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みどりの果敢な寒い寒い寒い北京生活(忍者版)
25日。最高気温14度。最低気温2度。空気質量144。
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先週末から東京の路上で歌っている中国人の動画が「走红」。動画がアップされた当日に再生回数4億。それはここ→。海阔天空 日语版 ニュースにまでなった。「临高小伙日本街头唱《海阔天空》走红」。

靖国通りと明治通りの交差地点で「海阔天空」を日本語で歌っている。観客はひとり。中国人女性。女性が広東語で口ずさむと、歌い手も広東語で歌う。女性は日本人が歌っているのかと思っていたので、同郷に会い落涙という美談(?)だ。

中国人が感動して転送した動画にケチつけるようで悪いけど、中国人の発する日本語の「う」は中国語の「u」だ。力強い。この歌も娘と聴いたけど、娘が言う。「日本人じゃないってわかる」と。逆に言うと、日本人が中国語の「u」を発する時は弱い。誰でもが習ったと思うが、口を突き出して「う~」。唇の形が「u」のみならず、口の中。さらには心。握りこぶしで二回胸を叩き、ここよ、ここ!ここから「u~」。ハートから「u~」。矢沢永吉かっつの!(どこが?)

久しぶりに「海阔天空」を聴いたけど、やはり名曲だと思った。広東語はまったくわからないけど、これだけは歌えるようになったらいいなとまで思う(いや、私の場合「身骑白马」の福建語が先だな)。

私がこの日、パソコンで聴いた歌をここに載せておく。日本で開けるかな?みどりセレクト

↑7曲続けて流れるこの便利なのが開けなかったら、面倒くさいけど一曲ずつ↓

海阔天空
ありがとう
老男孩
王妃
我的未来不是梦
我的中国心
你最珍贵 (2017 R&B Version)
我的中国心は三橋美智也の気分で(もういーちゅーの)。

<本日の中国語学習>
他乡遇故知……在远里家乡的地方碰到了老朋友。指使人高兴的事。アタシなんか毎日のように日本人と会って、日本語しゃべってるわ。これが中国語が上達しない元凶か。

<アンケート>参与するように!
中国で買ったカセットテープ、CD、VCD、DVD / 中国語学習で一番難しいのは

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読者によるコメント=茶色。みどりのコメント返し=緑色

1. あの時代はビンボーで、不便で メチャクチャだったけど 面白かったと思います

本当にそのとおり。ビンボーだった。会社から派遣で来ている、または社会人の経験がなくて親が費用を思う存分出してくれる留学生以外は質素だった。そもそもお金を出しても、今のように何でもある便利な北京生活ではなかった。

2. 北京駅に鮮やかなポスターが 貼ってあって、見たら 列車爆発の被害者の見るも無残なお顔、遺体が何枚も 印刷されてて、それから 怖くて、しばらく1人でトイレに行けませんでした

それは「血的教訓」。北京駅にあったよね。「危険物を持ち込むとこういうことになりますよ」という、血だらけの生々しい写真がたくさん貼ってあった。

3. トイレと言えば、語言に住んでましたが、個室の鍵が壊れていて、いつも割り箸の1本で穴に通して鍵代わりになっていました。こんなオンボロ宿舎は語言だけでしょうか?

大爆笑。箸って……。中国人はビールを栓抜きでなく、箸二本で開けるのも、当時結構ビックリした私。

4.片仔癀、91年に友誼商店で大量に買いました。

片仔癀のパールクリームかロイヤルゼリーは当時のお土産の定番。

5.おそらく北京初の日本人板さんがいらした、80年代猛烈日本人ビジネスマンのオアシスだった『居酒屋兆治』どこら辺りでしたか?

发展大厦の向かいです。三環路沿い。詳しくは過去記事へ。私よりもっと古いオジ様達がコメント欄に「戦後(1945年)以降、北京で最初の日本料理屋は”和風”(元の東安市場内)で1960年代」等とネットで探しても書いてないようなことを書いていらっしゃる。

その近くに(霄云路の入口あたり)当時としては珍しい、日本語の歌があるカラオケ屋がありました。95年に私が結婚したとき、結婚祝いに(おいおい、そのおいわい)日本人女性二人が私を導いた。私が「古城」(三橋美智也)を唄い、二人から「どんな選曲よ?」とツッコまれた。

6. 養老の滝あったよね?

