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【2024/04/20 16:30 】 |
90年代ネタ、生活用品。ピンクのトイレットペーパー金魚牌とかin北京
 私が留学を始めた1991年。トイレットペーパーはピンクで厚手だった。メーカーは金鱼。白いのはなかったんだっけ?箱のティッシュペーパーも、ポケットティッシュも売ってなかった。友諠商店ならあったかな。

 90年代を知るマリズさんと個人的にメールで盛り上がっているのだが、彼女から「これ懐かしくないですか?」と→http://t.cnool.net/view/post=5330652 この一番上の写真とキャプション。
 
6e83d220.jpeg 「1.还记得吗?每到星期二,电视台就这样」。90年代前半(たぶん)、それでなくともチャンネルの少ないテレビ番組、火曜日の午後は「维修」ということで砂の嵐――じゃなくて、こういう画面になった。午後3、4時間だったかな。夜になると放送開始。

 ブリキのおもちゃなんて北京で見たことなかった。今は南鑼鼓巷あたりで売っているでしょ。


 あとマリズさんより。94年頃、新婚当時家電を揃えるのに一苦労だったという話。

・テレビが高かった。1万元くらい。普通の国産テレビ(牡丹電子とか長虹電子)なら、それほどしなかったと思いますが、日本から持って来たビデオテープを見たくて、それ対応のテレビを買うとなると高かった。
 
・洗濯機は、西単商場で割合早目に手に入った(1200元くらい)。冷蔵庫は上が冷凍で下が冷蔵のタイプがなかなか無かった。
 中関村の百貨店にやっと妥協できる物があったが「没貨!」と言われた。家の旦那が「結婚用なんだよ。何とかしてくれよ・・・」とタバコだったかをあげたら、倉庫を見てくるよと言って出て行った店員・・・あったんだよ!倉庫には!(1680元)
 
 その後に、その冷蔵庫をどうやって運んだか・・・・店の外で待つ自転車にリヤカーのような物(竹とかで作ってあった)をつけたおじさんと交渉して、自宅までその自転車に我々が併走しながら運んだ(確か50元で4階の部屋まで運んでくれた)。
 
・ベットは天壇家具。ソファーは天橋の体育館の中で買った。(以上マリズさん)

 
  
 テレビ、1万元したよ。私が結婚した95年。携帯が1万2千元。家電っていわゆるデパートへ行って買った。王府井の百貨大楼も行ったなあ。私は家電選びであんまり苦労した覚えがない。だって「私達新婚。一緒にお買い物(は~と)」じゃなくて、ダンナが勝手にどんどん買ってきてくれちゃったから。
 日本人は使う(中国人は使わない)ビデオデッキ入手が大変だった。日本みたいにどこにでも売ってないから。家具は秀水の向かいの「贵友大厦」のちょっと北にある「北京市家具公司友谊家具店」(今もある)でも買った。
 
 
 留学し始めた91年9月。ゴミ箱が欲しくて(ってことは留学生宿舎にゴミ箱なかったんだな)、路上で15元で買ったら、お店で同じものが13元で売っていて、地団太踏んだ。
 
 あとは……思い出したらまた書くわ。

拍手[6回]

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【2011/11/10 09:32 】 | n90年代 | 有り難いご意見(30) | トラックバック()
<<うちのダンナちゃんがyoukuにin中国 | ホーム | カラオケは年1回程度(2011年6月)in北京>>
有り難いご意見
家電購入など
家電購入、携帯電話購入については、95年中国南方での事情なら経験がありますんで、またコメントさせてください。
【2011/11/10 11:45】| | 功夫man #92d92546b1 [ 編集 ]


無題
家電品ではないですが、「9.南方黑芝麻糊」のCMが非常に懐かしいです。何回も何回も見た覚えがあります。

CMといえば、生理用品のCMで何回も流れて、耳に残ってしまい、そのフレーズを今でも覚えているのがあります。
「没个月总有几天睡觉前要做很多准备工作,上了床还是紧张,就怕早上会出麻烦」
その当時は、このフレーズが頭の中で何回も繰り返されていました。
当時のテレビCMも懐かしいですね。
【2011/11/11 00:10】| | みどり #7dbd915651 [ 編集 ]


すみません・・・
このひとつ上のコメントは僕です。
名前とタイトルを入れ忘れて、送信してしまいました。
お詫びいたします。
【2011/11/11 00:12】| | 功夫man #7dbd915651 [ 編集 ]


