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お湯がグラグラ沸いている中華鍋の蓋を開けようとしたら、蓋の取っ手が壊れていて、蓋がずれた。指をお湯に突っ込んだのではないが、蒸気が直接当たって、やけどした。
すぐに保冷剤を手の甲に乗せ、冷やし続けた。以前もやけどはしたことがあるが、そうやって冷やせば、熱さがひき、自然と治っていた。ところが今回は保冷剤を外すと、痛い。非常に痛い。しびれる。 病院レベルだ。保冷剤を甲につけて、包帯で巻き、バンドエイドで止める。保冷バックに保冷剤を複数入れ、自転車に乗って、近所の総合病院へ。 受付で「皮膚科」というと、「专家」しかいなくて、40元。高っ!診察室に入ると、皮膚科は中医皮膚科しかないとわかる。先生が「外科に行って」と。 また受付に行くと、外科は「专家」じゃないので、20元返してくれた。 外科へ。 おじいさんの先生が座っている。まあ、おじいさんっていっても、私より10歳くらい上かな。中国の老人って真っ黒に染めている人が多いけど、茶色だった。相当おしゃれ? 医者:どうしたの? 私:鍋を沸かしていて、蓋が壊れていて、手はお湯に入れてないです。蒸気で 日本語でもよう説明せんわ。伝わったか心配。 診察は、皮膚見て「薬出すから塗って」。おいおい、それだけかい。すでに水ぶくれができていたが、「つぶすから明日来て」。話してて、私の中国語が北京人には聞こえない。 医者:どこの人? 私:日本人です 医者:へえ この日はこれだけで終わった。塗り薬1本が109元もした。高い。帰宅して、保冷剤に別れを告げ、薬を大々的に塗る。痛い。痛いの嫌い。これは寝てしおう。昼寝をちょろっとして、起きたら、痛みはなくなっていた。 翌日。痛みはなし。病院に行こうか迷った。ネットで見ると、「やけどの水ぶくれはつぶさないで!」VS「つぶしたほうがいい」。リテラシーという今時の外来語が頭に浮かぶ。どうしたらいいんだろう。やっぱりちゃんとプロに診てもらおう。 20元払って、茶髪先生のところへ。私の診察手帳がその病院の古い版。 先生:これは博物館行きだな。いつのだ? 私:32歳と書いてありますよね。だから10年前(たまには詐称も) 先生:これは私も見たことないよ この後、三回は「博物館行きだ」と言った。手を診る。 医者:看護婦さんにやってもらうから、まずは払って来て 私:あの昨日出してもらった薬、高いですね 医者:うん。香油が入ってる え?そこ?え?それが大事?ゴマ油ならうちにありますけど! 24元を払いに行く。看護婦さんにきれいに水を出してもらって、消毒。その間、先生は暇なのかやってきた。 医者:北京にはいつ来たの? 私:91年です 医者:じゃあ、7.8年? 私:いや、二十、、、 医者:え?30年じゃないか。家族は?中国人? 私:そうです 医者:何してるの? 私:書道を教えています 医者:そうか。日本人だからな。日本語を教えているのか そういうことにしてやる。 先生が去って、治療中。看護婦さんが「端锅(お鍋を運ぶ)時にやけどしたんですってね」。 そういうことにしてやる。 私、丈夫だから、めったに病院に行かない。行くような体調にならない。ダンナは近くにいないし、娘もボランティアで地方に行ってる。一人で病院行って、帰って来て、一人でご飯作る。すべて左手で。頑張った。 でも二回泣いたよ。誰かいたらなあって。本当に涙が出た。 なんでも自分でできるもん。できるけど、ダンナに惨状を知ってほしく「烫手了」と微信で連絡した。ダンナは字を打つのが面倒くさいから、すぐに電話してくる。「必要なら、俺は帰るぞ」。断る。そんな王画伯に来ていただかなくても。それほどひどくはない。電話切って、また涙が出た。家族がいてよかった。もっとひどいとき、来てもらおう。 そして翌日、アトリエに行った。 PR |
