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ダンナが退院したところから続く。 どうせ私らは帰る家が違う。離婚証を受け取ったばかりの元夫婦のように、ここから別々の道を歩む。 私は通ったことのない道を歩きたい。ここらへんを散歩しようと思った。「先に帰って」と言ってるのに、「このあたりは何もないぞ。地下鉄乗ろう」と言う。「じゃあ教会に行ってみようよ。古いのがあるんだよ。中には入れないけど」。そして徒歩3分の教会へ。 開いてた。敷地に入ると、おばさんが出てきた。「キリスト教に興味がありますか?」。ダンナは自分しか信じない。私もみどり教以外信じない。私が「いえ(ここははっきり否定)。建築に興味があるんです」。「中へ、どうぞ」。 そのおばさんはいろいろ説明してくれた。「このあたりは全部アメリカ人が建てたんです。孤児院も病院もあった。中国への貢献は大きい」。教会は1870年に建てられたが、義和団の乱で壊され、1904年に再建。当時は牧師の住宅、墓地もあり、北京ではかなり古い学校“汇文学校”もここに開校した(これもアメリカ人が創設)。汇文は今は中学、高校しかないが、当時は小学校から大学まであり、そのうち、大学はほかの大学と合併して、燕京大学となる。 ダンナが「王府井の教会も古い」と言うと、「あちらは天主教。こちらは基督教です」とはっきり言われた。すんません。私ら「建物、古いなあ。趣あるなあ」という目でしか見てないもので。 「どうも有難うございました」と去る時に「耶稣爱你」と言われた。そして「信自己」とも。私とダンナの性格からして、「信自己」だな。これ以外の散歩を阻止され、一緒に地下鉄に乗ったわよ。二人で地下鉄に乗るなんて、最初で最後かも。以下、ダンナ入院中、一人で歩いたところ。 船板胡同。造船所があったので、この名前に。 船板胡同を東に進み、バス通りまで出ると、北に進み、西に戻る。西镇江胡同。 同仁医院、そして北京駅が近いので、安い旅館が多い。 后沟胡同を南に進むと、上記の教会がある。 教会の南は中学。 ダンナが入院した、元ホテルの同仁医院東区。このあたりに立派な四合院があって、病院から見えると聞いたのだが、病室がそっち側でなく、見ることができなかった。 あとで地図つける。 PR |
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