すみません2
「没」ではなく「毎」ですね。
お詫びして訂正いたします。
【2011/11/11 00:15】| | 功夫man #7dbd915651 [ 編集 ]


今日は私の好きそうなめっちゃ若い人の歌特集じゃ
きゃははははは。いくら繰り返し流れるCMでも、よりによってこのフレーズを中国語で覚えているとは、功夫man氏ただものじゃないですね。

http://www.tudou.com/programs/view/G-pDOVsIiFg
高校生がマニキュア塗って登校。不良やな。
【2011/11/11 12:44】| | みどり一直忘了说 我有多感动 #55ffc2ad87 [ 編集 ]


テレビ
90年代、確か中央電視台の中で、『太陽太陽、七色光太陽~』という歌が毎日かかっていまして、いまだに頭に染み付いています。
また、住んでいたアパート(建国)の上階イタリア人、毎朝の目覚まし時計?がイタリア語の歌で、それも、歌詞は不明ながらメロディはいまだに頭の中…
【2011/11/13 15:00】| | からすうり #3fab73110e [ 編集 ]


からすうりさん、それまだやってますよ。私も歌えるわ。
♪ 太阳,太阳,给我们带来七色光彩,
照得我们心灵的花朵,美丽可爱。
今天我们成长在阳光下,
今天我们去创造七色世界。
来来来来来 来来来来来 来来来来来 来来来来来
七色光,七色光,太阳的光彩,
我们带着七彩梦走向未来。

私は「黑猫警长」が好きです。
http://v.ku6.com/show/RkpbPabgubEJQJgT.html

【2011/11/13 18:01】| | みどり今日は子どもの歌で #55ffc35b66 [ 編集 ]


トイレットペーパー
確かに90年代中ころまでは、箱入りティッシュやポケットティッシュとか売ってなかったと思いますが、僕がよく使っていたのは「餐庁紙」と呼ばれていたポケットサイズのビニール袋入りのちり紙(?)でした。
食堂やレストランで食事をするとおまけみたいにくれるので、集めておいて洟をかんだり、ハンカチ代わりに使っていました。
香り付きのものが多かったので、ニイハオトイレなど屋外の公共トイレで「大」をするときなどは、この「餐庁紙」の香りを嗅ぎながら用を足していました。周りの臭いを紛らわせるために。

品のない話ですいません・・・
【2011/11/16 15:08】| | 功夫man #92d92546b1 [ 編集 ]


香りつき!そうそう!
中国はなんでこんなに人工的にニオイをつけるんでしょうね。無臭といってもニオう。ベープマットみたいなヤツも。
【2011/11/21 09:37】| | みどり《芦花荡》孙犁 #55ffc2b79b [ 編集 ]


ベープマットといえば
駐在中に、中国側の老板が話してくれたことです。
日本に留学した中国人が、日本でベープマット(同種の別製品かもしれませんが)を使いその効果に驚き、これを中国でも売ってやろうと考え、自分が使っていたベープマットを中国に持ち帰り、分解研究して同じようなものを作り、大量生産して売り、結構儲けた、そうです。
代理店などを作って、日本製品を売るのではなく、自分で作ってしまうとは大したものです。
しかし、この製品は使用していると漏電して多くの火災の原因となってしまった、と。
後日談がいかにも中国らしい、と当時思いました。
【2011/11/22 00:28】| | 功夫man #7dbd915651 [ 編集 ]


懐かしの…
○90年代ではないけど、暖水瓶(だったかな)はまだ使われているのですか?
留学中、不注意で何回か倒して割ってしまい、「ボンッ!」と音をたてて見事に中のガラスが砕けてました。その度に宿舎のおばちゃんに替えてもらってましたね。

○猫印のビニール袋入り洗濯洗剤。洗うと溶けきれず洗濯物にこびりついていたことも。

懐かしや。
【2011/11/25 08:02】| | 功夫man #54985ffffa [ 編集 ]


日本に留学した中国人
いろいろマネることを試すでしょうね。こっちで生活していると、あ、これパクられてるという商品が多すぎて、関係方面が気の毒です。

暖水瓶または暖瓶は市内で若い人はあまり使わないかな。飲水機が普及してますから。功夫man氏のネタ今度も期待しています。
【2011/11/25 08:36】| | みどり老王(杨绛) #55ff3d5e83 [ 編集 ]


