忍者ブログ
  • 2024.10«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • » 2024.12
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/11/25 02:37 】 |
お得意「中国最大」の北京汽車博物館へ行った(昔のバス回顧編)
 アクセス編より続く。

8b875d38.jpeg 外にチケット売り場があるんだけど、アタシが「欧州行ってきましたーーー」とウソつきたくなるような洋風かつイキな售票处だった。


1a5290c1.jpeg







 ありましたわ、古い車。状態のよすぎる面包车

fa710e81.jpeg









 103って王府井大街を通ってた路線じゃんか。 80d49e45.jpeg












 中にグレーの動かない方々がおかけになっていらっしゃったけど、こんな「木!」だったっけ?覚えがない。


 確かに木製だったが、←こんなに粗くなかったような。今ネットで調べたら、こっち↓が私の知るほうのバスかなと思う。
bus1.jpg bus2.jpg








 古いヒトたち、「1950至1999 北京公交的成长史」から懐かしい写真を見てください。あと何か、バス関係、小公共汽车でもいいし、コメントください。

拍手[8回]

PR
【2011/10/29 17:17 】 | n90年代 | 有り難いご意見(13) | トラックバック()
<<桜心+同仁堂はちみつ+ナマ春菊+その他晩御飯in北京 | ホーム | 今どきの十大神獣のその十の面々ったらin中国>>
有り難いご意見
ぎゃ~懐かしい!
この面的は、わざわざ作ったような新しさだな。ボロッボロのガムテで修理してあるようなのを展示して欲しいぞ!
それにしても、バスバスバス!懐かしい。
私が一番なじみがあるのは、一番最後のベージュと朱色の奴で、椅子もこんな安っぽい青いプラスチックだった。でも、どこかの路線で、木の床だったバスも乗った。新街口豁口から语言学院とか通って香山辺りにまで行ってた331は、いつまでも古かったから、そこかな?
あ、でも、電车だったかなぁ~?103とかさ・・・。
このバス見るだけでいい、行って見たいぞ!
【2011/10/29 18:32】| | 人面魚マリズ #5804baaddf [ 編集 ]


バスバスバス!
マリズさんと同様、連呼してしまった。
余談だが最近、3回連呼するのは年齢のせいではないかという気がする。
「1回言えば分かるんだよ」と、人から言われるので。
(マリズさん気にしないでください。これは独り言です。)

めいっぱい人を乗せてから発車する小巴とちがって、普通の路線バスのドアは、非常にはやく閉まる。
(否否否。私がトロいのだ。)
こんな感じである。

あ、向こうからバス来てるよ。まってー。(走る)

よかった、間に合った。(ふ~う)

よっこらしょ。(乗る)

この「よっこらしょ」の「しょ」あたりでドアは閉まる。
一度、ドアに足が挟まり靴が脱げた。
バスは、当然そのまま発車した。
幸い靴は、ドアに挟まったままだったので、絶叫ののち事なきを得た。

ちなみに、氷祭りの時期に行ったハルピンでは、バスの扉はずっと開いたままだった。
たぶん、凍って開け閉めできなくなるからだろうね。



【2011/10/30 18:36】| | yukiyama #9b3a05a2b7 [ 編集 ]


北京公共交通20年史・みどり
茉莉z女史同様、いちばん下の画像の右側車内に憶えがあります。2005年12月、まだ北京に来たてのころ、「動物園」から「北京南站」まで乗った102路電車。木の床のスキマから氷点下8℃の風がぴゅうぴゅう。ただ、青い座席は画像のビニール張りではなく、茉莉z女史が言うようにプラスティックだった気がします。着いた北京南站も、河北省のイナカ町のようなたたずまいで。ミド氏はこの旧・北京南站から黒龍江省へ、硬座48時間ヨメ入り挨拶過酷旅に出発したとか。

北京のバスは2006~08年にシステム大改革&全車輌一新されたんですよね。定期券「月票」が2006年3月で廃止され、4月からICカード「一卡通」が登場。ぼくも通学時に「月票」を買ってましたよ。学生は20元。「2006.03」で終わっている「月票」の台紙は宝物です。そして2006年の五一くらいから、バスの「乗降口振り分け」が始まって、降り口と乗り口をうるさく分離するようになったんです。嬉しくて(ぷっ)宿題の作文のテーマにしたから憶えています。あと、パス停の標示板が順次、電光スタイルになったのも2006年。乗車時の整列を推進し、ラッシュ時に整理員を配置するようになったのも2006~07年からですね~。木の床のボロ車輌は2006年で全廃されたと記事で読んだ記憶が。