あちきが留学終わって、就労ビザで働き始めたとき、このあたりまで出勤してた。交通が不便で、うちからエラく遠かった。養老の滝は何回か行った。アジア村に「かに道楽「もあった。行ったことなかったけど。どちらも本物だったのか不明。

7.小公共汽車は乗客が集まるまで待っている間に、アイス売りの女の子が乗って来て商売してました。鄭州でのことですが。

今思うと、昔のほうが秩序なく、取締もあまかった。21世紀の首都北京は路上のモノ売りが激減した。90年代は書家の訪中団がよく来たので、そのツアーに同行したことが何度もあって、レストランからバスに乗ろうとすると、「あ、外国人(=カモ)来た」って感じで、物売りがすごくて、まずは「せんせい!せんせい!」って日本語言う。その後「せんえん!せんえん!」。扇子10個千円、ハンカチ10枚千円等。

8. 真面目な留学生じゃなかったので! 毎週金曜日の夜は昆仑饭店のディスコ←今で言うクラブ?に通ってました。 学割で50元、ワンドリンク付き。最後の〆の曲は、映画ボディーガードの主題歌。日本人、結構来てた。 あと、場所は忘れたけど スザンナというディスコもありましたね。行ったことがないけど。

語言学院の中にも小さなディスコがありました。シャングリラ饭店のディスコにも連れて行ってもらいました。

昆仑饭店のディスコは若い子達が行っていた(あちきも20代だったが)。北太平庄と积水潭にあった(どっちかがスザンナだと思う)。私はディスコなんて卒業していたが(本当か?)、ダンナ(そのときまだ結婚してないが)が行くというので何回かついていった。著名画家、方力钧も来てた。

昆仑饭店って当時結構日本人観光客、ビジネスマンが泊まっていて、エレベーターにかならず体を売る女性(どうよ、この言い方)がいて、男性を見ると誘っていた。

9.ディスコって、北京电影学院の所にNASAというのがあった。 あと、北太平庄に8番ラーメン、美国加州牛肉面大王があった。

NASA!懐かしい!!行ったことないけど。八番ラーメンは存在だけ知っているが、できたときに私はそこから引越ししていたので、店を見たこともなかった。美国加州牛肉面大王は何軒かあったよね?みんなで「本当にカリフォルニアに本店があるのか」なんて言ってた。

10. 93年2月、天津留学中に北京に何度か行きました。確か2月には地下鉄料金は5角均一で、3月に行ったら急に2元に値上がりしていて、4倍の値上げにびっくりしたのを覚えています。

これに関して調べてくれた方あり。写真載ってる。

北京地铁票价变化史
图解北京公交车票的发展历史

11.民族学院の近くに新疆料理屋があって、インド料理でいうナンみたいな饼が美味しかったですね。

民族学院の近くの新疆料理屋!!!!あった!!!!何軒もあって、新疆街だった。ゴミゴミしていて、衛生面はかなり心配だったが、食べた。

12.留学先の大学のトイレ、大の方には使用済みのトイレットペーパーを捨てるカゴがありましたね。昨年台湾へ語学研修に行った先の語学学校のトイレも、トイレットペーパーを流さないで溜めるようになっていました。

日本でなぜトイレに紙が流せるかというと、溶けるからだよね。中国のは厚い。昨今はティッシュペーパー(ボックス、ポケットともに)が普及しているけど、当時はトイレットペーパーの形のを部屋で使っていた。それを見た(東京から旅行にきた)実弟が「そうか、そっちでもいいのか」と実家でも使おうとしていたが、日本のトイレットペーパーは薄すぎた。鼻かんでもビシャビシャになるし、用途が違う。

現在、娘の大学の留学生宿舎のトイレもゴミ箱があると。娘曰く「ゴミ箱のあるトイレはそこに捨てる。ないと流す」。今、ローカルの中国人の家に行っても、トイレでそのまま紙は捨てる。古い建物だと下水の設備がしっかりしていないから、流しちゃいけないんでしょう。


