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ホテルでチェックアウトして、車ですぐの四川外国語大学成都学院へ。四川外国語大学は重慶にあるんだけど、成都キャンパスが成都郊外にある。まずは日本語学科の先生のところへ行く。主任に名刺を渡す。私の名刺は手書きで、携帯番号とメールアドレスのほかに「翠midori」と書いてある。これは微博のアカウントだ。主任が「私はみどり先生の微博のファンです」。えええ!ブログを読んでいる人にはさんざん会って来たが、微博を見てるとは初めて言われた。フォロワーを「粉丝」というが、ファンなのか、フォロワーなのか。
学内で昼ご飯。美食街というところがあって、大学内とは思えない楽しさ。 私たちが行った店はすでに予約がいっぱいで、店の入口にかろうじて席があり、座った次第。鍋の店だが、干锅(つまりスープなし)と汤锅から選べて、それぞれいろいろな味があり、具も選べる。先生にお任せして、この二種。 三人の先生と食べて、みな四川出身なのだが、一人「辛いのがダメ」と。ええ?四川で生きていけるの? 学内に私のお知らせが!翠(Midori)って書いてあるやん。 食後、先生の部屋に戻り、着物に着替える。いざ、出陣。 今回三つの学校へ行くのに、すべて日本語で講義するという話だった。ところが今回の受講者は1、2年生だという。1年生だとこの9月に入学して日本語を学び始めてたったの3カ月。私が普通に話して聞き取れるはずがない。でも、せっかく日本人の先生が来て、中国語ばかりで話したら、日本人が来た意味がない。で、混ぜた。 万葉集の時代はひらがながなく、中国から来た漢字を使っていました(万葉仮名)。 平安時代に漢字を崩した草書体からひらがなができました。そのときは一つの音に対してたくさんの仮名がありました(変体仮名)。 今の一音一字になったのは1900年です。 以上、簡単にかなの変遷について話す。続いて、かなの書き方。元の漢字、草書がこうだから、ひらがながこうだという道理を話す。 中国人ははじめに日本語を習うときに中国人の先生だからなのか、妙なひらがなを書く人が多く、日本人の「字が下手」とは違って根本的におかしい形だったりする。五十音図すべては教えられないので、私が書いた五十音図を配って、自分で書いて比べて練習してほしいと言う。 講義してるのにガンガン写真を撮れないので、このとき撮ったのは上の黒板と学生一人の作品。 微信や微博に載せることで本人に許可済み。この学生は私が言ったことを忠実に守っている。<>内は悪い例。 ・「と」の1画目は立てて長めに<1画目が短い> ・「な」の4画目は字の中心に<3画目と4画目が近い> ・「て」の横から曲がる線はなだらかに<「く」「し」に書く> ・「き」の3画目は曲線<直線> ・「か」は右と左に分ける<1画目と3画目が近すぎる> 「も」の筆順がまちがっている人がいたのだが、日本人で間違えている人もいる。「し」書いてから横2本だからね。 俳句が書き終わったら、折り紙で門松を折って、貼って、終わり。2時間弱。 着替える時間もなく、着物のままこの日の二回目の講座の学校へ移動。 <続く> PR |
木村拓哉が昨日、微博を開設した。フォロワー数が昨晩は2000くらいだったが、今見たら31万人。中国語で「我是木村拓哉」とか言ってる。キムタクの中国語を聞きたい人はここへ。
