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法海寺に500年前の壁画がちゃんと残されていると知って、ずっと行きたいと思っていた。
大和撫子三人で待ち合わせて、地下鉄1号線最西端の苹果园で下車。降りると、「八大处へ行くのか」と白タクが声をかけてきて、やかましい。無視し続け、バス停を探す。降りるバス停は「模式口西里」か「首钢小区」か「模式口东里」。どこからも徒歩30分。この三つのどこかへ行くバスは非常に多く、地下鉄出たらすぐバス停があるので、見つけやすい。 近道を行く。何十年もこのままですっぽい商店街。 道路に出たら、北へ行きたいのに、閉鎖されている。オバちゃんがよじのぼって越えるかと思い、向こう側の人にモノを渡すだけだった。無駄足だったが、戻る。 またバス通りに出る。坂だ。北京市内に坂はないので、チト卖力。 「模式口大街」を東へ。「大街」だからもっと広い道路なのかと思ったが、市内でいうところの胡同だ。 途中に「田义墓」がある。田义は宦官で、この中に宦官博物館があるのを知っていた。 中へ入ると工事中。「開いてないよ。7月以降」と言われる。残念~。 宦官だからね。ネットで調べたら、展示がストレートで、ややビビる。写真見たい人は携程のサイトへ。 心臓の弱い人は見ないほうが……。 東へ進む。百度地図にも載っている「模式口早市」。路上で野菜売るなんて、市内ではめっきり減った。 私は、この座っている人が人形か本物か凝視してしまった。動いた。この一帯、商店街のようだが、写真にあるように青いブリキで閉鎖されている。 过街楼遗址。一般的な过街楼はアーチ型で、行き来できる形。中国人のブログへ→「北京的过街楼」。←一枚目の写真が正にここ。これはあっち側に行けないけど、いったいどういう構造? <続> PR |
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