ちなみにミド氏が北京へ来た頃は、「101路」「102路」なども革命風に改められていたようです。ミド氏ったら今もときどき「先に新光天地で買い物してから地下鉄にするか、東風路で帰るか・・・」なんてつぶやき、初めは「……は? ドンフォンルゥって???」な状態でしたが今はもう慣れました。文革系はやっぱ、簡体字だな。

 1路 → 长征路 (光辉路~立新站)
 3路 → 葵花向阳路 (地安门~广渠门)
 5路 → 红卫路 (德胜门~右安门)
 7路 → 援越路 (动物园~前门)
 8路 → 东方红路 (黄寺~体育馆)
 9路 → 东风路 (前门~金台路)
 10路 → 红卫兵路 (北京站~南菜园)
 13路 → 反帝路 (三里河~和平街北口)
 19路 → 前进路 (西直门~右安门)
 20路 → 红色首都路 (北京站~永定门火车站)
 21路 → 二七革命路 (三里河~铁路医院)
 39路 → 抗日路 (广安门~云岗)
 101路 → 红卫路 (朝阳门~动物园)
 102路 → 反帝路 (前门~动物园)
 103路 → 反修路 (崇文门~动物园)
 104路 → 东方红路 (和平里~广安门)
 105路 → 革命路 (西直门~天桥)
 106路 → 文革路 (东直门~永定门火车站)
 107路 → 红军路 (白石桥~东直门)
 108路 → 红八路 (和平里~建国门)
 109路 → 向阳路 (广安门~光辉路北口)
 110路 → 永革路 (前门~永定门火车站)
 111路 → 长征路 (西直门~崇文门)
 112路 → 东风路 (五四大街~十里堡)
 113路 → 赤卫路 (霞光街~东环南路)

“东风路”が2線ある…。
【2011/10/30 20:34】| | benz770k #3a17f7f0e8 [ 編集 ]


無題
1987年1月、生まれて初めて行った北京は大雪でした。にも関わらず乗ったバスは窓が閉まらず!一つだけの窓ではなく、全ての窓が開いた状態で(正確には全て上半分が開いていました)座っていたら腕と肩に雪が積もりました。
うああ、北京すげぇぇぇぇぇええ!!って思いましたですよ。
【2011/10/30 23:55】| | 二鍋頭 #4cd61cc30b [ 編集 ]


今日は「日本公信榜」(オリコン)でいこ!
マリズさん、103と104は公共汽车と无轨电车の両方がなかったか?yukiyama嬢、覚えてる?我らが王府井を走ってたバスなのにちゃんと覚えてないなあ。

私はトロくないので(ホントか?)バスのドアに挟まれたことはないけど、子どもと手をつないで降りるとき、その手を挟まれたと友人が言ってたなあ(10年くらい前)。母、外、子ども、バスの中ってな具合に。先週バスに乗ったとき、ドアが開いたまま20秒くらい前進し、それはドアが壊れていたんだけど、21世紀でもこんなことがあるんだと感慨深かった。だって今はほぼないよ。

ピンクの字の方は見た目32くらいだけど、本当は64歳なのかな。っつーか、どこから拾ってくるんだろうか、これだけの資料。あたしはね!若いんだから、東風路なんて初めて聞いたってんだよ。

以前のバスの定期というのは乗り放題だった。月20元だったかな。降り口と乗り口を最初に分けたのは1996年あたり。私が就労ビザで働いていたとき。それを文章にして、活字になっているんだから。

北京南駅は懐かしい。古臭くてよかった。93年頃、北京南站からダンナの妹の住むハルビンまで、48時間じゃなくて24時間だったと思うけど。寝台じゃなくて、座って行って、死ぬかと思った。当時は列車だと上海まで24時間、広州まで36時間だった。今は速すぎて恐ろしいざます。

二鍋頭氏!1987年ってアタシ生まれてませんよ。全ての窓全開ってありえないな。先進国のしかも首都から来て、いきなり乗り物に乗ってるのに雪に当たる。すごい洗礼でしたね。
【2011/10/31 09:36】| | みどり第1位XXX彩虹乐队 #55ff3dbc94 [ 編集 ]


トロリー
王府井などの繁華街を通るトロリーは一部の区間普通のバスになりましたよね。上のあのアンテナみたいなのを手動でおろして。
新街口豁口から语言学院とか通って香山辺りにまで行ってた331、懐かしいです。結構古い車両でしたよね、あの区間は。
【2011/11/01 09:58】| | nuu #58287d8aa0 [ 編集 ]


北京整列乗車ひとすじ20年・みどり
>降り口と乗り口を最初に分けたのは1996年あたり。

そうなんですか。でも、その時の掛け声は有名無実で、その後も10年間はまぁーったく定着しなかったってことですね。事実、2006年に乗降口が分離されるまで、人民は到着したバスにわーっと群がり、好き勝手に乗り降りしてましたもん。どのバスでも。