本題行こう。昨日の続き。 朝ご飯は后院へ。庭があって、なかなか優雅な空間なのだが、誰もいない。中へずんずん入っていて、朝食をとりたいと告げると、「你要面还是炒饭?」と聞かれる。朝から油っこいのは勘弁だと思い、「面」と答える。しかし、私はお腹を壊していた。朝ご飯なんて食べてる場合じゃなかった。でも食べないの悲しい。昼食まで我慢できない。それで少し食べようと思い、「半碗就可以了」と言い、トイレへ駆け込む。 戻って来ると、大きなどんぶりに麺が鎮座なさってた。半碗って言ったよね?どんぶりの中はネギくらいだったが、別にお皿に三種の炒め物が盛られていた。絶対無理。 私:我肚子疼。我吃一点就可以了。给我小碗吧。剩下的你可以吃吗? 服務員:可以 おいおい、食べるんかい!すぐに小さいお椀を出してもらって、本当に三口程度を取り、あとは厨房へ下げてもらった。麺は食べたら美味しかった。 食後、現地の先生が迎えに来てくれて、ホテルから徒歩すぐの「街子古镇」へ(ちなみにお腹はその後はまったく問題なくなった)。 街子古镇,位于四川省成都市崇州,与青城后山连接。有以晋代古刹光严禅院为中心的32座寺庙等古迹,五代时名“横渠镇”,因横于味江河畔而得名。 成都から50キロの崇州にある古い村。晋代にはこのあたりに32の寺があったというが、ここは2008年の大地震があった汶川から近く、被害も大きく、2年をかけて村を修復したという。 雨なのに結婚式。ご苦労なことだ。 寒い12月で平日だからか、観光客はほぼいない。両脇はすべて店、または宿。 字库塔。 日本語の長々とした説明があった。字庫とは保存と文字を書いた紙を焼却する専用施設であり、古来より、「敬惜字紙」の風習があり、「字を惜しみ、福を得る」と言われていた。街子字庫は清朝咸豊二年(1852年)に建てられ、六角五重攢尖楼閣式は高さ20メートル、仏塔の形をモチーフにして作られており、レンガの中は空洞になっている。外壁には《白蛇伝》断片と山水草花が浮き彫りされている。四川西区に唯一優美な字庫が残っており、街子の人々が学識を崇高し、優雅さを追求する精神を表現している。 2008年の地震のとき大丈夫だったのか? こっちの日本語はひどい。「タワーに傾く、近寄らない」。ゼンジー北京かっ! 塔の隣りで、鶏の首に輪投げ。怖いので遠くから盗撮。5回10元。首に入れらたら、鶏がもらえる。 今、動画で探したんだけど、鶏はうまく逃げるように仕込まれている?古镇现奇葩游戏,套玩具变套活鸡 さらに前進。 瑞龍橋、川のところで引き返す。トイレ1元と書いてある。誰に払うんだろう? 老舗汤祖麻饼で麻饼を買う。 しょっぱいのと、甘いのと。 その後、ちょっと休憩。叶儿粑で醪糟を食べる。 卵が普通は入っていて、10元。私はもうすぐお昼ご飯だと思って、卵抜き。8元。醪糟は米酒に卵と認識していたが、ここには小麦粉をこねたものが入っていた。 各テーブルにはコカコーラボトラーズの製品が! そして宿へ戻る。 今回はどこで観光時間がとれるのかわからず、このあたりのことは調べていかなかった。今後行く人は以下を参考に。 成都街子古镇有哪些景点2018 茶の利用の歴史「献上品」 四川の華陽国志館を訪ねる。 <続く> |
北京首都国際空港から四川航空に乗って、成都へ。機内のゴミ袋が可愛いので持って帰ってきた。日記にこの絵を描いたくらいだ。
そしてこの字がものすごく気になって、誰が書いたのか調べた。 杨超(1911~2007)原中共四川省委书记。 書家じゃなくて、偉い人か。中国では(日本も)下手でも偉いから題字を頼むことがあるが、この人の字は味があっていいと思う。 成都空港に着いて、お迎えが来る。宿泊するのは郊外の、講義する大学の近く。空港から1時間半はかかり、ちょうど渋滞がひどい時間帯だというので、先に晩ご飯。希望を聞かれて、私と北京日本文化センターの職員は「せっかくなので現地のものが食べたい。二人とも辛いの大丈夫です!」