13.90年代の冬の男性のアウターと言えば、ほぼ皆さん黒の革ジャンでした。今ほとんど見ないですね。

革ジャンはなんとなく覚えている。それよりサングラスかな。日本だと真っ黒のサングラスしてる人はあまりいないけど、非常に多かった。しかもデカい。実弟が北京に旅行に来て、「なんで中国人はグラサン多いんだよ。あんなデカいの、日本なら石原軍団かあゆかhitomiくらいだ」とツッコんだ。

とりあえず以上。

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息子が木曜日「明日学校終わったら、食べてきていい?」と聞く。一週間ばっちり勉強し、土日は休みだ。金曜日の夜はゆっくりしていい。それで、私は娘と外食することにした。都の西北に住む娘と東四十条の駅B口で待ち合わせ。ウェネバーで見て、行ってみたかった育膳房へ行った。





2000平米に20の店が入っているというフードコート。本店に行ったことはないが、とんかつの加藤屋もあった。営業時間は10時から22時。土日は二階でフリーマーケットがあると書いてあった。

着いたのが5時前で、晩ご飯には早い。とりあえず出る。娘は大学の学食ばかりだから、学校で食べないようなものがいいかと思ったが、本人の希望は「とにかく安いもの」。貧乏人の宿命(さだめと読む)よのう。

で、麺(おいおい)。中国のレストラン紹介のサイトで見たことがあって、行ってみたいと思っていた「隆小寳」。三里屯SOHOは店が探しにくい。「スターバックスの近く」を手がかりに探す。あった。


私たちが座ろうと思った席におかあさん、小さい子ども、おばあちゃんの3人組がちょうと座ろうとした。私が譲ったら、「どこの方ですか?」と話しかけてきた。「日本人」と答えると、「中国語ができるんですね」。そして私らがメニューを見ているときも「読めますか?」って。ワシは北京に何十年も住んでいるけん(心でどこぞの方言)。「看得懂」だけ言った。

ご飯モノか面/粉を選ぶのだが、面/粉のほうが種類が多いのでウリなのかと思い、にした。

酸辣肥肠面36元/爆炒牛肚面39元。内臓系は家で作らないので、これらを注文。あと豆奶9元。

食べ終わって、「この近くにあるはずだ」と思い出し、友人のブログで検索。「北京口福の記」の「お肉屋 French Butcher」。地図で見たら、さっき行ったところじゃないか!麺は美味しかったけど、スープが飲めないくらい油。それで燃焼しようと歩くことに。

この道は初めて通った。飲食店がいろいろある。


米歇尔肉店大众点评



量り売りのソーセージ(豚)を二本買った。26元。あと、ラーメンが一袋5元。なぜなら期限が2/28、3/18だから。

今ここの店名で調べたら、「除了玛莎婕妮璐,北京这八个外国食品超市你都知道吗?」(ジェニールー以外にも外国の食品を売っている店はある)という記事があって、こう書いてある。
肉店的主人米歇尔是法国人,几年前初来乍到在北京生活的他,因为找不到一站采买法国食材的超市,索性就自己开了如今的这家肉铺。

娘と二人でご飯を食べたので息子へお土産を探す。となりのパン屋(カフェ)面包会有的大众点评)へ。

クロワッサンごときが22元とか、冗談もほどほどにしてほしい。一番安いフランスパン(小)12元を買った。


(ここの店名「面包会有的」を見て。
娘:面包会有的牛奶也会有的って知ってる?
私:ええ?知らない

私の中国語の先生、有難い。家帰ってちゃんと調べた。
出自前苏联影片《列宁在1918》中瓦西里之口。战争期间,物资短缺,列宁的警卫员瓦西里与妻子互让一只面包,并坚定地告诉妻子"面包会有的,牛奶会有的,一切都会有的。意思就是你现在没有的东西,只要你愿意为之努力一段时间,那么终会获得的。表达的是一种不放弃希望的心态。ヴァシリ・ザイツェフ(スナイパー)の名言。ソ連の映画なんて見たことないっちゅに。)

