× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
鲜鱼口街に入る。ここは両脇飲食店。にぎやか。私が留学する直前(91年)に東京で買った北京のガイドブックに載っていた四川料理の「力力餐厅」(創業1954年)。看板は60年代によく食べに来ていたという郭沫若の字。 「力力餐厅名字的由来:力力餐厅店名原想叫“劳动食堂”,意思是劳动人民吃饭的地方。因考虑当时社会上劳动人民识字不多,劳动二字过于繁琐.才取其两个字中的“力”字,定店名“力力”」。労働する人民のための食堂だから「労働食堂」という名にしようと思ったが、こんな難しい字だと読めない人のために、「労働」の中から力を一字ずつ取って、「力力」にしたというオモロイ店名だ。 焼売実演販売中。私がカメラを向けた時に実演が終わってしまった。ちっ。子どもたちにお土産と思って店内に入る。一屉(せいろ一つ分)47元だったかな。量は多いけど、温かいうちに食べたほうがいいし、持って帰るのにバスの中で私のせいで焼売の匂いが充満するのがイヤで、買うのを諦めた。美味しそうに見えたが、大众点评の書き込みがひどい。「价格贵,食材少。/差/忒难吃!/这样的店都能存在,只能说明中国人宽容度太高,或者关于吃的鉴赏力太差!」。どんな言われようよ。 創業1869年の天源酱园。漬物屋。 1本立ち食いしようと思ったら、10人くらい並んでいたので、諦めた。 この甘いもの、お土産に買いたかった。しかし、南のなまりの中国人数名がああだこうだと注文に時間がかかりすぎて、待っていられず、去った。 突き当たると工事中。後ろに見える北京ダックの老舗「便宜坊」は営業中。 ここ↑を右折すると、またシートで遮られていて、その横を通り抜ける。 いきなりヒトが減る。私、誘拐される?と思うほどの寂れよう。南晓顺胡同に入る。 このあたりに台湾の店がこれからオープンするようだ。「邓丽君音乐生活馆」(邓丽君はテレサ・テン)という立派な建物のもあった。どんなところか知りたい人は日本語のニュースへ。さらに南下。 台湾会馆。郑成功收复台湾后,将科举制度移植到台湾,自康熙二十四年(1685年)开始,陆续有台湾举人到北京参加会试。为方便台湾举人来京参加考试和联络感情,1893年台籍进士施士洁主持建立台湾会馆,1896年搬至大江胡同114号。民国时期,台湾会馆出租给商户。1949年后,台湾会馆变成民居。1993年,台湾会馆恢复为纪念场所。1993年,台湾会馆得到修缮,1994年7月18日举行揭幕仪式,会馆重新成为在京台胞交流聚会的活动场所。 台湾会馆の反対側。柳祖祠。 柳祖祠是一座柳氏家庙,为柳氏家庙,始建于1895年4月,属于北京市东城区文物普查登记项目。2011年9月,文保人士指出,柳祖祠被刘老根会馆占用并改名为“八大锅大院”,且修建了刘老根陶艺主题长廊,文物建筑变成餐饮场所令市民痛心。 突如として出し物が見られるようなところへ出る。名前は阳平会馆戏楼。 阳平会馆戏楼是一座十二檩卷棚前后双步廊悬山顶建筑。戏楼看台分两层。看台护栏有雕花栏板和望柱。戏台分上下三层,上有通口,下有坑道。戏楼两侧的墙壁上绘有壁画。面对戏台的后壁嵌有石刻,记载了会馆的沿革。戏楼内还有明末清初著名书法家王铎书写的匾额。是北京现存规模较大且保存完好的清代戏楼之一。 ちゃんと毎日演目があって、日本語でここ→「劉老根大舞台」←「劉老根大舞台のある陽平会館は北京で現存する、規模が大きくて保存状態が比較的よい、北京で唯一民間にある皇室風の戯楼である」と書いてある。俳優赵本山が3000万元を投資して改装し、2009年からここで舞台が見られる。毎晩8時から580-900元。詳細はここから。 珠市口西大街というバス通りに出る。帰宅。 I 鲜鱼口街に入る PR |
|
忍者ブログ [PR] |