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数日前の私のブログのコメント。「秀水市场はバッタもので ごった返してましたね。よくシルクのトランクスを男性用お土産に買ってましたー!」。
90年代(80年代でもいいけど)は日本へのお土産を買う場所は友誼商店くらいだった? 秀水はシルクマーケットと言われていたので、シルク製品を買うか、あとは偽ブランドのバッグ。90年代初めは今の秀水のビルのすぐ東に細い道があって、北にあるアメリカ大使館のところまで路上で売っていた。私はダウンコートを240元くらいで買った。 紅橋はパールマーケットだから、真珠を奥さんたちがよく買っていた。お店の人と知り合いになって「○番がいい」と店の番号を覚えてというのは、いまでもあるのかな。私は真珠を一度も買ったことない。 今日は「ここで何を買いました」を書いて欲しい。 PR |
お待ちしておりました。
秀水はあたしの御用達よ〜! なんたって安い。 お土産に持ってこい! 友谊商店はアイス屋さんがあったからよく行ってましたよ。 大抵はロイヤルゼリーや羊の胎盤クリームを買ってました。 あとは塞特とかでパンダチョコを買ってました。 鼓楼近くの洋服屋で父にブルゾンを買ったことがありました。 とても安かったと思う。 五道口から市内に出かけるのは大変だったからなるべき近場で済ましたかったけど、あそこ、何もないをやだよね、当時は。 数年後に真空パックになってる北京烤鸭を買って帰ったことあります。 美味しかったなぁ。 それから2000年近くには百貨店で メイベリンとか化粧品コーナーが出来始めてメイベリンのリップがやたら安いから爆買いしたわ。保定で。 |
初中国の89年1月、王府井の百貨店?で当時の同僚だった女の子に、青色ベースで花の刺繍が入ったチャイナドレスを買って帰りました。
その娘のサイズなど知らなかったので、勘で選びました。 帰国後チャイナドレスを渡し、喜んでもらいましたが、それを着た姿を見ることはありませんでした。 数年後、「お姉さんが、友人の結婚披露宴に参加した時に着て行ったよ」と、僕がその娘と結婚してから聞きました。
【2017/07/15 09:31】| | 功夫man #7f4d0fd1ff [ 編集 ]
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人民元を買いました。
あの辺りは个体户(今はこれ死語?かぁ)がぎっしり露天商い(夏祭りの夜店状態)していました。 このおかげで、留学生の私らは時々プチ贅沢して北京飯店の『五人なんたら?』で涙が出るくらい、美味しかった定食食べられました。
【2017/07/15 09:54】| | 東北太太 #4fccc738b8 [ 編集 ]
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秀水市場とか、友誼商店、工艺美术服务部,外文书店,琉璃厂,前门,潘家园,红桥は、皆さんも出かけていたと思います。
私は、白孔雀芸術世界(住所 徳勝門外北濱河路39号)なんて所にも行きました。 友誼商店っぽかったけれど、ロウケツ染めクロスとか買いました。 秀水は、よくシルクのパジャマを頼まれました。 チャイナドレスは、婚約のお祝いに義両親がプレゼントしてくれました。布は、前門で買って、新街口の小さなお店で採寸して仕立ててもらいました。新街口商场の裏隣の店ですが、最近無くなってしまいました。
【2017/07/15 10:11】| | マリズ #5804baaddf [ 編集 ]
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おはようございます。
北京飯店の日本料理店ですよね? 私も両親が訪中した時に 連れて行きました。 確か『五人百姓』という店名だった と思います。 当時は日本料理店に行くなんて 贅沢でしたからね。 私は北外付近の日本料理店にたまーに行ってました。 店名は失念です。 |
このコメント返しでまた記事かけるな。お待ちください。
あと、まだまだあるはずだ。まだまだ書いてください。
【2017/07/16 08:23】| | みどり党锢之祸(党錮の禁) #55fe8a1dcc [ 編集 ]
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留学時代にお土産を買った記憶が全く
ないです。買ってないのかな。 ダンナさんと付き合ってる頃、お土産として北京ダック丸々持ち返された事があります。帰って泣く泣く自分で切ることになったのですが、怖いわ、切り方分からないでは大変でした。 ちなみに手荷物で二羽分渡されました。
【2017/07/16 14:21】| | sumari #4cf3123346 [ 編集 ]
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秀水や日壇の露店で、アメリカブランドの服を買ってました。結構使える服が見つかって、助かってました。
