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今年は1月30日が旧暦の大晦日。朝9時半の電話はダンナからで、「いつ迎えに行く?」と殊のほか張り切っている。そりゃーそうだろー。自慢の新車なんだから。11時、ヤツはやってきた。そして初対面。 写真はイメージです(イメージか妄想かは明かすまい)。
ダンナ:嬉しいでょ?誕生日プレゼント。 私:私のじゃないし。 ダンナ:(子ども達に)嬉しいだろ?捷达(これまでの車)とこの車どっちがいい? 息子:兰博基尼(Lamborghini) ダンナ:それはおまえが大きくなったら、パパに買ってくれ。(娘に)どうだ?前のよりいいか?狭くなっただろ?(ツードアのヤツなもので) 娘:狭いとは感じないな。静香、大きいの嫌いだから、家も。 あー、よかった。娘、日本語で言って。大きい家嫌いって、私からの遺伝? 午後、ダンナの友達が赤い紙を持ってやってきた。アタシに字を書けと。
我が家の分はじいさん、アタシ、娘でせっせと貼った。計4カ所。
私に字を書かせたその画家が「今日5時から、一緒に行こう」と、画家村の年越しパーティー(昨日記事にしたヤツ)に誘う。ダンナは「家にいろ」と言ったが、友人が「俺だって奥さんと子ども連れて行くんだから」。で、私も子どもも行くことになった。私、このパーティーへ行くことをばあさんに言うの、非常に躊躇した。昼ご飯の時、ばあさんは張り切って「夜は魚。年年有魚って言うでしょ。あとは山东炒肉と……」。 実はプチハートのアタシ、申し訳ない心持ちでやっとのこと告げると、ばあさんは私の心配とは裏腹に「行ってきなさい。ああいうところはね。ヒトが多くて食べられないの。それに大人は遠慮しがちだから、(娘に)子どものアンタたちがたくさん食べてきなさい」(おいおい)。 夕方5時から始まってせいぜい2時間。友人の子どもなんて小学生だから、長居しないはず。こうして果たして7時に帰ってきた。しゃべっているダンナをそこに残して。料理は十分にあったんだけど、ばあさんの作った方が待っているから、私も娘もあまり食べなかった。 家で私達が食べ始めて15分くらいたったとき、ダンナが韓国人を一人連れて帰ってきた。アーティストインレジデンスで北京に1月に来たばかり、滞在1年の予定の韓国人で、ダンナがアーティストインレジデンスで韓国に行ったとき、二人部屋で、ルームメイトだったという。 韓国人、中国語はできない。英語で話し始めたが、日本人でいうと、中一の5月くらい?単語しか発しないので通じない。英語ができないにも限度がっ!ダンナが韓国へ行った時は、ジェスチャー、そして絵を描いて、コミュニケーションを図っていたという。二人とも画家だもんね。絵は上手い。 うちのダンナは去年大手術してから酒を断った。その韓国人、白酒とか高い度数のを飲んで酔っ払って、すぐ就寝。うちに泊まったのよね。8時に寝た。8時といえば春晩(大晦日番組)が始まる時間だ。見ようかなと思ったら、ダンナの友達が夫婦でやってきた。私はダンナの友達(中国人)の中でも私を外国人扱いしないでどんどん話しかけてくる人が好きだ。妙に外国人であることを意識して、私への質問を私の目の前でダンナにしたりする人もいるのよね。あと、存在を無視するというか、私に話しかけないヒト。このときは結構長くしゃべって、11時頃去っていった。 餃子を作り始めた。コインが見える。年に一度の大行事。春節で一番嫌なこと。 コインが入った餃子に中ったヒトはその年、金運がいいという迷信 。どんなにきれいに洗っても、お金が口に入ると思うと、食事のとき気が気でない。中らないように小さいのを選んだのに、中ってしまった運の悪いアタシ。ばあさんの「よかったねえ」という顔が憎らしい。 12時近くに一家総出で庭で花火と爆竹。私、ダウン来てても寒くて、外にいられなかった。 この中国の旧暦による年越し、日本人の私は全然そーゆー気分になれないし、爆竹がうるさくて、銃撃戦か!ってくらいのうるささなので、毎年一人で怒っていた。でも、今年は銃撃戦を平常心で聞き、篆刻やってたんだけど、ああまた北京で年を越したんだなという実感をひしと噛み締めた。
追:買った車はツードアだけど、ランボルギーニという名前でなかったような。 PR |
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