この並びのカフェにもパンが売っているので、入ってみるが、やはり高い。

向かいにエイプリルグルメがあるので、入る。

ブリーチーズ20.9元、タルト18元と22元を買った。


そこからまた「育膳房」の前を通って、東四十条駅へ。この夜だけで1万歩歩いたよ。

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今日初めて北京の日本大使館の新浪ブログ(中国語)を見たのだけど、本当に大使館がやっているのか?閲覧数が少なすぎる。記事はちゃんとしているが。詳細はこれを見てほしい

開幕式に中田英寿がやってきて、ショーでは伊達政宗、松尾芭蕉が見られる。餅つきがあって、日本酒が飲める。フォロワー数50万の官方微博で大使館は紹介しているので、イベントはホント。場所は悠唐。地下鉄だと朝陽門が一番近い。

私は行かないな。ペン字やってるから、宣伝しておく。

【一日ペン字教室】
・2/25、3/4、3/18(土)14時から「カフェバーshala」(建外SOHO西区17号楼地下1階)ペン字または毛筆(毛筆も手ぶら可)
・2/27、3/6、3/13(月)10時半~「BAKER&SPICE」(亮马桥外交办公大楼1階)ペン字のみ

受講料:ペン字1時間100元(毛筆1時間半150元)
申込み:当日8時までにmidoriiro★sina.com(★を@に)へ氏名と携帯番号を明記のこと。


【おまけ】
北京で筆ペンを買う任務を仰せつかって、数種売っていると知っていた、筆屋の老舗「戴月軒」(琉璃厂)へ行った。筆ペンの中国語は软头笔。18元、28元、35元、120元とあって、18元は先が硬すぎて筆のようではないので、買う意味がない。28元≒450円。高いな。日本の筆ペンはネット等で買えば、200円くらい。

これまでも「日本で買うとき、どういう筆ペンを買ったらいいですか?」と聞かれてきた。たくさん売っている店だと試し書きできるが(大久保の「キョー和」等)、そうでない場合が多いので、説明を読む。筆タイプ(筆っぽい)とペンタイプ(フェルトペンっぽい)がある。私の持ってる三種をここに書いておく。

筆に近いのは商品名「ぺんてる筆」(太さに種類あり。定価500円以上)。←これほど柔らかくないが、筆のような感じではある「あかしや新毛筆」(定価300円)。ペンっぽいのは「美文字筆ペン 中字 呉竹」(250円)。参考までに。

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90年代を知る皆さんはコメント欄でかなりお楽しみいただけていると思うが、まだ続く。

コメント返しを打っていたら、かなり長くなってしまったので、記事の方にする。(読者によるコメント=茶色。みどりのコメント返し=緑色)。

1.エレベーターにはそこがあなたの部屋か?という位、飲み物があったり、大体編み物していたりしましたね。頻繁に壊れるからいるんだと思ってました。

「エレベーターにはそこがあなたの部屋か?」に、あまり爆笑しない「笑点高」の私が爆笑。そうそう、決まって編み物やってた。そもそも司机専用の机があるからだよね。そこにまずは飲み物。あと新聞?いろいろ置いてあった。

2.私も93年から94年にかけて1年留学してました。車掌さんに行先とか言えなかったから、1か月10元乗り放題の月票を買ってました。バス停は時刻表どころか看板すらなくて、どこで降りたらいいのかわからなかったし。月票なら、無言OK!

バスの乗り放題は10元だったか。地下鉄の路線が増えて、最後バスの定期を廃止する頃には30元だった。月末に翌月のを買うんだけど、マクドナルドでも売るようになったのが、1997年くらいかな。

3.小公共汽车があった。バスが満員になるまで発車しない。

小公共汽车はゴミゴミしてた。無理やり人を詰めてね。私が95年の7月留学が終わる直前に日本から友達が旅行に来て、一緒に乗って、彼女が車内の写真を撮ったら、お金徴収する人が怒っちゃって、フィルム出せって出させられた。怖かった。正規のじゃなかっただからだろうね。あと、ちょっと中心から遠いほうで、恐喝みたいな小公共汽车に遭ってしまった日本人留学生の話も聞いた。

