」)。 誰が書いたものであろうと、実際見て「上手。美しい」だから、いいんじゃないの?と単純に思うけどね。 |
台湾の歌手周杰倫で検索してきたヒト、ごめんなさい。ここ真面目な書道ブログなもんで。周杰倫の歌に『蘭亭序』というのがある。歌聴きたいヒトはここへ。
♪兰亭临帖行书如行云流水♪ その行書は行く雲、流れる水のよう。方文山の詞はいいと思う。 で、本題。私ぃー、現代中国語もよくわからんのに、古語。もっとわからんわ。ネット上、そして本にある日本語訳をいくつも見て、総合してみた。 王羲之『蘭亭序』の日本語訳いってみよう。 永和九年,歲在癸丑,暮春之初,會于會稽山陰之蘭亭,修禊事也。 群賢畢至,少長咸集。 此地有崇山峻嶺,茂林修竹, 永和九年癸丑の歳、三月初め、会稽郡山陰県蘭亭に集ったのは禊(みそぎ)を行うためである。 賢者がことごとく集まり、老いも若きもみな集まった。 この地には高い山、険しい嶺、茂った林、長い竹がある。 又有清流激湍,映帶左右,引以為流觴曲水,列坐其次。 雖無絲竹管絃之盛,一觴一詠,亦足以暢敘幽情。 また、清流や早瀬があり、左右に照り映えている。その水の流れを引いて、觴(さかずき)を流すための「曲水」を作り、人々はその傍らに順序よく並んで坐った。 琴や笛のような音楽はないが、觴がめぐってくる間に詩を詠ずるというこの催しは、心の奥深い思いを述べあうのに十分である。 是日也,天朗氣清,惠風和暢, 仰觀宇宙之大,俯察品類之盛, 所以游目騁懷,足以極視聽之娛,信可樂也。 この日、空は晴れわたり空気は澄み、春風がおだやかに吹いていた。 仰げば広大な宇宙が見え、見下ろせば万物の盛んなさまがうかがえる。 こうして目を遊ばせ、思いを十分に馳せ、見聞の娯しみを尽くすのは本当に楽しいことである。 夫人之相與,俯仰一世, 或取諸懷抱,悟言一室之內, 或因寄所託,放浪形骸之外。 そもそも人間が同じこの世で暮らしていく上で、 ある人は一室にこもり胸に抱く思いを友人と語り、 またある人は志の赴くままに、肉体の外に、自由に振舞う。 雖趣舍萬殊,靜躁不同, 當其欣於所遇,暫得於己,快然自足,不知老之將至。 どれを取りどれを捨てるかもみな違い、静と動の違いはあるけれど、 その境遇を喜び、それぞれ合致すればよろこび合う。暫し自分の意のままになるとき、人は快く満ち足りた気持ちになり、老いていくのも気づかない。 及其所之既倦,情隨事遷,感慨係之矣。 向之所欣,俛仰之間,已為陳跡,猶不能不以之興懷。 況修短隨化,終期於盡。 その行き着くところに飽きてくると、感情は対象に従い移ろい、感慨もそれにつれて変わってしまう。 以前の喜びはほんのつかの間のうちに過去のものとなってしまうが、だからこそおもしろいと思わずにはいられない。 ましてや、人の命は物の変化に従い、ついには死が定められていることを思えばなおさらである。 古人云︰「死生亦大矣。」豈不痛哉。 每覽昔人興感之由,若合一契, 未嘗不臨文嗟悼,不能喻之於懷。 昔の人も「死生はまことに人生の一大事」と言っているが、何とも痛ましいことではないか。 昔の人がいつも何に感激していたかを見ると、割り符を合わせたかのように私の思いと一致し、 その文を読むたび嘆き悼まずにはいられないが、我が心を諭すことはできない。 固知一死生為虛誕,齊彭殤為妄作, 後之視今,亦猶今之視昔 死と生を同一視するのは偽りであり、 長命も短命も同じなどというのはでたらめであることは知っているものの、 後世の人々が現在の我々を見るのは、ちょうど今の我々が昔の人々を見るのと同じことだろう。 悲夫故列敘時人,錄其所述, 雖世殊事異,所以興懷,其致一也。 後之覽者,亦將有感於斯文。 悲しいではないか。それゆえ今日ここに集う人々の名を列記し、それぞれ述べたところを記録することにした。 時代は移り、事情は異なっても、人々が感慨を覚える理由は、結局は一つである。 後世の人々もまたこの文に共感するにちがいない。 以上。 |
【日時】10月22日(土)14時半から
【場所】RoyalQueen レストラン TEL:59051907 朝陽区朝陽公園6号 藍色港湾(SOLANA) 1階 (アイススケート入口前・Maxim's対面) 【受講料】50元 【定員】10名 【内容】ハガキ(年賀状)の練習 【持ち物】水性ペン(中国語で签字笔または碳素笔) 【申込み】10月19日までに midoriiro★sina.com へ。(★を@に) ※9月28日に講義した内容と同じです。 |
故宮の公式サイトに第二会場「延禧宮」の作品リストが載っている。これすべてクリックすると作品の説明(一部写真あり)が出るところがすんばらしい。そーゆーところはエラく遅れてるこの国にあって。 |
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