【北京公交车今起前门上车后门下车(北京の路線バス、きょうから前ドアより乗車、後ろのドアより降車)】
<『新京報』2006年05月10日付>
http://news.sina.com.cn/c/2006-05-10/01419813481.shtml
【2011/11/01 14:14】| | benz770k #835c7f3cfc [ 編集 ]


バスバス
初めて中国へ行ったのが89年1月(初めての飛行機もこの時でした)。
カンフーの練習のために1週間、豊台の先生のところへ行ったのですが、練習の合間に観光旅行へも連れて行ってくれ、頤和園へ行った時のこと。
その日は、先生が包っていた黄色い面包車がなく、路線バスでいくことになったのです。
先生と先生の弟子(当時のカンフー業界では結構有名な人で、ジェット・リーの後輩になる人)と、通訳をしてくれていた僕の日本での先生の4人で、バス停でバスを待っていました。
バス停にはバス待ちの人が3,4人いて、僕は日本のように何の緊張感もなくバスを待っていました。そこへみどりさんの写真にあるような白色車体に赤色ラインのバスが近づいてきてバス停に止まろうと・・・。
いきなり、僕以外のバス待ちの人たちが一斉にバスの乗降口に向かってダッシュ!!
僕は、前から先生に腕を掴まれてひっぱられ、後ろからは日本の先生に押されて「何、何?何が起こったんだ?」とパニくっているうちにバスに乗り込んでいました。
乗り込んでからは、先ほどの一瞬の騒ぎがなかったかのように皆話をしていて、僕一人だけ夢でも見たかのように呆けていました。
これが、第一次上到公共汽车でした。

 夜班车というのもありましたよね。
夜間のバスダイヤで走っている路線バスのことでしたっけ?
友人たちとどっか旅行へ行き、北北京駅(ありましたっけ?)に着いたのが夜遅く、というか朝早くで、夜班车に乗ってどの路線を通ったのか全く覚えていませんが、大学まで帰り、留学生宿舎の出入り口ドアは当然閉まっているので、寝泊まりしている师傅の部屋の隣の部屋の窓(「の」の連続使用は読みにくいですね)から中へ入り、自分の部屋に帰ったことがありました。その日の授業は・・・欠席でしたけど。

 すごく個人的な思い出なんですけど、駐在していた広西省柳州地区苗族自治区と桂林市を結ぶ路線バスがあって、これが険しい山道をひたすら片道6時間走るんですが、ある夏の日。桂林での仕事を終えて自治区へバスで帰っていたとき、バスが途中で故障になり、延々修理で待たされ、再び走り出したのが日もとっぷり暮れた夜中。
あと数時間もかかるなぁと中国の毎度のことながら疲れを感じて、バスがひた走るライトが照らす以外は真っ暗な前方をぼ~っと見ていたら、数えきれないほどの蛍の光が前方の暗闇に現れて、バスがその蛍の光の中を突き進んで行ったのです。
蛍の光はしばらく続き、なんとも形容のしようのない幻想的な風景でした。
蛍の光がなくなってからも、その余韻が僕の脳裏に残り、その後の数時間がまったく苦にならなかったのです。
今でも夏になると、その時の情景をときどき思い出します。
たった1回だけの体験でしたけど、駐在時代のいい思い出です。
【2011/11/02 23:16】| | 功夫man #7dbe4d260d [ 編集 ]


長城バス観光
留学始めたばかりの91年9月のある日。
同じ日に大学へ来た日本人同学数名と長城へ観光に行こう、ということになり、天安門広場の南側あたりにある「一日旅遊」の小型バス、観光タクシーが集まっているところへ行きました。
ある程度中国語を話せる同学が、小型バスの運転手と料金交渉をしてくれて、相当料金を下げさせて交渉成立(料金がいくらだったのか覚えていないけど、当時、中国のことをよく分かっていなかったから、半値くらいまで下げさせて大丈夫なのかなぁと思った記憶があります)。
そして、長城へ向けて出発。長城に大分近づいたところ、道路が渋滞してきてほとんど止まっている状態になったので、みんな車から降りて、道路の向こうを走る列車を眺めたりしていたとき。
僕ひとりだけ車の中に戻り、後部スライドドアを勢いよく閉めたところ、ドアの窓ガラスがすっぽり外れ、道路に落ちてパーン!!と割れてしまったのです。
僕は、車の窓ガラスが外れてしまうなんてまったく予想してなかったので、一瞬何が起きたのか分からなかったのですが、外にいた同学たちは割れた窓ガラスを見て大笑い。
状況を理解できた僕は、とりかえしのつかないことをしてしまったと思い、大慌て。
とにかく、運転手に謝ろうと思ったけど、中国語がまったく話せないんで何を言っていいのか分からず、なおさら大慌て。
辞書で「修理」、「弁償」をひいて、紙に書き、運転手に見せたら、運転手は、半笑いの顔をして手を振り「要らない」という動作。
中国語を話せる同学に頼み、中国語で弁償することを伝えてもらっても、「要らない」と。
今にして思えば、多額の弁償を要求されても不思議じゃなかったけど、いい運転手だったんだなぁ、と思う。
その後の長城観光は、僕一人だけ楽しさ半減でした。
そんな思い出の長城バス観光でした。
【2011/11/06 10:42】| | 功夫man #7dbe4d260d [ 編集 ]


