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私が留学していたころ、外国人は外国人専用の貨幣を使っていた。「钢镚」(コイン)は共通だったけど。私が留学直前に日本で見た(本屋で立ち読みしたか、図書館で借りたか)ガイドブックのような本に、「友諠商店は外国人しか入れません。あなたが中国人のような格好をして、中国語をペラペラしゃべれば、入口で止められます。ここで止められるようになったら、あなたの中国語も大したもの」ってな表記を見た。実際91年に行った時、中国人でも入店可能になっていた。
でも友諠商店は「外汇券」(全称"外汇兑换券"。外貨券。FECとも)でなければ買い物できなかった。だから中国人が買いたくても普通は持ってないから買えなかった。 中国人は欲しい。外汇を高く売買するルートもある。それで闇でチェンジするなんてことがあった。私は留学1年間帰国しないつもりで来たから(実際1年半帰らなかった。今の留学生ってしょっちゅう帰るよね。ぜいたくだ)、現金怖くてトラベラーズチェックで持ってきたのね。現金持参の留学生は結構お世話になったと思う。 語言学院近くの花屋、写真現像屋。留学生はみんな知ってたな。 そうそう、トラベラーズチェックだから、必ず銀行に行くわけだけど、外国人の多そうな銀行だと(雅宝路の中国銀行など)、外に、いや中にも「换钱吗?」って聞く人が多くてうっとーしかった。旅行客も来るから英語で「change money?」とも言ってたな、あの人達。 外汇が欲しい中国人もいるんだけど、逆に見たことない中国人もいるから、地方へ旅行に行って使えなかったと嘆く留学生も。北京の町中の買い物でも嫌がる店はあったな。 当時は外国人料金というアタマに来る制度があって、西安の「兵马俑」なんて中国人の5倍の入場料を取っていた。だから留学生は「人民币(人民元)」を入手して、中国人になりすまして、安い方の入場料で観光地に入ったりした。チケット見せるところで、バレないかドキドキだったよね。 「90年代ネタ、若い人はついていけませんね」って言われたけど、ついてこなくて結構。老人で大いに盛り上がろう!(おいおい) PR |
あたし若いから、こういうネタにはついてけないわ。
ルームメイト達と遊びに行くといっつも外国人料金で搾り取られそうになってた記憶はあるかな。中国語堪能な西洋人+中国語が全く喋れない日本人のセットじゃどうにもなんないっしょ。 |
なんと懐かしいものをお持ちじゃのぅ。
わしらが若い時分に中国国内で外国人だけが使うことを許されていた外貨兌換券ではないか。 みどりさん、わしらも歳をとったものよのう。 「ついていけない」という若い人たちがいる話題が分かるというんだからのう。 近頃は目はかすれるし、耳は遠くなるし、トイレは近くなるし・・・歳はとりとぉないものよのう。 というくらい懐かしい兌換券ですね。 これについては、また後ほどコメントさせてください。
【2011/10/05 16:20】| | 功夫man #92d92546b4 [ 編集 ]
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なんか90年代ってちょっと前の感じなのにこういうものを見るとすごく昔のような。86~88年に北京にいた夫は北京飯店に住んでたそうです。でもなんかアパートみたいな感じだった?お掃除アイにかなりたくさんの洋服をアイロンがけでだめにされたとか言ってましたけど、彼女には闇チェンジマネーで大助かりしてたらしい。でもあのご面相ですから地方に行くとパンダ並みの人だかりができた・・・本当ですか?ありえるか。家族3人で雲南かどっかいったときは小陸、大人気だったしね。
【2011/10/05 16:59】| | ms.てびち #990a58ccab [ 編集 ]
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いよいよ出ましたね、兌換券。
先日も投稿させて頂きましたが(すみません、誤って“二”名義で…)、ムカシの留学生を含む外国人には身近な存在でしたよね。 小職自身はトラベラーズチェック組でしたし、既に書いたとおり“チェンマネ屋”が嫌いだったので自分で闇チェンジをしたことはなかったのですが(知人に頼まれて1:1で換えたことはあります)、最高で1:2.3とかになったこともあり、当時は換えていない人の方が珍しかったと思います。 86年の天津では、兌換券を使おうとすると「いやいやいやいや、ここは中国だからオマエ達の国の通貨は使えないよ!」とか言われたものです。それも一度ならず。天津ですら、外国人が珍しく、兌換券を見た事がない(従って、恐ろしいコトに日本円だと勘違いする)人が結構いた時代でした。 87年に初めて上海に旅行で行った時は、当時はウルムチ路にあった友誼商店の前でウィグル人のチェンマネ屋に散々付きまとわれてブチ切れたことがあったなあ…。