と言う。 四川の先生:冒菜を知っていますか? 私:知っています。でも、麻辣香锅との違いがわからない 先生:冒菜は汁があって、麻辣香锅はない 私:知らなかった 先生:麻辣烫もあります。何を食べたいですか 麻辣烫は私はこれまであまり食べたことないのだが、あれB級料理だよね?串に刺さった具材を選んで渡すと、厨房で辛く料理されて運ばれて来る。北京ではそうだ。 先生が「麻辣烫にしましょう!私たちは串串と言います」とお薦めする。百味记小郡肝砂罐串串(棕北店)へ。 実際出されたのを見ると、見かけは鸳鸯火锅だ。B級じゃない!冷蔵ケースから串に刺さった具、お皿にのった具を客が選んで、テーブルに持ってきて、涮する。この日一緒に食べた人はみな内臓系がイケてよかった!串は一本5角。二本刺さっているものあった(つまり1元)。写真を全部撮らなかったんだけど、すんごい串の数だったよ=たくさん食べた。 クイズ:上の真ん中の写真を見て欲しい。左:お茶。下:薬味。右は一人に一つずつ渡される。さてなんでしょう? 下の真ん中の写真の串の上にある白いのはドクダミ(中国語で鱼腥草)。日本人は食べないよね?北京で売っているのは知っているけど買ったことがない。食材コメンテーターのブログに「まずい!」と書いてあるが(記事はここへ)、この鍋では芋のような食感で、ちょっと漢方薬っぽい味だったけど、不味くはなかった。辛かったから? 食べるものが辛いので、甘いものを飲んだ方がいいと、私以外は「王老吉」。私は王老吉が好きでない。それで北冰洋(酸梅汽水)にした。 私にとって初めての四川。本場で辛い料理を食べる。覚悟をしていたが、この程度の辛さなら大丈夫。白い方のスープ(きのこ系)でもたくさん食べたけど。 ここから1時間以上乗ってホテルへ。途中から街灯がなくて、わずかに通る車のライトのみの明るさという、まっすぐの道が続く。両脇何もないの?っつーか、どんだけ遠くへ行くんだろう?と思った。 味江味花园酒店に到着。 ロビーが寒い。ホテルの人、ご苦労さま。部屋に入る。天井が高い。広い。贅沢だ。 しかし、寒い。部屋のカードを挿して、室内の電気が点くわけだが、日本のホテルなら暖房が入っている(北京も?)。カードを挿して初めて暖房がつく。30度、強風にしても、部屋が暖かくならない。部屋が広すぎるから?パジャマの上にバスローブを着て、靴下履いて寝た。翌日聞くと、同伴者も寒かったと。 夜、ちょっと散歩したが、飲食店があるくらい。 12月下旬。最低気温が5度くらいなんだけど、店はみなドアが開けっぱなし。南方ってそうだよね。寒いの平気? 朝ご飯は后院へ。池あり、亭あり。素敵な庭だった。 池に「本池鱼类只供观赏概不出售」と書いてあったけど、このあたり別荘地帯だから、金持ちが「その鯉、売ってくれ」とか言うんだろうか。 <続く> |
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地方ネタ。
1. 国内极有情调的10大免费旅行地,景色绝美不要钱 中国国内の観光地で無料で美しいところ。写真あり。 2. 绿皮火车最低票价2元,方便村民,鸡鸭猪都能带上去 绿皮火车乗りたい。動画6分半。 3. 一个非著名旅游博主抄来的警告,望各位童鞋深入学习,避免上当! 1. 不要接近峨眉山的和尚。 2. 不要接近崂山的道士。 3. 不要买九寨沟的牦牛肉。 4. 不要买三峡船上的玉器珠宝。 5. 不要在西双版纳参加“抢亲”游戏。 6. 不要在西安的古玩一条街购买古物。 7. 不要在大理购买所谓“老乡”的便宜珠宝。 8. 不要在阳朔的酒吧里消费。 9. 不要招惹泰山景区的当地人。 10.