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清代皇室への氷を保存していた倉庫を改造したというレストランに連れて行ってもらった。 暗くなってから着いたのだが、外に「レストランどえす」って看板がないし、重く大きなドアは閉ざされ、ガラス窓があるわけでもないので、そこを通るだけでは誰もレストランだとは気づかないであろう。 中に入ると満席。入口のおねえちゃんは「下へどうぞ」って言ってんのに、座っていたおっちゃん(店長?)が「席ないよ」と無愛想。蔵を見るだけでも!と前進。
この胃袋みたいなのに酒が入っとる。
下へ降りると、でっかいテーブルがあった。12人で座ってちょうどいい感じ。 ここね、メニューに写真がないから、中国語できない日本人だと注文は厳しいかな。料理出てきたら、一同「少なーーーい」。量がどれも小ぶり。
そもそも地下だし、空間が広い。空調が効いていても寒いんじゃないかと思ったが、想像していたよりは寒くなかった。 冬、外が-10度でも中は6度前後。夏、外が37、38度のとき、中は18-20度って。そんなに都合がいいものなのか。 ここの経緯をコピーしておく。出典:http://s.dianping.com/topic/2482759 清朝时整个京城分四处设冰窖18座,工部都水司所辖的18座冰窖统称“官窖”,特供宫廷和官府用冰。“府窖”是特许一些王府自办的冰窖,以供王府用冰。民间则不准擅自经营冰窖。 进入民国时期,官禁取消,北京才陆续出现了很多民营冰窖,北海东侧的恭俭胡同的德顺冰窖等。 雪池冰窖才是正宗的皇家冰窖,到光绪末年(1908年),因国库困顿、经济拮据……于是雪池冰窖形成了半官半私性质。 民国5年(1916年)开始,私人承包冰窖。1925年北海开放为公园后,雪池冰窖由王德山承租。王德山发迹后,在北海东侧的恭俭胡同建筑了两座与雪池冰窖相似的私人冰窖,曾是水产公司仓库,这也成为北京在民国时期留下的惟一的私人冰窖。 (清代には北京に18の氷蔵があったが、すべて宮廷と官府用だった。民国に入り、民間経営が許可され、そのうちの一つが恭俭胡同にある德顺冰窖。1908年、清朝の経済が逼迫し半官半民に、1916年から完全に民間経営となった。1925年、北海が公園として開放された後、王德山が請負った)氷の採取、運搬などについて、中国語で詳しくはここへ→「古代皇家怎么避暑」。この5枚目の写真!私ら行ったときは物置になっていたよ。こういうふうにきれいにすりゃーいいのに。 写真が多いサイトを参考にするとよいかな→「快乐加入盟」。場所を知りたい人、ここにある地図↑へ。「+」をクリックしていくと拡大される。店内の写真を見ると行きたくなるでしょう?
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