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「滨江道」へ。一部が1886年に作られ、1946年に南まですべてつながり、全長2094mに。元はフランス租界、今は商店街。
2キロ、歩かないアルよ。好きなところで降りていい便利な車。一律3元。 ![]() (ネットから拝借) 一番前に座ったアル。 ![]() 運転手のおじさんが「俺様の車が優先だ」と言わんばかりに、前に人が歩いていると、「おらおらおらーどけどけどけー」って叫ぶんだけど、この車の名は「文明号」。文明の意味を教えてあげようか?? 劝业场で降りた。 ![]() 隣が、元「惠中饭店」。惠中饭店について詳しくは中国語の記事でここへ。 ![]() 向かいが元「浙江兴业银行」。 ![]() 四つ角の一つだけは撮らなかったが、そこだけ新しい建物だった。劝业场の写真を撮っている時、外に立っているおじさんが「この建物は古いよ。こっちも。こっちも」と説明してくれる。ボランティアの人なのかな。それ以上は何も言わなかったが。 で、劝业场の中に入ってみた。 ![]() 日本橋高島屋のようだと思った。喉が渇いて、地下へ行く。フードコートがあるが、ここって人くるのか?と疑問に思うほどの寂れよう。桂花乌梅饮を買って、出る。 近くに「麻花」屋。 ![]() かりんとうのデカいのと言ったらいいか。天津名物のお菓子。買う気はなかったけど、店の外が派手で、中を見たかった。入ったら、店員が「カモ」を見る目で「要什么?」とうるさい。お客じゃないと思うけど、店の外観くらい華麗な刺青のおじさんが入口に座っていて、怖かった。 自転車に乗って「瓷房子」へ。何年か前、日本人が行ったと写真をどこかに載せていて、初めて見たときは「インパクトのある建物だな」と思った。わびさびから一番遠いところにある、日本人の趣味じゃない、変わった建築。 ![]() ![]() 瓷房子的前身是栋法式小洋楼,系20世纪20年代后期所建,建筑面积4200平方米,经查,该房系近代中国外交家黄荣良故居。 50元を払って参観可。50元って安くない。娘と入ろうか迷って、止めた。それを微博に書いたら、天津に住んでいた中国人女子から「我觉得还是值得一去的」とコメントされた。 张连志という人が、築100年のこの建物を2002年に3000万元で買って、装飾をどんどん足していっているので、まだまだ建設中。あれと同じよ。「サクラダ・ジュンコ」じゃなくて、「サグラダ・ファミリア」。桜田淳子を介さないと、このスペインの固有名詞が出てこない昭和なアタシ。 瓷房子使用了四千多件古瓷器、四百多件汉白玉石雕、7亿多片古瓷片、13000多个古瓷盘和古瓷碗、300多个瓷猫枕、300多个汉白玉唐宋石狮子、300多尊历代石雕造像、20多吨水晶石与玛瑙。 陶片が7億余りって、数えたの?暇だなあ。金持ちの無駄遣いにしか思えないけど、それは貧乏人の考えなのか。 中国語の記事で中の様子がわかる。价值81亿元的瓷房子 さて、ホテルまでバス+徒歩より、自転車の方が早い。途中の街並み。 ![]() これ、あれみたい。ほらほら。サモトラケのニケじゃなくて(さすがに今回は言い張らない)、ロマン主義のイギリス人画家、ターナーの絵。 ![]() 1日歩いて(ほとんど自転車に乗って?)やや疲れた。ホテルに着いて、シャワー浴びて、まだまだ出かける。 <続く> |
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芸術関係でチェックしているところ。