【2011/10/05 23:28】| | 二鍋頭 #4cd61cc30b [ 編集 ]
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60~80年代ネタも刻み込んでいらっしゃるクセに、敢えて控え目に90年代ネタ小出し勝負でなでしこぶるミド氏、最高です。
05~07年の留学時も、北京語言大学南門あたりに闇両替商が蠢いていましたよ。06年8月あたりまでは中國銀行よりいいレートで交換できたけど、その後はメリットが無く、需要が無いと聞きます。っていうかインターナショナルキャッシュカードが発達しているから、大金まとめて両替ポン、の学生も少なくなっている。 僕は留学中、最長1年4ヶ月帰らなかったかなあ。相当、変人がられたけど、帰国できる時間はロシアやらモンゴルやらに遠征していた。今のコはツキイチくらいでサクッと一時帰国してますね。 「鋼鏰兒」という言葉は初めて知りました! 北京方言? 手許にあるバイブル『北京散歩ノート』(1985年講談社文庫)によると、「北京の代表的外国料理店」として、「マキシム・ド・パリ」(崇文門。フランス料理)、「シルクロード」(長城飯店。照り焼きステーキなどの西洋料理)、「ミニマム・ド・パリ・ペキン」(前門東大街。フランス料理)、「レ・フランス」(長城飯店。フランス料理)、「ジャスティン」(建國飯店。エスカルゴやステーキなどの西洋料理)、「イーリー」(“義利快餐廳”宣武門內。ハンバーガー、ソフトクリームなどのファストフード)。とありました。行ったことないけど、マキシムは崇文門飯店に健在! 1985年ってKFCもMacも上陸前ですよね。“義利”って製パンと関係あるのかな。
【2011/10/06 00:41】| | benz770k #3cd9c50782 [ 編集 ]
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みどりさんも書いてますけど、今でも「内賓」料金・「外賓」料金そして「同胞」料金などと料金が分かれているのですか?
留学当時、生活に慣れてくるに従って、如何に内賓料金で入場できるか、と頑張って、チケットを買う時には中国人ぽく「両張」などと言ってましたね。まぁ大概はバレてパスポートを見せろと言われましたけど… そのうち、貧乏留学生だったから若い中国人のファッションに劣る身なりになってしまい、自然に内賓料金で入れるようになりましたけど。 96年に駐在先の広西省から北京に行ったとき、宗慶齢の故居へ行ったときのこと。 入場券を買おうとしたら、係員に「どこから来た?身分証は?」と聞かれ、正直に「広西省から来た。身分証はホテルに忘れてきた」と答えたら内賓料金でチケットを売ってくれました。 価格差は大したことはなかったと思うけど、なんかラッキーというか見た目で日本人と分からなかったのかなと少し複雑な気分でした。
【2011/10/06 18:19】| | 功夫man #54985fffee [ 編集 ]
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鍋頭氏は私より先に中国に住んでいらっしゃるので、もっと奇怪な(?)出来事に出くわしているでしょう。どんどん披露してください。
ms.てびち嬢、白人の顔してなくても地図広げたら、30人くらいに囲まれたよ、80年代の旅行時北京で。 次は外国料理特集かな。b氏わざわざ字ぃ打ってくれて有難う。次回使わせてもらう。「钢镚儿」は『北京土语辞典』に載っていた。黒竜江省出身のダンナも普通に使うので北方の言葉でしょうね。 功夫man氏、今は外国人料金はありませんよ。GATTじゃなくて(おいおい、年バレるで)WTO加盟したんだし。
【2011/10/08 12:26】| | みどり♪不管按怎笑按怎哭 按怎眠梦 #55ff3d5e8c [ 編集 ]
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