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11月4日まで故宮の書画館で特別展示をしているので、行く人のために、予習内容。 「粥を分けて漬物刻む」(CRI)から以下抜粋。 範仲淹(はんちゅうえん、989―1052年)は政治家、文学者。三歳のときに父を失い、家計はとても苦しかった。十幾つのとき、学問を求めるため故郷を離れて、当時有名だった応天府書院へ行った。貧しかった範仲淹は、十分な食事もできず、一日に一度粥を作るだけという有様で、朝早くお粥を煮てそれを冷まし、固まったらそれを三食に分けて、漬物を細かく刻み、一日の三食にしていた。 ある日、範仲淹がお粥を食べていると、友人が尋ねて来て、気の毒に思い金を出し、範仲淹にうまいもの食べるよう勧めた。ところが範仲淹は断った。翌日この友人がうまい料理を持ってきたので、仕方なく受け取った。 数日後、訪ねてきたその友人が見たのは、箸を付けていない数日前持ってきた料理だった。友人は怒り出し「君も高潔すぎるよ。友人として悲しい」と言う。範仲淹は「誤解しないでくれ。食べる勇気がないんだ。魚や肉を食べた後、粥と漬物が喉を通らなくなるのが怖いんだよ」と答えた。これに友人は感心し、範仲淹の人柄をより敬服するようになった。 ある人が範仲淹の志を聞いたとき、範仲淹は「私の志は優れた医者か、立派な宰相になることだ。優れた医者は人の病を治せるし、立派な宰相は国をしっかり治めることができる」と答えた。のちに、範仲淹は本当に宰相となり、宋代の著名な政治家となっている。 範仲淹はまた、教育事業の振興と官僚機構の改革を国を治めるための二つの重要な措置とし、全国で学校を作り、国が必要としている各種人材を育てた。彼は自分の行いを持って才能のある人物を引率し、のちに有名になった政治家、文学者でもあった欧陽修、文学者の周敦頣、哲学者の張載などは、範仲淹からの援助を受けた。 範仲淹は政務に追われながらも、文学的創作に励み、多く傑作を残している。また彼は内容が浮薄な作品を嫌い、文学と社会の現実とを結びつけ、社会の発展と人間の発展を促すことを主張し、後世の文学の発展に深い影響を与えている。
以下は故宮のHPより。 此两帖书法瘦硬方正,清劲中有法度。人常将此书风喻其人品,称“公书庄严清澈,信如其品”。(清劲中有法度…清らかで力強い中に規律がある/庄严…荘厳/清澈…澄んでいる)。
一日一作品くらい紹介しないと間に合わないな。
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