・ふじのアートヴィレッジ ・『ルーヴル美術館展』 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか 国立新美術館 5月30日~9月3日 ・『ミケランジェロと理想の身体』国立西洋美術館 6月19日~9月24日 ・『イサム・ノグチ ―彫刻から身体・庭へ―』 東京オペラシティ アートギャラリー 7月14日~9月24日 ・『建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの』 森美術館 4月25日~9月17日 ・『東京150年』 8月7日~10月8日 江戸東京博物館 ・『書物工芸 —柳宗悦の蒐集と創造』 日本民藝館 7月3日~9月2日 ・『オープン・スペース 2018 イン・トランジション』 NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)6月2日~3月10日 なんかあったらここに足す。 |
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夏、久しぶりに家族四人で帰国するチケットを買った。そして、私が行ったことのない新潟へ行くことにした。私が車を運転しないという難点があるのだが。
目的は3年に一回の「大地の芸術祭」。 <アクセス> 東京ー上野ー越後湯沢 ・上越新幹線時刻表 越後湯沢ー十日町 ・北越急行ほくほく線 時刻表 <十日町> ・十日町観光協会 ・越後妻有里山現代美術館 ・「光の館」ジェームズ・タレル ・まつだい「農舞台」 ・「棚田」イリヤ&エミリア・カバコフ ・「鉢&田島征 三絵本と木の実の美術館」 ・「脱皮する家」 ・「星峠の棚田」 ・「たくさんの失われた窓のために」 <車なし参観> ・2015 新潟 十日町 高速バスで大地の芸術祭 初日 2日目 <地図> ・白地図 ・手書き <コース> 1日でまわるオススメコース <宿> ★部屋あり ・貸民家みらい 満室 ・夢の家 満室 ・オーストラリア・ハウス ・うぶすなの家 芸術祭会期中は宿泊不可 ・十日町ふれあいの宿 交流館(十日町駅より徒歩8分。築40年) ・百年の館 8月10日以外満室 ・旅館清水屋 駅から徒歩2分。6000円。満室 ・温泉御宿 龍言 「六日町駅」より徒歩20分 15000円 ・山の家(ドミトリー) まつだい駅から徒歩5分 ・林屋旅館 6000円~ 十日町駅より車で20分 ・ベルナティオ 2万 ・農家民宿大地 ★ 魚沼中条駅 ・旅館明星 ★ まつだい駅からバス25分 10600円 ・雲海 ・農家民宿もりあおがえる(津南) ・ホテル 2015 ・大地の芸術祭 宿泊〜予約可能な穴場のホテル・旅館〜 <食> ・よしや(十日町)そば ・そば処 松苧(十日町)水曜定休 ・カールベンクス古民家レストラン『渋い』月曜定休 <まとめ> ・2018年夏【大地の芸術祭】新潟十日町で開催!宿泊施設&アクセス、楽しみ方総まとめ! <記事> ・越後妻有アートトリエンナーレ2006 ・大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2018 里山を巡るアートの旅を楽しもう まだ宿をとってない。もうないか?新潟行くならあれしろこれしろ。なんでもいいので、情報ください。 ホテル最安値を探す。アゴダ 追記:いただいた情報をどんどん追記 ・棚田 ・村上市 ・新潟市水族館 マリンピア日本海 ・魚沼の奥只見湖 ・津南のひまわり畑 ・松之山のブナ林 ・十日町の清津渓谷 ・直江津の上杉謙信の山城 ・海なら柏崎、佐渡 2018年11月追記: 雪ふるさとの移住嫁 |
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溥儀故居を出て、何か飲みたい。いつもはネットで探すけど、こんな人の多い観光地の近くにないわけがない。すると、徒歩30秒で道路の向かいにカフェ(甘COFFEE)を発見。
