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今年、今年って西暦でいう今年、初めて美術館へ行き、街歩きした。
地下鉄「西四」で降りて、お昼を食べるところを探す。まだ春節の連休で開いている店が少ない。 この店は1日も休まない。 卤煮炸酱面は好きだが、前日「肥肠」を食べているので、やめた。食べるものは卤煮と炸酱面しかない。 北上。ここへ入ってみる。 牛肉拉面。18元。味はいいんだけど、胡椒入れすぎ。これは誤って入れたレベル。スープが飲めないくらいだった。 北上。この北京工艺美术服务部は私が留学している時からあって、当時はたまーに書道用品を買いに行った。今も看板は出ているものの、玉しか売っていない。 什锦花园胡同を西へ。百度で知ったのだが、19号四合院为区级文物保护单位,这座四合院建于清末,曾是戴笠之宅。 43号院是民国时宏仁堂老药铺旧址。 入れない。こういう閉め方は胡同では珍しい。 後ろからうるさい音がやってきたなと思ったら、散水車だった。 什锦花园胡同を歩いてみたかったのは、今読んでいる本にその記述があったから。『北京横丁』(東建子著、1905-1981年、日本人ジャーナリスト) 要約すると「什錦は十景のことで、十景園という公園があった。堂が三つもあり、樹齢4.500年の槐があり、弓を射ることもできた。そして蝶仙を祀る祠があった。毎夏、雨がザーッと降って霽(は)れた後、明代に殉職した夫婦の霊である黄白雄雌の蝶が現れた。」 西へ進み、大佛寺东街に続く。大佛寺があったのだが、今はない。ここは今は北京医院期刊编辑部と民家になっている。 承恩公志鈞宅。志鈞(1866-1921年)は光緒の進士。 東に戻って、大佛寺东街を南下。 7−11だとわかるまで時間がかかった。看板なし。グレー、あまりにもグレーだ。ここからすぐの中国美術館へ。 <続く> PR |
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