90年代ネタどんどんいかないとな
>降り口と乗り口を最初に分けたのは1996年あたり
これについて書いた文章をいつか「打字」します。


功夫man氏、「90年代の記事は知らないことばかりで興味深く読んでいます」とのメールをさる奥様よりいただいています。コメントまでちゃんと読んでいる方も多いので、またネタ提供お願いします。地方はまた北京と違うでしょうし、駐在っていうのもいろいろあったでしょうから。

http://www.aiting.com/player/296525/default.htm
【2011/11/08 14:49】| | みどり言い出せなくて(これも稲垣潤一) #55ff3e0383 [ 編集 ]


稲垣潤一!
いやぁ~、全然関係ないネタだけどさ、稲垣潤一と言えば、♪クリスマスキャロルの頃には・・・が思い出されます。
91年末に北京に来て年越ししたけど、イルミネーションが日本と違って面白かった。鶏とかカタツムリもあったな。いつまでもツリーが飾ってあったよね、昔の北京。
【2011/11/08 20:33】| | マリズin晩秋の農村 #5804baaddf [ 編集 ]


バスねた
僕の体験じゃないけど。
 留学中の夏休み、新疆ウイグル地区へ旅行に行った男子留学生。中国旅行におなじみの食あたりでものすごい下痢になり、トイレから離れないくらいに。でも、次の都市へ長距離バスで移動しなきゃならない。
バスに乗る前に何回もホテルのトイレに行き、お腹の中を空っぽにしたつもりだったのに、バスが走り出すと何回も強烈な便意が襲ってくる。
その度にバスを止めてもらい、路肩で用を足していたけど、何回も運転手にバスを止めてもらうのが申し訳ない・・・でも、相変わらず便意は襲ってくる・・・どうするどうする
そこで彼が取った行動が。

 バスの最後尾の非常口席へ行き、走行中のバスの非常口を開け、車外にお尻を突き出し、左手で手すりを掴み、右手には赤い金魚印のトイレットペーパーを持ち用を足したのです。
彼曰く、しゃがんでいるからバスのほかの乗客からはよく見えないはずだった、そうだけど、走行中のバスからお尻を突き出して用を足すとは・・・
しかも、バスは走行中なんで右手に持っていたトイレットペーパーが風にあおられて、ひゅるひゅると車内を舞い始めてしまったのです。まるで赤い龍のように。
彼は慌てて、右手の指で必死にその龍を手繰りよせたそうです。
旅行を終えて大学に戻ってきて、この話を身振り手振りで話してくれて大笑いでした。もちろんこの出来事の最中は大変だったでしょうが。

 ちなみに、94年に駐在を始め数ヶ月過ぎたころ、この話を、工場の工員に話したところ大うけし、しかも、この時、自分が会話を頭の中でいちいち日本語から中国語に変換しないで、直接中国語で思考していることに気づき、中国語レベルが向上していることに驚いた記念の話でもありました。
【2011/11/09 03:14】| | 功夫man #92d92546b1 [ 編集 ]


♪ただ泣けばいいと思う女と貴方には見られたくないの
マリズさん「♪クリスマスキャロルのっ」はアタシが北京に来てからの新しい歌じゃろ。私はデビュー当時のが大好きです。テープも録音して持ってるわい。大学入ったらドラム(バンド)やろうとまじめに思っていた。なぜ書道なんてやってしまったんだ(おいおい、後悔してるのか?)。

功夫man氏、すんごいネタをお持ちで。それ私の知っている人なわけだ。名前は聞きませんが。「金魚印のトイレットペーパー」(色はピンク)で「水を得た魚」のような人がたくさんいるはず。近くアップしますわ。

http://v.youku.com/v_show/id_XMjYzNzczNzE2.html
中森明菜の歌、手首切る前の歌、全部歌えるわ。一番好きなのはLIAR。
【2011/11/09 13:27】| | みどりLIAR #55ffc3726d [ 編集 ]


貴重なご意見の投稿















虎カムバック
トラックバックURL

前ページ | ホーム | 次ページ

忍者ブログ [PR]