![]() 脏咖啡(北京でいうところの「污咖啡」)を注文。なんで中国人は「きたない」の好きなの?っつーか、頼むアタシもアタシ?でも、これは好き。 壁に天津旅行マップが貼ってあって、写真を撮った。少し参考になった。 溥儀の故居静园で見たビデオの中で、「静园の前は张园に住んでいた」と言っていて、そこへ行ってみたいと思った。そしたら、とても近い。 高德地图を見ると、近所に天津日报美术馆がある。新聞社の美術館なんて行ったことがないので、向かう。看板だけはあったが、開いてなかった。 ![]() そして张园に到着。25元。静园より高い。 ![]() 张园是清代两湖统制张彪于1915年所建的豪华宅院。1924年冬,孙中山应冯玉祥将军邀请,偕夫人宋庆龄北上商谈中国统一和建设问题,由上海绕道日本到天津后,下榻于此月余。1925年,清逊帝溥仪从北京逃至天津,也曾居于张园。 孫文も住んでいたことがある。全部見てたら、キリがないので、入らなかった。あとで知ったが、ここは今年3月に公開されたばかり。 カフェの地図に載っていた教会を見てみたいと思い、自転車に乗って、向かう。 高德地图が間違っていた。私はかなり地図が読めるオンナ。もっと前進したらあるはずなのに、左手に教会が見える。すごく立派。教会は二つもあるのか?地図には従わず、見えた教会のほうへ向かうと、すぐ隣の小区の入口しかなく、住民じゃないと入れないようになっている。保安に「あの教会は西开教堂ですか」と聞くと、「あれはフランスのだ。この中は入れないよ。教会に行きたかったら、ぐるっとまわらないと」。やっぱり二つあるのか?別のでもいいや。そのフランスのにぐるっと遠回りしてたどりつく。書いてあった。西开教堂。 ![]() なんで地元の人、正確な名前を知らないの! ![]() 西开教堂是民国五年(公元1916年)由法国传教士杜保禄(Paul-Marie Dumond,1864~1944)主持修建;建筑面积1891.95平方米,可同时容纳1500人,平面呈十字形。 信仰心ゼロの私でも、こういう厳かなところへ来ると、心が洗われる。ただし、勧誘されると困るので、建築様式をしっかり見て、去る。 そこから自転車で伊勢丹へ。徒歩範囲だが、最高気温36度だったから、とにかく乗る。 ![]() 地下でたこ焼きを焼いていたのは、日本人だったと思う。特設会場で日本展といって、日本の服、雑貨など少し売っていたが、私が買いたくなるものはなかった。 <続く> |
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起士林での昼食後、徒歩すぐの地下鉄1号線「小白楼」駅から二つ目の「鞍山道」で降りる。そこから自転車に乗る。
すぐに日本家屋を発見。 ![]() 原武德殿,是为日本人举办演武大会的场所。现在是天津医学院图书馆。建物の中に入ろうとしたら、カードをスキャンして入るようになっている。医大の図書館だから、関係者しか入れない。 ここを右折して、目的地へ。ここのブログで情報を募集したときコメント欄に書かれた溥儀故居(静园)。 ![]() 20元を払って入る。 静园初名乾园,为北洋政府驻日陆宗舆宅邸,1929年—1931年,末代皇帝溥仪于此居住,更名“静园”,寓意“”。静园主体建筑属于折中主义风格,带有日本木构建筑特点和西班牙建筑的样式。<出自百度百科> 元は北洋政府駐日公使だった陸宗輿の邸宅。1929年から1931年に溥儀が住んだ。日本式+スペイン式建築様式。 ![]() 溥儀と婉容がお迎え。いやいや、おかしいから。溥儀の顔は細長いんだから!私は一連の「萌萌哒」シリーズが大嫌い。故宮にもあるよね。これ系のグッズ。 敷地右が資料館。中国語、英語、日本語とあり、日本語が日本人がチェックしていないレベル。 ![]() ![]() ![]() ![]() 五列目、左から二番目が吉田茂と言われても、どれが五列目?ちゃんときれいに立って欲しい。 ![]() 最後の「歩んでいこうと思います」の主語は誰?この文章を書いた人だと私は思うな。 