4.面包车、これは懐かしい!たまに座席の床が抜けてて、冬は寒かったです。でも10元が初乗りで安かった。五つ星ホテルの車寄せには進入禁止。悲しい存在。

面包车、車体の床に穴があいてて、走りながら「あーあ、道路見えてるよー」とか言ってた。10元で10キロだったよね。

5. 91、92年に旅行で来た時は秀水で、ネクタイやトランクス、パジャマのシルク製品をお土産に買った。すごく安かった。バッタ物も多かったです。友谊商店は日本では高価だったロイヤルゼリーが安くて大量買い。

私もダウンは秀水で買って、150元位払ったので、あとでみんなに高いと言われた。でも質は良かったからいいとした。友谊商店でロイヤルゼリー、私も買った。帰国して親戚にあげたら、その場で飲んだのね。すごく苦い顔をしたのを私は見逃さなかった。あの頃のお土産定番は「片仔癀」の真珠クリーム。今、南锣鼓巷で売っていて、「懐かしい!」と。痩せる石鹸は1996年頃?当時、日本では3個1万円。北京だと1個30元?(誰か覚えてる?)痩せる石鹸で儲けて、社員旅行が海外だったという会社があった(とニュースになってた)。

6.バスの床が板だったのと、真ん中がジャバラで繋がっていたのが珍しかったです。電力不足でしょっちゅう停電や教室のクーラーが止まっていました。

バスのジャバラはいつの間にかなくなった(あれ?まだあったっけ?)。中国に来る前、「公共汽车」「无轨电车」という中国語を勉強させられた。でも、実際来てみたら、中国人は「公交车」、「电车」と言っていた。

私は大学にいる間、部屋の停電はあまりなかった(忘れているだけかも。あ、何回もろうそく付けた覚えがあるな。)。でも、美大のとき8階に住んでいて、エレベーターがよく止まった。階段で部屋に上がるのだけど、6階までは結構勢いよく行って、そこから「あと2階頑張ろう」と。


7. 歌手のカセットテープが10元、安くて驚きました。が、違法品とは知らなかったです。CDショップに売っているのだから正規品だと思っていました。

中国で買ったテープ等のアンケートを設定した。横のバーからお願い。携帯で見ている人はここから。コメント欄には何年頃なのかも書いて欲しい。最近でも宜し。



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ばあさんからのプレゼントは冬の風物詩、白菜。


これ嫌がらせですかぁ~?

安いのにはワケがある。野菜の廃棄部分が多かったら、安いことにならないのに、なぜ気づかない!

このブログで、大晦日の餃子に対して気持ち悪いと書いたことが理解できなかった人がいたので、解説したい。餃子を包む時にコインを入れる。それに当たった人は、金運がいいという、根も葉もない行事が毎年執り行われる。義弟が張り切って集めてくるのだが、今年は8枚も用意しやがった。それはそれはきれーーーに洗うけど、所詮金。天下の回りものだ。どれだけの人の手垢がついているか。あれがみどり様の口に入るかと思うと、卒倒しそうだ。

金運なんて一生良くなくていいから、当たりませんようにとひたすら願う。コインを入れて包むと大きくなるので、入っていなさそうな、小さい餃子を選ぶ。しかし、今年は一個目でまさかのガジっ。「有了」と私が言うと、中国籍の皆さん(息子除く)から羨望の眼差しが向けられる。食べる時に歯にコインが当たるのがイヤで、気をつけて食べなきゃならんのもうっとーしー。三個目でもガジっ。運が悪すぎる。食事は楽しくしたいのに。めっちゃ憂鬱な年明けだ。

東京への飛行機は8時半発だった。アトリエを6時に出る。ギリギリに起きて、ゆっくり朝ご飯なんて食べられない。私はパンを用意してあった。5時45分に起きた私らにじいさんが「お粥を作ったから食べなさい」。えええぇええええ?じいさん、そんな早起きして、そこまでしてくれなくていいよ。

お粥は病人の食べるものだ」という格言が日本にあるのは、黙っておいた。台所に行くと、すでにお椀にお粥が注がれていた。旧暦1月15日に食べる元宵がお粥に入っていた。元宵节に北京にいない私らのためにわざわざ入れてくれた。ある意味、すばらしい義父だ。