不要参观少林寺时走“捷径”。 11.不要逛十三陵“***” 玉石店。 12.不要单独去海南旅游。 13.不要在坝上草原骑马。 14.不要在吐鲁番买葡萄。 15.不要在深圳中英街购买任何物品。 16.不要参加北京当地的长城一日游。 17.不要在张家界住便宜小旅馆。 18.不要在井冈山为“老区 建设”捐款。 19.不要在杭州的娱乐场所消费。 20.不要在苏州的茶楼喝茶。 21.不要在丰都鬼城照“免费”像。 22.不要在北海乘坐摩托艇。 23.不要在北戴河吃海鲜。 24.不要在三亚海边接近小商贩。 25.不要随导游在呼伦贝尔草原上吃烤全羊。 26.不要在庐山乘个体计程车上山。 27.不要在宏村的路上坐计程车。 28.不要去黄山让人“免费带路”。 29.不要在千岛湖码头的排档吃鱼。 30.不要参观乐山景区周边的付费景点。 31.不要在郑州黄河游览区骑马。 32.不要到恒山算命。 33.不要随旅游团环游青海湖。 34.不要买神农架的土特产。 35.不要在敦煌的夜市吃地摊饭。 36.不要在花果山的海鲜一条街吃饭。 37.不要随导游逛清明上河园。 38.不要在南京做“免费美容”。 39.不要在上海外滩让人给你照数码像。 40.不要买“便宜票”看黄果树大瀑布。 41.不要随导游在香港买名表和珠宝。 42.不要投大钱在澳门赌博。 43.不要在威海韩国城购买没经狠杀价的商品。 44.不要在丽江洗桑拿浴。 45.不要到五台山的五爷庙烧香。 46.不要在平遥摸“鱼洗”。 47.不要在武夷山景区买茶叶。 48.不要在白洋淀景区买鸭蛋。 49.不要在乌镇让道士“免费看相”。 50.不要去太阳岛坐“热心人”介绍的船。 つまりこれらは騙される観光スポットということ。微博のコメント欄に「あとこれも!」って中国人の皆さんがどんどん追加している。たとえば……。 不要参加崂山一日游。 不要与西安兵马俑发现者合影要签名。 我在大雁塔吃面,25元,只有一口。 平遥鱼洗那个,摸一下5块钱,别问我怎么知道的。 北京は中央政府のお膝元だから、治安はいいし、観光地の乱收费もあまりない。地方はひどいと思う。アンケートまだやってるよ→こんな風に騙された。 |
地方の観光スポットへ行き、紹介している中国人、史里芬Schlieffe。
ここからどうぞ。 廊坊魔幻马戏团, 廊坊 盛世福地,保定 梦幻旅程,北京昌平 西游记去溜溜主题公园,保定动物园。 中国語の字幕があるから、わかりやすいと思うが。 |
天津博物館、デカイ。私が19年前に行った天津市芸術博物館と、天津市歴史博物館を一緒にして、天津博物館となった。
昔の芸術博物館はこんな南のほうじゃなくて、もっと駅に近い方にあって(と今調べて知った)、まわりが洋館で、雰囲気よかったのはなんとなく覚えている。 今じゃ、ボーン。大きいの大好き中国之一。 身分証、パスポート等を見せて、チケットを受け取る。無料。 体調悪いし、とにかく北京に帰りたい。私にとっての「是非これは!」しか見ない。 まずは《汉故雁门太守鲜于璜碑》。鲜于璜(44—125)。字はここで大きく見られる。天津で書作品といえばこれしかないといってもいいくらいの価値。逆にいうと(いわなくていいか)。 そのほかは趙孟頫。 王鐸。 絵画の部屋で、金農。 清初の六大家(画家)とか有名どころが展示されているけど、中国国家博物館、故宮など、北京にそんなのあまたあるから(私は恵まれたところに住んでいるから)、有難味がいまいちだ。 この部屋は「清代中期絵画展」だったが、西洋画みたいな絵があった。 作者が「五徳」。私はてっきり「ウッディー」かなんか外国人名を無理やり中国語訳したと察したが、中国人だった。生没年不詳。