10分くらいのビデオがあるから、見ると理解が深まる。涼しいし、座れるし(目的はそっちか)。ここを出て、正面の建物へ。 ![]() 一階入ってすぐ左。ここから「静园」と名付けたとビデオで言っていた。 ![]() ![]() 婉容卧室 ![]() 溥仪卧室 ![]() 夫婦なのに寝室が別。うちみたいじゃないか。うちは寝室どころが、家が別だがな。 溥仪书房 ![]() 三階建てだが、三階は立入禁止。出る。 庭もいい感じ。 ![]() もう一つ小さな展示室があるのだが、民家を経て、中国語でいうと腾退。つまり追い出して、2007年にこのように修復したというのが写真で対比されている。 ![]() ここの場所に確かに溥儀が住んでいたんだけど、この写真見たら、今のは作り物なんですと主張されているみたいで、興ざめした。でも、それはあくまでも第三者の勝手な意見だ。北京でいうと、胡同がどんどん消失して、街がつまらなくなると、みなよく言う。でもそれは仕方ないと思っている。人口が増えて、いろいろな意味で進歩して、100年前と同じ道や家は無理だ。 ここも「溥儀が生きた空間」として、素直に参観すべし。 <続く> 追:このあたり、日本の租界だったのだが、いい記事を見つけた。「旧租界に残る近代日本:旧武徳殿と静園」。 |
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高考が終わって、点数が出て、希望の大学(学部)を6つネットで提出。そして大学が決まったのが二週間くらい前。うちの息子は4月の時点で、美大の実技の結果が出て、浪人が決定。
でも6月の高考は受けた。SATみたいに来年に使うことはできないので、来年も受けるんだけど、自分がどのくらいの点数なのか知りたいから、4、5、6月と毎日高校に通った。最後の最後まで高校が受験勉強してくれるので、有難い。来年は自分で勉強しなきゃいけないわけだから。 国美校考最后一轮阅卷,为你揭晓高分卷的通关之路 この記事に動画もあるので、中国語の勉強にどうぞ。下に記事があるけど、写真も見てほしい。私、暗記しちゃったよ。当時ニュースになったし。杭州の中国美術学院、受験者数7万8000人。合格者は1621人。え?何倍?? 試験官も大変。低头族になる。体育館の中なのに、1日2万歩歩いたとか。受験生の絵を見て↓ 第一段階 合格、不合格に分ける 第二段階 合格の中からA、B、C、Dに分ける 第三段階 A、B、C、Dすべてに点数を20数人の試験官がつける このあとまだまだあって、敗者復活まである。興味ある人は記事読んで。 中国のビックリなところは、点数をすべて知らされる。どの美大も実技が三科目あって、その三つの点数、そして合計点が通知される。 中央美術学院、中国美術学院はレベルの高い美大なので、点数が出てすぐに、各美大予備校が合格者の名前と三科目の点数、順位まで発表。「うちはこんな優秀な子を出しました」って。 競争の中にいることを否が応でも感じさせられる。親のアタシが。「息子ちゃん、頑張れ」としか言いようがないわ。 美大受験は志望する大学個々の試験を受け、合格者が発表され、そのあと高考を受けて、また一部落とされる。絵だけ上手でも、勉強できないとダメってことだ。 息子の高校のクラスの子達。留学に行く子、特に専門分野を学ぶので大学に行かない子を除き、大学に進学するんだろう。微信のクラスの子のグループでは、いい大学に受かった子が毎日嬉しそうに報告するらしい。うざいな。でも、言わない子のほうが多いから、どこに受かったか知らないという。私も自分が高三のときのクラスの子、親しい子以外はどこへ行ったか知らないわ。 以下、一般的な高考のニュース。 高考结束夫妻扎堆离婚 有多少父母是“为了孩子”在凑合? 動画48秒。 中高考以后だって。つまり高校受験、大学受験の後に離婚。 コメント欄にこう書いてあった。