テレビドラマ
「我愛我家」
意味はよく分からないながらもなんかおもしろくて見てましたね。
帰国後、「我愛我家」の続編「東北一家人」のDVDを買って見ました。字幕付きのせいかよく意味は理解でき、おもしろかったですね。
【2011/11/25 16:44】| | 功夫man #92d92546b1 [ 編集 ]


我爱我家ときいて
不動産屋を思い出した・・・・。链家のそばには必ずある我爱我家!
スンマセン、つまらない話題で。
【2011/11/25 19:17】| | マリズ #5804baaddf [ 編集 ]


物ではないですが…
 寒くなり、暖気が入る時季になると町中に石炭を燃やす匂いがしましたね。
北京の冬といえば石炭の燃える匂いで、今でも似たような匂いを嗅ぐと冬の北京の風景を思い出します。

伝書鳩?が空を飛んでるときに出す音(足に何かつけているんでしょ、なんていうのかな)も懐かしいですね。「天高気爽」でしたっけ?寒い北京の青空を飛ぶ鳩の群。懐かしや。

饅頭売りのかけ声「マイマーント」も…あ、これは桂林だった。
【2011/11/26 11:33】| | 功夫man #54985fffdc [ 編集 ]


溶けない白い猫ちゃん
2種類しかなかった洗衣粉が3種類になった時のこと。
奥妙(OMO)という洗衣粉が登場してこの香りの虜になった。
ところが、私はすすぎをしっかりするので残念なことにほとんど香りは残らない。
それでもこの香りが好きで、同班同学に「奥妙の匂いがする人がいたら、ついて行きそうになる」
と言ったら、真顔で心配された。
結局、奥妙を使っていた班長が「こんどから、すすぎを簡単にして香りを残すようにするから、オレのシャツを嗅げ。」と言い、
同学達から「絶対に見知らぬ人について行ってはいけない。」と釘を刺された。(ついて行かないってば)
それで、よく班長のシャツを嗅いでいた。事情を知らない人から見たら、異様な光景だっただろう。

日本へ帰国後、仕事の関係者や友人から「今度中国へ行くけどお土産何がいい?」と訊かれることがある。
私は必ず下の三つをお願いする。
・奥妙洗衣粉
・マンゴーの歯磨き粉
・DOVEチョコレート
今のところ、叶ったのはDOVEチョコレートだけだ。
【2011/11/26 13:00】| | yukiyama #9b3a05a2b7 [ 編集 ]


洗剤の思い出
洗衣粉つながりでの思い出をひとつ。
アメリカから来ていた留学生が、洗面所の置いていた洗濯機で、洗濯をしていました。
何気に見てみるとすんごい量の洗濯物を洗濯漕につめこんで、これまた大量の洗剤をぶっかけており、水流が起こらず、ただ衣類を水につけてあるだけの状態。
そんな洗濯漕をそのアメリカのおたくっぽい留学生はぼ~っと見つめていました。
「こいつ、これまで自分で洗濯したことないんだな」と思いながら、これからどうするのか気になり、ちょいちょい洗面所をのぞいていたら、そのまんま脱水して部屋へ持って帰ってしまいました。
彼の服なら洗剤の残り香が結構あっただろうな。でもほとんど洗えてなかったから、汗臭さも充分残っていたかも。

ああ懐かし・・・
【2011/11/26 16:43】| | 功夫man #7dbd915651 [ 編集 ]


售貨員
90年代前半留学先の大学付近にあった国営市場、生活用品を買うのに何度も行きましたが、まだまだ「売ってやる」感が残っていてカウンター内の售貨員を呼んでもなかなか対応してくれませんでしたねぇ。
「ラオジアラオジア」と叫んでやっと来てくれ、「あ~っ?何か買うんかい?」という態度に慌てつつ下手な中国語でさらに言いづまったりすると、さっさと向こうに行っちゃったり…
鍛えられましたね、買い物でも。
今はそんなことはないでしょうね、サービス第一でしょうし。

それと、買い物時の3枚綴りの収据はまだ現役ですか?
あのレジと売り場を行ったり来たりしないといけないシステム。
これまた懐かしや。
【2011/11/27 15:36】| | 功夫man #54985ffff1 [ 編集 ]


あ、思い出した
90年代には関係ないかもしれないけど、留学生宿舎のベッドの敷き布団(敷きマットが正しい?)を包む「ピンクのシーツ」。
大きな花柄模様があったりしたけど、基本はピンク生地。
今、留学時代をつらつら考えていたら記憶の底から出てきました。