清代中期だとしかわからない。ほかは硯とその拓本展を見た。 天津博物館は四階建て。全部の部屋に行かなかった。展示内容は公式HPへ。 出たら、目の前が池(日本だと湖か)、右が「天津文化中心大剧院」。正面はショッピングセンター。右が天津自然博物馆。夏休みに入っているから、子どもが多かった。どの建物もいちいち馬鹿デカい。 徒歩+自転車でバス停天津文化中心へ。もう一箇所で天津旅行は終わりにしたい。641に乗って、东北角で降りる。 途中、バスの車窓からアンテナ張り続けているときに、古文化街みたいなところが見えて、降りた方がいいのかと勘違いしたのが鼓楼。ちょっと行きたかったな。 で、最後の目的地、古文化街到着。中国人に微博で「(書道やってるんだから)きっと楽しめる」と書かれた。でも、体調悪く、ろくに食べてない。帰りたい。足が天津駅に向かっていて、古文化街で何が売っていたのか何一つ覚えていない。 バス停を降りて、ここから入った。あ、写真見て思い出した。潘家园みたいだった。 娘が天津に行ったことのある友達に、天津で行くべきスポットを三つ挙げられ、それが滨海,环球购,津门故里。津门故里が古文化街だと現場に着いて知った。 ここを見終わって、携帯出して、微信で北京行きの列車を購入。1時間後発車にした。 さあ、バスに乗って駅まで!と思ったら、小銭がない。途中スポーツドリンク買って得た小銭で、すでにバスに乗ってしまった。もう自転車しかない。摩拜で駅まで行った。 向かって左の售票处に入って、闻询口/取票口と書いてある窓口に並ぶ。 順調に中まで入り、30分以上ある。食べたくない。ただ飲みたい。普段私が決して行かないスターバックスでアイスティー29元を頼む。考えてみたら、この二日であまりお金を使わなかったな。 本当は充電したかった。でも、スターバックスなのに插座がない。29元返せ! やけになって(?)、ウィンドウショッピング。メイソウのパクリ。メイソウでさえない悲哀の天津。 マンウォッチング。ここはビーチじゃないよ! 列車に乗り込み、35分で北京南駅に到着。着いたらすぐ窓の外が水だらけに。田舎者が「雨が降ってる!」と。 着いたとたん、列車の窓拭きが始まってた。 地下鉄乗って、足早に帰宅。痩せた。 <天津旅行記:完> |
天津に泊まった夜、寝られなかった。部屋にあったスンばらしいドリップコーヒーのせいだ。他に原因が見当たらない。私は横になると3秒で眠れる「のび太」体質。不眠症とは縁のない、図太すぎる神経、毛の生えすぎな心臓。私のこの38年(くらいだっけ?)の人生の中で眠れなかったのは4日くらい。あとのすべては横になって即爆睡。その4回目を天津で迎えた。とにかく寝られない。だるいから、起きて何かをする気にもならない。
睡眠時間4時間弱で起床。芸能人かっ! 娘は大学生なので、いろいろあるのよ。この日から別行動。彼女は朝6時過ぎの列車に乗る。時間にすごく余裕を持ったが、ホテルを出て、タクシーを拾った。心配だから駅まで付いて行った。5月に鄭州であったでしょ。スチュワーデス(死語)が滴滴车の運転手に殺された事件。地理のわからない地方。若く、長い肢体。娘を守るために付いて行った。 タクシーに乗るときに、運転手が「メーター倒さないで20元」と言う。高すぎるのがわかる。駅までは4キロくらいで10元以内のはず。でも次つかまるかわからなし、乗ってしまった。前日の夜わざわざ細かいお金は用意したので、1元札、5元札、10元札とちゃんと揃っていたが、降りるとき私は「18元しかない。20元ほしいなら、100元でお釣りちょーだい」と嘘をついた。初めは「しょうがないな。