作为一个从小就是三天一小吵五天一大闹的家庭里长大的人 在这里劝各位父母 你们 要离赶紧离 别总说为了孩子 你当我愿意天天看你们吵架?然后总说 如果不是为了你 我早离婚了???长痛不如短痛 こっちは大学生の話題だが、期末テストの様子。 一页开卷!大学考试允许带“小抄” 学生“控诉”:还不如闭卷 闭卷と开卷があるが、持ち込み可の場合は、二日寝ないで資料を手書きする学生もいる。コピーだめ、貼り付けダメなので、100%手書きにしないといけない。こんなの普段からやっておけばいいんだよ。え?アタシの大学生のとき?だって日本の大学、期末テストのストレスないもん。理解できないわ。 受験生の母親、まだまだ続く。 |
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ホテルをチェックインして、荷物を置いたら、さあ観光に出かけよう。このとき予習がまだ十分でなかった。
・古文化街 ・五大道 ・海河 ・天津博物館 ・滨江道 スポットだけチェックしても、そこに何があるのかわからない。2番目と5番目は道だよね?百度でどんな道なのかを調べる。そんなことを着いてからやっていた。 まずは昼食。天津といえば狗不理包子だが、北京の支店はまずいとみんな言う。天津に住んでいた日本人が「天津のもうまくない」。 今年天津旅行した友人が「起士林で食べた。大众点评でお得なセットがある」と言ったのを思い出し、行ってみた。食べなくても古い建物を見るだけでも。 ホテルから自転車で行ける距離。でも途中、开封道が自転車進入禁止で、そこから徒歩。 ![]() 欧州に来たかと思ったよ。1922年建設されたときは平安电影院。1956年から現在に到るまで天津音乐厅。 そのすぐ向かいに起士林大饭店(小白楼店) ここが本店。 “起士林”是天津乃至中国最早的西餐馆。在清末,1900年八国联军侵占天津以后,相传有一个随着德国侵略军来津的德国厨师,名叫起士林,以制作面包、糖果著称。 ![]() 一階の入口で「三階へどうぞ」って言われた。上がってわかった。 一階 お菓子が売っている 二階 ロシア料理 三階 ドイツ料理 四階 フランス料理(格式高いっぽい) 大众团购で584元の二人コースが198元。お得だけど、量がたくさんあるってことだよね。そんな食べないよ。娘とさんざん迷って、でも聞いた。そしたら、前日までに予約しないといけないという。え?明日来るか?と真面目に迷ったが、明日の昼間どこにいるかわからないし、諦めた。 メニュー開いて、まあ安くないよ。メインにライスが普通の頼み方なのかな。メインは100元前後。スパゲティだけ38元。娘が「これ二つでいいじゃん」。いやいや、一つはいいけど。 ![]() 結局頼んだのは、罐焖牛肉78元、 意大利面(肉酱汁)38元。大众点评で100元につき8元安くなり、計108元。天津の方が物価は安いと思う。シチューは肉が多くて、北京でこの値段はないなと思った。ご飯付き。味よし。そしてスパゲティのソースの味はいいんだけど、麺が茹ですぎなんじゃなくて、米线みたいな食感で、不思議だった。 微博にここでの食事を書いたら、中国人が「小时候去过一次」とか「起士林的罐焖牛肉的肉不硬嘛?我记得以前吃过,完全咬不动」とか。これに対して、私が「我吃的很嫩」と答えたら、日本語で「もう十年前食べたものですからね」と返事がきた。 天津人なら行ったことあるんだろうなあ。北京人がめったに食べないが、食べたことはある北京ダックのように。 <続く> 【一日ペン字教室】大人もお子さんもどうぞ。 日時:7月30日(月)13時半から 場所:亮馬橋『言几又』(本屋兼カフェ) 申込:midoriiro★sina.comへ(★を@に)当日8時までに |
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