忍者ブログ
  • 2024.03«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • » 2024.05
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/04/23 21:18 】 |
90年代のタクシー話を大大大募集!in北京
 ちょっとぉ!アンタ達!何でアタシ抜きでコメント欄で盛り上がっているのよ!はいはい、表舞台に出してあげますよ、その話題。
 
 今日は90年代のタクシーについて。先にその「アンタ達」のコメントをコピーする。
 
功夫man氏:ダイハツの軽四箱バンみたいなタクシーにみんなで乗り込み、わいわい言いながら行ってました。あ~懐かしい。
 
マリズさん:そのミニミニのダイハツのバンは、黄色くなかった?それ、面的っていう10元タクシーですね。あれと、小公共汽车は便利だったんだよね~。懐かしい。昔のタクシーって、シャレードっていう車(中国語は夏利)が多かった。
 
yukiyama嬢:当時、夏利(シャレード)に乗ると晴れがましい気持ちになったものでした。「春はシャレードに乗って・・・」というフレーズを口に出してしまいそうなくらい。(横光利一さんすみません)面包がつかまらなくて、やむを得ず夏利に乗った、と言うと友人からゼイタクだ! と非難されていました。
 
功夫man氏:「夏利」は天津で生産されていたのでは。確かに面包車より初乗り料金が高かったですね。
 
 ここからみどり様。

 タクシー。今はボラなくなったと思う。たまーーに空港から市内に乗って高額をとられたなんて話あるけどね。昔に比べたら雲泥の差。タクシーの管理が相当厳しくなったんだなと心から思う。だってメーターは改造済みとか自家製とか正常に機能しないものが多かったし、領収書だって手書きだった(友達、日本人女性だけど、運転手にいつも「多く書いて」って頼んでいたらしい。会社でタクシー代出るから。機械が導入されたとき、チッて舌打ちしてた)。
 
 だいたい91年は流しのタクシーがなかった。タクシーというのはホテルにあるものという認識だった。
 
c69654ba.jpg 普通のタクシーが4kmまで12元。初乗りは21世紀の今のほうが安くなったんだよね。面的は10kmまで10元だった。ダイハツのハイゼットがベースである、天津大发(ダイハツ)の面的面包车(パン「面包」に似ているから)、色が黄色いから、新聞等で「黄虫」とも言われてた。今調べたらね、「1998年,北京市政府发动了大规模“扫黄”运动」(←おいおい、その「」じゃないだろ。これ訳さないよ)。このとき北京から消え去った。
 
 面包はよかった。だって10kmまで10元だよ。金持ちアメリカ人留学生とタクシー拾うとき、面的しかなくて乗ったら、そいつら二人とも「これは棺桶だ(中国語で棺材)」なんて言いやがった。
 
 今中国語の記事を見つけたよ。「10块钱10公里,车里能坐七个人,还能放下自行车、电视机等大件物品,老百姓搬家都叫它……特别是个子高的体育运动员,一个人进去,可以躺下来,但面的没空调……」(7人乗れて、自転車やテレビなど大きなものも置けたし、引越しにもこれは利用された。背の高いスポーツ選手が横になることもできた。しかし空調はなかった)。そう。クーラーなんてない。夏に日本から大学の先生が来て、これに乗ったら、「いいね。北京ではタダでサウナが体験できて」と冗談をかまされた。でもあちらは4人で来て、私入れて5人。普通のタクシーだと2台に分かれてしまう。だからこれを活用してよかった。
 
 写真、カンタンな記事は「北京の名刺・タクシーの歴史」へ。
 
 1998年まで普通のタクシーが4kmまで12元。1キロ超えるごとに2元(红旗とか、ふるーいトヨタとか)と1.6元があったと思う。そのほかに1.2元(1.4元かな?)の風変わりなタクシーがあったの、誰も覚えてないだろうなあ。それの歴史は短かった。
 
 今日はタクシーネタに限定。あのね、90年代ネタまだまだいきますから。単語だけ出しといてください。すぐ記事にするよ。私が今後記事にする予定なのは、文部省の奨学金、FEC、パン。
 