釣りを出すから待て」と言い、100元札を手に取った運転手だが、80元のお釣りもめんどくさいのか、どうせぼったくってるからなのか、100元を私に返し、18元を受け取った。 でもでも、その100元は私が渡した100元じゃなくて、自分が持っていた偽札とすり替えたんじゃないかと、気になってしょうがなかった。でも番号ひかえてないし、確認できない。その100元、今も財布にある。もうどれかわからない。怖い。 「ここが天津駅だ」とタクシーで降ろされた場所から、駅の入口までかなり歩いた。これは仕方ない。すごく近くまで車は入れない。 娘は微信で列車の切符を買ってあった。そして紙の切符を受け取るため、発券機のところへ行く。身分証、パスポートをスキャンすればいいんだけど、全然反応しない。機械が並んでいるのみで、駅員がいない。どこへ行っていいかわからず、ウロウロ。私、いてあげてよかった。 天津站と高々と書かれているのが、駅の中央。向かって左側に「售票处」があって、その中に娘が入る。駅員がいれば大丈夫。自分で聞けるから。しばしの別れだ。私はホテルへ戻るべくバス停へ。数分後に「入ったよ」と連絡が入る。 ホテルに着いて、朝食。寝不足だから、食欲なし。でも何も食べないのもよくないから、むりやりお粥をすすって、お皿にとった小さい油条と小さい包子を内緒で持ち去る。 ホテルにバイバイ。最後の最後は駅に戻るので、駅から遠い方へ行きたい。まず天津博物館へ行って、そのあと周恩来記念館に行くべく、バスの路線を調べてあった。でも、ホテルから五大道が非常に近いので、自転車で行くことに急遽変更。 五大道是迄今天津乃至中国保留最为完整的洋楼建筑群。五大道地区拥有上世纪二、三十年代建成的具有不同国家建筑风格的花园式房屋2000多所,建筑面积达到100多万平方米。其中最具典型的300余幢风貌建筑中,英式建筑89所、意式建筑41所、法式建筑6所、德式建筑4所、西班牙建筑3所、还有众多的文艺复兴式建筑、古典主义建筑、折衷主义建筑、巴洛克式建筑、庭院式建筑以及中西合璧式建筑等,被称为万国建筑博览苑。 洋館が並ぶ。ネットで「ここを見ろ」的指導もあったが(たとえば「五大道游玩顺序?」)、それを参考にもせず、自転車で適当に回る。 ここ↑に和食屋があった。饭之屋(大众点评)という日本人ではつけないような店名。こっち↓は民园广场 え?ここにもある?陶器がついてる家。 説明を見たら、「疙瘩楼建于1937年,是意大利建筑师鲍乃弟设计楼」。外に「改装中で参観できません。参観は瓷房子へ」と書いてあった。あれの仲間か。ここは一部レストランになっている。 馬車が走っていた。80元で30分案内してくれるらしい。ここがどんなところかだいたい分かったから去る。 バス停外国语大学の前に外国语大学があって(当たり前だわな)、いい感じの建物だった。そこで871に乗って、周邓纪念馆で降りる。周恩来纪念馆の北門の目の前なんだが、入口は西門のみ。歩けるけど自転車に乗った。 周恩来纪念馆がこんなに大きかったとは! 身分証、パスポートを見せて、券をもらう。入館無料。そこは長蛇の列。 朝ご飯をろくに食べてないし、寝不足だし、気温は高いし。もう北京に帰りたい。一応1、2階は通って、展示はちゃんと見ず、3階も行かず。建物出て、敷地の一部に中南海にある西花庁を再現したところがあり、10元払って見られる(11時半から1時間閉まる)。行かなかった。 記念館を出て、あ、また小銭がない。無理やり飲み物買って、1元コインを入手。自転車でバス停「手表厂」まで行って、47に乗って、「天津博物馆」で降りる。 <続く> |
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