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この日は一人で故宮へ行き、東華門から出て、すぐ北上。北池子大街。
ここ、外から見たらレストランっぽくて、数年前に通った時わざわざ聞いてみたら、対外開放していなくて、会員制クラブみたいだった。今は云南汇という名の雲南料理の店になっていた。大众点评。 どんどん北上。凝和庙。俗称、雲神廟。1730年に建てられたが、残っているのは大殿のみ。今は小学校として使われている。中を見たい人は中国人のブログへ→凝和庙 引き続き北上。 宣仁庙。俗称、風神廟。1728年に建てられたが、琉璃影壁、山门、钟鼓楼のみが残っている。中には入れない。 大きいバス通りに出る手前にカフェがあったが、中華を食べたく、空いたお腹を押さえつつ、バス通りを渡る。喉が渇いた。カフェが2軒あったが、ここで座るなら、別のところへ行って、ちゃんと食べたい。 八角楼咖啡で酸梅汤5元を書い、西へ。景山东街を北へ。 台湾民主自治同盟中央委员会。 沙滩后街を東に進むと、カフェが2軒。 三眼井胡同93号四合院石刻と書いてあるが、何があるのかわからなかった。 この日の目的地、毛沢東故居を探す。住所は吉安所左巷8号だが、どこなのか分からず、あたりをウロウロしていた。そこへ救いの神来たる!中国人観光客を乗せた人力車がやってきて、「ここが毛沢東故居です」と説明を始めた。有難う!おっさんいなかったら絶対見つけられなかった。↓↓↓↓ 詳しくは中国語で→吉安所左巷8号——毛泽东故居 copper铜(大众点评) TRBグループ。洋食。私が通ったときは13時くらいだったが、白人と英語を話す中国人がゾロゾロ出てきた。 北上。位置的には南锣鼓巷の南側だが、このあたり全部大工事中。 帰りは地下鉄南锣鼓巷駅から帰途に就くのがよかろう。 A 故宫东华门 B 凝和庙 C 宣仁庙 D OASIS CAFE, 八角楼咖啡 E 毛泽东故居 F copper铜 PR |
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大学夹道の左の壁は元代のものがそのまま残っているという。
西へ進むと、成都市の北京事務所があり、そのレストラン蜀都宾馆で昼食。 高い魚等を頼まなかったものもあるが、5人で198元。北京で本場の四川料理といえば、建国門のほうにある、四川省の北京事務所、川办と言われているが、成都のこっちのほうが美味しいという人が多数であることを最近知った。 北京大学の前進、京師大学堂がある。1989年創立。戊戌の政変や義和団の乱等で、校舎は壊され、1911年に清政府が再建。1912年に北京大学と改名。 その奥に和硕和嘉公主府。 元は明代の馬神廟(御馬監のために建てた馬神を祀る神廟)。1898年に京師大学堂が創立されたときに、校舎として使われた。 ネットでこんな地図見つけた。御馬監は宦官の官職名。 <参考>古い写真 ここを出て、一本南の中老胡同へ。 所有者不在。トイレ中? 四合书院。HP。ここは貸しイベントスペース。食事も予約すれば提供される。いきなり訪問できないので、事前に連絡をとること。 天安門に掲げられた肖像は毛沢東だけでないのを中国人でも知らない人がいる。 この日の散歩は終わりだが、地理的には記事3へ続く。 (地図はクリックして拡大可) E 大学夹道 F 蜀都宾馆 G 京师大学堂 H 原和嘉公主府大殿 I 四合书院 |
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北京駅の北の国際飯店(ホテル)の横に国際飯店会議中心があり、そこで昨日から明日までオークションの展示会が開かれている。
故宮で開催中で、写真の撮れない、张瑞图、倪元璐、黄道周、王铎、傅山という大家の作品があって、こっちは写真撮り放題。 現代アートで、奈良美智や井上有一等、日本人の作品もあった。1階にはプーアル茶のビンテージが展示されていた。 あと、朝鮮人参も有難そうにケースに納められていた。 その他の写真はここから。誰でも入れるのでどーぞ |