留学生宿舎の電話。
ワンフロアーに一つあり、電話が鳴ると一番近い部屋の人が出て、「某某!電話!」と叫ぶ。
僕の時は、ソマリア人留学生がよく出てた。僕も中国語を鍛えるために、留学2年目からは、電話の呼び鈴が鳴ると、部屋から走っていき電話に出てました。
まぁ、ほとんどがアフリカの留学生への電話でしたが。

ああ懐かしい。

あ、洗面所で農貿市場から買ってきた生きたニワトリをさばいていた留学生がいたな。
洗面所にニワトリの羽が散乱していた・・・

こんなこと書いたらダメかな。テーマからかけ離れてきたような・・・
【2011/11/28 23:50】| | 功夫man #7dbd915651 [ 編集 ]


功夫man氏のカテゴリーを作るべき?
我爱我家は宋丹丹と英达がまだ結婚していた頃のドラマですね。絶対見ているんだろうけど、まったく覚えてない。

マリズさん、なんで不動産屋って2軒、3軒って並んでるんでしょうか。神田の本屋じゃないんだから。

伝書鳩!!!!そうそう音立ててましたね。懐かしいなあ、それは。熊猫の洗剤が落ちないのは記憶に定かではないけど、yukiyama嬢が「奥妙大好き!」なのはよーーく覚えている。北京で食べられる唯一のお菓子がDOVEチョコだったのでは?高かったよね(今も安くないよ)。でもクレヨンみたいなチョコレートは今も健在です。お菓子もネタにするか。

3枚綴りの収据。昨日はどこも2枚綴りでした。まだ現ですよ。あと、レジと売り場を行ったり来たりする場所はまだまだあります。
【2011/11/30 10:36】| | みどり中国石拱桥(茅以升) #55ff3d766e [ 編集 ]


マウンテンバイク
留学中、マウンテンバイクが流行りましたよね。ある時期急に街を走る自転車の中に、マウンテンバイクの姿が増えました。
留学生も新しく自転車を買う人は、マウンテンバイク(「山地车」と言うんでしたっけ?)を買っていました。価格がいくらだったのか覚えていませんが。
 ある女子留学生もマウンテンバイクを買い乗っていましたが、買って間もないうちに留学から帰国することになり、まだ新しい自転車を日本へ持って帰ることにしました。
寮の部屋で自転車を分解し箱詰めや袋詰めにして、船便で日本へ送りました。そして、彼女自身も日本へ帰国。
 後日、彼女と電話で話をしたときに日本に送った自転車のことを尋ねたら、「日本で組み立てて乗ってたけど、あっという間に錆だらけになってしまった」と。
普通、日本で売っている自転車は、防錆塗装などをしてあるものですが、乾燥しまくりの北京ではそんな対策は必要ないのでしょうね。恐るべし日本の湿気。
【2011/11/30 23:44】| | 功夫man #7dbd915651 [ 編集 ]


お菓子・・・
チョコレートといえば、「М&Мs」は売ってましたよ。甥っ子にそのキャラクターグッズを買って帰ったことがありましたし。
【2011/11/30 23:53】| | 功夫man #7dbd915651 [ 編集 ]


無題
山地車、確かに流行りましたね。というか、出たばかりだったのかな。防錆塗装面でも遅れてたってことか。

М&Мsはありましたね。お菓子ネタいつか行きます。
【2011/12/04 11:51】| | みどり桥之美(吴冠中) #55ffc343e7 [ 編集 ]


建物ですが
ブログタイトルの下に、北京の気温が書かれてますよね。これを見てたら、思い出したことが。
留学中のある冬。彼女とふたりで建国門のあたりを東へ歩いていました。今日は一段と寒いねぇ、と話していたところ、ふとあるビルの壁に表示されていた外気温度を見たら「-10℃」と。彼女とふたりで「寒いはずだ」と大笑いしてしまいました。
あのビルはまだあるんですかね。
すみません、適当な記憶で。
北京の乾燥した寒さと、屋内の「暖気」による暖かさ、懐かしいです。
【2011/12/17 05:12】| | 功夫man #92d92546b1 [ 編集 ]


建国門の時計は・・・
確か、贵有大厦の上の方にあったような・・・?違ったかな~?今もあるんじゃないかな?
パナソニックだったかなぁ~?確か日本の家電メーカーの看板も無かったかな?
妙にその日本のメーカー名が懐かしく思えたのを思い出しました。
私は真冬の強風の万里の長城で氷点下15度を経験。ハンディカムビデオの電池が凍りました。
【2011/12/17 17:59】| | マリズ #5804baaddf [ 編集 ]