また東安市場がまだ市場らしくて、雪蓮マークのカシミア製品をお土産に調達していました。 東単の奥に隆福大厦があって、普通に使える革のジャケット買いました。今はお寺になってますね⁈ 最近行ってみても、どこにも面影がないのが寂しい… |
珍しいお土産と言えば、
日本で中国武術を習っていた先生から手紙が届き、次回の帰国時に経絡が書いてある人形を買ってきて欲しい、と頼まれました。 頼まれた人形そのものは想像できましたが、どこで売っているのか、その人形は何という名称なのかが分かりません。 今なら、ネットで検索すればすぐにわかるのでしょうが、当時は辞書で調べるか知り合いに尋ねるしかなく、分かりませんでした。 ちなみに、それは 针灸人体模型 と言います。 取り敢えず王府井の漢方薬店でも行ってみようか、と通りの北側から入ってすぐにあった店へ。 人形を何と表現しようか、と悩みながら、 那个,白色的,写着经络穴位的娃娃,有吗? などと説明したところ、店員がすぐに、 那是针灸人吧 と分かってくれて、 有大的,小的两种,你要哪个? と。 小さな方を買いました。400元位だった記憶があります。 日本人がそんな人形を買いに来るのが珍しかったのか、店にいる間、ずっと店員が僕を物珍しげに見てました。
【2017/07/17 11:44】| | 功夫man #9b11124a7a [ 編集 ]
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共感を得る情報ではないですが…
人民元への両替の件。 留学中は、確かに語言学院近くの店へ行きましたね。 僕が行ったのは、花屋でした。 行く前に何人かの友人に声をかけて、両替するお金を預かりまとめて両替してましたね。 駐在していた時は、中国銀行しかなく正規なレートで両替してました。 すごい田舎町だったので、滅多に日本円を両替する人がおらず、毎回、大きな町の支店からFAXでレート表を取り寄せて交換してたので、時間がかかりました。 たまにそのレート表を見せてもらったのですが、1〜2週間前の期日が書いてあり、実勢ではない交換でした。まぁ大した金額じゃなかったから、気にしませんでしたが。 仕事で、桂林市内に出た時は、現地事務所の人に頼んでどこかで両替してもらってました。 レートは覚えていません。 近くの柳州市内では、老板の知り合いの家具屋で。 96年頃でしたが、すでに留学していた91〜93年のレートより日本円の分が悪くなっていた気がします。 あ、そういえば、ニセ札をつかまされたということは一回もなかったですね。 僕が気づいていなかっただけかもしれませんが。
【2017/07/17 14:42】| | 功夫man #7f4d0fd1f9 [ 編集 ]
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海藻石鹸(痩せる石鹸)は、いろんな店で売られていて、
パッケージも値段も少しずつ違ってました。 具体的にどこで買ったかは覚えてませんが、 とにかく買いあさりました。 友誼商店でカップラーメンの烏龍茶味を買ったことがあります。 明らかに、日本人をターゲットにした商品だったと思います。 90年代、既に一部でフェイウォンが有名だったので、 フェイウォンのCDをお土産に買ったこともあります。 当時は、カセットテープが主流だったので、CDはまだ少なかったのですが、 まだ街の至る所にあった新華商店で正規のものを買いました。 それでも、日本円で数百円だったと思います。 当時の私のルームメイトは、帰国前夜、 スズメの串焼きを北太平庄の小さなお店で買い、 串を外してタッパに入れ、持って帰ってました。 ひと串、4羽くらいあったかな。
【2017/07/18 00:44】| | みつえ #55fedd8ff7 [ 編集 ]
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sumariさん、留学何年した?私は初め1年半して、その間は一回も一時帰国していないので、お土産を買う必要なし。sumariさんもそういうことでは??
北京ダック二羽。庭には二羽北京ダックがいたら、そりゃもー大変。中国人は何でも偶数だから。一より二。 からすうりさん、アメリカブランドですか。まあいろんな外国のブランドがあったけど、具体的に覚えていません。POLOは結構あったけど。 隆福大厦のお寺??お寺はわからないなあ。隆福大厦のあたりは今は入れなくて、大工事中。どんなふうにかわってしまうか恐ろしいくらいです。 功夫man氏、当時の400元はかなり高額ですね。ネットがないから、何を調べるもの大変。日本から本がほしいといわれても、実際複数の本屋に足を運んだり。その本の出版社がわかっても予約できなかったし。 留学中のチェンジは語言学院でしたね。門のすぐ手前の写真現像屋だった。道路は舗装されていなかった。 みつえ(は私の北京のone of 妹妹達)、カップラーメンの烏龍茶味は知らないなあ(覚えていないだけかも)。スズメを買った人がいる?そんな日本人聞いたことないわ。強い(のか?)。
【2017/07/27 16:07】| | みどり現在新宿 #9a8ac675d3 [ 編集 ]
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