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あのー、私、別に「王羲之マイラヴ」じゃないから!ただ蘭亭展は見たほうがいいと思うから、うちに来るヒト来るヒト、「蘭亭序、書かへ~ん?」と関西弁で迫り、がっしり筆を持たせる。だってただ見るだけより、実際書いてから本物見たら、理解が深くなると思って。
無理やり書かせているのは……。 1. 蘭亭序の初めの4字「永和九年」 2. 4行目4字目の「茂」……バージョンによって字はいろいろだけど、「茂」を見ると、素人でも違いがよくわかるかなあという私の判断による。 3. 「晋唐心印」。冯承素兰亭の前に書かれた乾隆帝の字。書家は乾隆帝の字を練習したりしないけど、書道が専門じゃないヒトが書く行書には、きれいでいいかなと。 4.「八大山人」の署名 蘭亭序の展示数は非常に多いが、一応みな「王羲之」風。でも八大山人だけは異様。 八大山人(はちだいさんじん)……本名:朱耷(しゅとう)。1626年~1705年(?)。明末清初の画家、書家、詩人。花卉や山水、鳥や魚などを多く題材としつつ、伝統に固執しない大胆な描写を得意とした。描く鳥の足を一本のみで表したり、魚などの目を白眼で示すなど時に奇異とも取れる表現を用いている。白眼は、阮籍の故事に倣い中国では「拒絶」を表現するものとされる。そこから汲み取れるように、その作画の中には自らの出目であり滅び去った明朝への嘆きと、その眼に侵略者と映る清朝への、屈してしまったからこそ心中でより激しく沸き立つ反抗が暗に表現されている。 「八」「大」「山」「人」の四文字を潰し気味にサインした図柄が一瞥して、「哭」や「笑」、「哭之(これをこくす)」とも見えることから、清朝のものとなった世への厭世感に苛まれ、むしろこれらの字を崩して名としたとの説もある。(以上wikiより抜粋)。 故宮に展示されているのは左のほう。 うちに来る友に「八大山人って書いてみてよ」と無理やり書かせる。そして「あー、ホントだー、『笑』みたいでもあるし、『哭』みたいでもある」と納得してもらうことに喜びを覚える最近のアタシ。 八大山人の絵を見たい人ここへ→「八大山人朱耷·花鳥作品精選」 八大山人の署名を見たい人ここへ→「八大山人签名款之刍析」 私は王羲之より八大山人のほうが好きだな。 PR |
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