でも、朝起きてすぐにあんな重いもの食べたくない。食卓にある鍋に元宵を戻したら、じいさん、チェックしやがった。「誰だ!食べてないのは!」。泣く泣く、渋々、いやいや食べるわてら。


一時帰国から北京に戻り、アトリエでなく、市内の自宅に直行。空港にはダンナが迎えに来てくれた。例によって、駐車料金を節約することに必死な画伯。駐車場で待つという殊勝な行いはせず、到着階(1階)でなく、出発階(2階)で私らをピックアップ。到着階でも出発階でも、乗り降り以外で停車するのは許されない。だから、私がトランクを受け取った時点で電話をかけて、ヤツは巧妙に計算して、出発階の進行方向一番前に向かう。明らかに私らより後に来やがって、私らが待たされる。だって長く停車できないから。


勿論私ら以外にもこうやって待っている人はいる。

家に着いたのが、18時半。外食する気まんまんだったのに、ダンナはばあさんの打った麺を持ってきた。あ、あああ、有難う。外側を剥いて剥いて少量になってしまった白菜で麺にかける「あん」を作り、ほかに卵焼きで夕食。ダンナはこの日、午前中に大連から北京に戻ってきて、お疲れなのに、すべて作ってくれた。

小中高大とこの月曜日から新学期開始。北京の日常が戻ってきた。これからゆっくり更新したい。

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本日のコメントより(読者によるコメント=茶色。みどりのコメント返し=緑色)。

私が留学していた90年代は地下鉄が一律料金(2元)で、入り口に切符を破るおばちゃんがいました。

 日本も昔は自動改札じゃなくて、切符を切っていた。中国の地下鉄が以前どうだったかまったく覚えていない。地下鉄は2元だった。バスは1角だった?私は1991年のことを言ってるんだけど。バスの定期を買えば乗り放題だった。今は乗り放題がないな。

北京晩報(夕刊)は1角から2角、5角とどんどん値上げしていった。



バスの切符も人の手からしか買えなくて、 混んでるバスの中をかき分けて買ったのを覚えてます。

  行き先を言わなきゃいけないから、中国語できない外国人が結構困っていた。発音が悪くて通じないという人もいた。

語言学院に留学中に 学内にビ・ド・フランスが 突然出来た。

  VIE DE FRANCEは西単の交差点の南東にできたのが一号店かな?前門のケンタッキーのとなりにもあった。

チーズはヤオハンで買った。

  CRAFTの塗るチーズが、北太平庄の商場の二階に売っていた。1992年頃、中国人がまだチーズ食べない頃に。あれは忘れられない。チーズとかスパゲティはリドのスーパーか、友誼商店。のちに国貿の地下にWelcomeという香港系のスーパーができて、洋食になるようなモノを売っていた。日本のポン酢もあったが、輸入もので日本円で600円くらいだったので、買えなかった。日本人用マンションの天壇公寓のスーパーで、ちくわがこれまた600円くらいだった。買えなかった。

ヤオハンまだある?

とっくにないよ。ヤオハンがあったときから「赛特」と言っていたけど、ヤオハンの中国語で「八百伴」というのもあった。誰も口からは出てこないが、名前は知っていた。当時和田一夫は香港のすんごい豪邸に住んでいたとニュースになったよね。


  昔を知る皆さん、登場しておくれ。

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昆明へ旅行に行ったことのある人は、どこへ行ったか教えて欲しい。

以下、自分で調べたことをどんどん足していく。

<日本語>

トリップアドバイザー(昆明 観光)
旅游人
雲南省の昆明からの観光旅行で見所は?
雲南旅行

<中国語>
蚂蜂窝
百度旅游


<旅游地点>
・云南省博物馆
・昆明市博物馆(昆明飞虎队纪念馆)
・云南民族博物馆
文化巷
・圆通禅寺
・翠湖
・昆明龙门
・云南民族村
・昆明金殿
・陆军讲武堂
・筇竹寺

<ブログ>
昆明に住む日本人の「2級都市」記録


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みどり
性別:
女性
職業:
書道展を主催等
趣味:
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自己紹介:
業務連絡

26日 9時10時
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4月10日14時

<ペン字>
建外SOHO shala  .25日4月1日14時15時
亮馬橋BAKE&SPICE 27日 10時
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