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“肉不错,生意怎么样”? “平时挺好的,今天一斤没卖”, “为什么”? “因为您来了,顾客不让进”, “多少钱一斤”, “3块一斤”, “给我来5斤”; “卖不了”, “为什么”, “因为你没来之前,20块一斤,卖了我赔17块一斤”, “那就20块一斤来5斤”, “卖不了”, “为什么”, “因为刀被没收了”, “那就把这块称给我吧”, “卖不了”, “为什么”, “因为我是武警假扮,来保护你的” |
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この日は多田麻美ファンクラブの集いだった。私はファンじゃないよ。友達だ。彼女が私のファンでなく、友達であるように。 集合場所に30分くらい早く着きそうになって、先に一人で原中法大学へ行った。 第一次世界大戦のときに、フランスで中国人労働者を大募集して、留学しながら仕事もする若者達が派遣された。この中に周恩来や鄧小平も入っている。この制度は1924年に終わっている。中法大学は蔡元培がいわばフランス留学予備校として建てたのが前身。1950年に大学としては運営をやめ、建物はほぼ完全な形で残っている。中には入れない。 道路を渡って、南下。国家文物局。 交差点を西へ。すぐに北大红楼がある。 寄り道したのに、まだ待ち合わせまで時間があるので、道路を渡って、南下。 突き当たりっぽいけど、近道したい。掃除のおじさんがいて、突き抜けられることを確認し、こんな細い胡同を前進。 银闸胡同に出る。 北大红楼に戻る。 ここは1916年から1952年まで北京大学の校舎として使っていた。今は北京新文化运动纪念馆になっていて、参観できる。HP。 1919年、五四運動では、紅楼と北側の運動場が反帝国、愛国運動の策源地となった。日本軍が北平を占領していた時期、この地には日本軍中国駐屯軍憲兵隊司令部、日本憲兵隊本部が設置され、北京憲兵隊本部、日本憲兵隊留置所等の軍、憲、スパイ機関が特設された。1939年、中国画の大家である李苦禅は北大紅楼(日本憲兵隊本部)に収監され、苦痛を強いられた。(百度百科より) 参観し終わって、西へ。一つ目の胡同を北へ。今は人民教育出版社等が使っているが、建築家の梁思成と妻の林徽因が設計した北京大学の地質館だった。乾隆帝のときの大学士、傅恒の家廟を1916年に北京大学が購入した。 中には入れないので、門のところで見ていたら、リモコンか何かでおもむろに門が閉まった。感じ悪~い。 さらに北上。日本人の奥さんがたいてい行っているTRB(フレンチ)の入っている元お寺、嵩(sōng)祝寺,智珠寺。これについては後日詳しく記す。レストラン以外に画廊もあった。 ここを出てから、南に戻り、一つ目の胡同(东高房胡同)をチラ見し、さらに南下。 次の道(沙滩后街)を西へ。 2に続く。 (地図はクリックして拡大可) A 元中法大学 B 北大红楼 C 元北京大学地質館 D 嵩祝寺,TRB |
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1. オークションと展示会 |
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私が留学していたとき、ウィーンから来た留学生がいて、私が「ザルツブルク」と日本語の発音を言うと、「何何?もう一回言って」「ザルツブルク」。彼女、大爆笑。そして「ザッハトルテ」も「もう一回もう一回」って。「日本語の発音は可愛い」と笑われたものだ。 私が留学した1年目は中国と韓国が国交回復していなかったから、韓国人留学生なんて一人もいなかったが、3年目あたりから徐々に増えてきた。留学最後の年はそれまで一番多かった日本人より韓国人のほうが多かったような。 これ、以前書いたネタ。会話はもちろん中国語。 韓国人留学生:日本人はマ・ク・ド・ナ・ル・ドって言うよな。McDonald'sがなんで6個に分けられるんだ? 日本人留学生:韓国人だってねえ。fがpになっちゃうんでしょ?ピルム(film)、ピラデルピア(Philadelphia) 史上第一最最搞 ←これ見てよ。搞は搞笑の略だと今調べて知った。 |
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