昔のモノ達
自転車と言えば、小生の留学時代(86年)には、マウンテンバイク等というものはなく、みな地味~な昔ながらの自転車ばかり。《鳳凰》、《永久》、《飛ge(鳩)》等が有名ブランドでした。小生は当時天津にいたので、天津製の《飛ge(鳩)》を買ったものです。
そうそう、洗剤では、大学の“小売部”で売っていた洗剤が、ある日突然白いものから青いものに変わり、へぇぇ…と思って使ったら、なんと洗った白Tシャツが、まだらな青に!!洗濯じゃなくて染色やん!!流石に怒りましたよ。
え?その白Tですか?勿論!フツーに使いました(爆)。当時の留学生は、そんなもんでしたよ。
【2011/12/17 21:28】| | 二鍋頭 #4cd61cc30b [ 編集 ]


どうしようか・・・
留学中の話で、すっごく書きたいことがあるんですけど、僕自身の経験じゃなく友人の経験なんで書いていいものか・・・
結構壮大な流れの話で、その友人が逐一僕らに事の顛末を話してくれていたので、まるで僕自身も体験しているかのような話だったのです。うう~ん書こうかどうしようか・・・。
その友人に許可を得ないとダメかもなぁ。

 関係ないですけど、もしタイムマシンがあったら二鍋頭さんが留学していた80年代の中国に行ってみたい、と思っています。中国語のレベルは今の状態で、という条件で。
90年代初頭も日本人にとってはけっこう不便でしたが、80年代はもっと不便で、不思議な経験があったと思うので、そんな体験をしてみたい、とずっと思っているのです。
留学前に事前準備として読んでいた数少ない本が、ほとんど80年代の中国、北京の生活情報だったので、その情報をじっさいに見てみたかったのです。
【2011/12/17 22:46】| | 功夫man #7dbe4d286b [ 編集 ]


今の北京は何でも便利だーー
大きなデジタル時計。贵有大厦に今もあり、90年代初め、私の留学時にすでにありましたね。電池が凍るって!哈尔滨に冬行くと、外でそのまま出した状態でアイス売ってますけど。だいたい誰が食べるんだっつぅの。もう「寒い」というより「痛い」くらい寒いのに(いやだから痛いんだって!)。

自転車のメーカーをそれだけ言えたら(私でも知らんわ)、老北京というより、老中国ですね。二鍋頭氏って今はスーツの似合うナイスミドルなのに、そんなTシャツ着てた過去がおありとは。若いからできた、青い過去ってありますね(青と青。うまい!座布団よこせ!←誰に言ってんの?アタシ)。

確かに80年代はもっとてーへんな時代だったでしょうね。私は86年に中国旅行に行っていますが、世間の服は青か緑(人民服色)だったな。人民帽もかぶっていたし。スチュワーデスはスカートじゃなくて、ズボンだった。

あ、功夫man氏、以前聞かれた質問。自宅の暖房はスチームです。石炭焚いてスチームにお湯が流れるというタイプ。室内は暑い。窓をしょっちゅう開けてます。
【2011/12/20 10:18】| | みどり观潮(周密) #55feb73f35 [ 編集 ]


スワンナァイ
北の葬儀、市内市民の様子をテレビで流してますが、89年、初めて北京に行った時を思い出しました。服の色が当時と同じ。王府井の人混みも思い出したぞ。

で、スワンナァイ。
大学の食堂で瓶入りが売られてました。今もあの形なのかな?
口が紙で蓋してあり、ストローを挿して飲むんですけど、たまに飲んでいくと中からもう一本ストローが出てくることがありましたよね。所謂、オマケです…

瓶を回収後ちゃんと洗ってないちゅうこと。それでも気にせず飲んでたな。
留学当初、中国人は肝炎患者率が高いから、マイ箸マイ器は必携、と言ってたのに、すぐに気にしなくなりました。
潔癖症な人は生きていけない世界でしたね。まぁ僕もプチ潔癖症でしたけど、中国で完治しました。
【2011/12/21 08:26】| | 功夫man #54985fffe8 [ 編集 ]


今でも売っていますよ
私は留学時もあまり飲まなかったけど、あのビンのは15年以上飲んでませんね。売ってはいますよ。スーパーのヨーグルト売り場って結構な場所占めてるんですよね。プラスティック入り、10個で11パック。
【2011/12/21 10:00】| | みどり湖心亭看雪(张岱) #55ff3da6b6 [ 編集 ]


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