拍手[5回]

PR
【2011/09/22 09:25 】 | n90年代 | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
<<今日の晩御飯はこれ!!in北京 | ホーム | おめでたい漢字一字のお手本in北京>>
有り難いご意見
懐念
ガタピシの面包車、なつかしいです。1.2元タクシーもあったなあ。面包車が捕まらなければ1.2を探し…っていう感じで乗っていました~。道が悪かったのか?車が悪かったのか?面包車に一緒に乗った友達がだんだん顔色が蒼白になってきて、どうしたのか聞いたら「トイレに行きたい…、この揺れが膀胱を刺激する~」と悶えていたのを鮮明に思い出しました。
面包車が無くなるとき、大々的に扫黄って言ってましたね~。ちなみにがん君のおじさんは運転手やっていました。
【2011/09/22 10:30】| | nuu #4e53dab6f5 [ 編集 ]


うはははは!
みどり様、勝手に盛り上がってしまい申し訳ない。

確かに、ぼったくりは減ったかも。以前空港からぼろい紅旗タクシーで帰った。メーターが良く見えない所にあって、タオルがワザと置いてあったりして怪しかった。三元橋で既に100元越えていて、家についたら200元近かった。運ちゃんの言い分「紅旗だから高い」家の旦那は、車を降りた会社の裏門にたむろって居る顔見知りのタクシーの運ちゃん達を呼び「おい、見てみろ、おかしいだろう、このメーター君らはどう思う?」と聞いた。その間、私は、この紅旗タクシーの営業許可書の番号と名前、車のナンバーを筆記していた。結局、100元(当時の相場は80元位)だけ札を投げて渡し、その運ちゃんは捨て台詞を残して走り去ったのでした。

面的は、道を知らない人も居たり、ガムテープで補修してある超ボロイ車もあったけど、面白かったし、荷物が運べたのが便利だったね。
みどりさんの写真の面的は綺麗すぎですよ。
【2011/09/22 18:42】| | マリズin今日も雨に降られた農村 #5804baaddf [ 編集 ]


ネットでぼろい面的を探せなかった
面包车といえば、とにかくボロかった(ということをnuu嬢のコメント見てちゃんと思い出したよ)。コメントの通り、道が悪い?車が悪い?と一瞬迷うが、3秒で「両方ひどい」という結論に。揺れのおかげサマで車の天井に頭ぶつけて(普通ぶつからないだろう)、ひどく痛い思いをした(コブができたんだったかな)という人も複数いた。

マリズさん、中国人はいいですよね。そうやってちゃんと文句言えて。ガイコクジンなんてホントいいカモ。今は領収書もらえるし、進んだなと思いますよ。
【2011/09/23 14:32】| | みどり莱西一面包车栽进桥下 导致车内4人全部身亡 #55feb70f68 [ 編集 ]


紅旗タクシー 一回くらい乗った記憶あり
サンタナのタクシーもありましたよね。車体の色は、小豆色みたいな。料金はいくらだったかな?
あと、どこの国の車だったのか分からないけど、後輪の部分が車体に半分覆われていた変な形のタクシーも。

面包車はほんと便利でしたよね。同学と共同で買った洗濯機が壊れて修理するために、面包車に乗せて修理店まで持っていったこともありました。
ああ、今、車内の油の臭いやほこりの舞い上がる様子、寒い冬、震えながら乗っていた風景が頭の中に浮かんできました。
面包車の起源はいつなのか分かりませんが、89年1月、初めて中国へ行ったとき(会社の有給休暇を利用して1週間カンフーの練習に行ったのです)、カンフーの先生が友人の面包車を数日間貸しきってくれて、北京のあちこちへ観光に連れて行ってくれました。これが面包車の初体験でしたね。長城まで行く道がでこぼこで、おしりが痛くなったのが懐かしい。
この時は、豊台駅前のホテルに泊まったんですよ。このホテルが・・・あ、話がまたずれ始めている。イカンイカン、懐かしさのあまり、手が止まらなくなりそうだ。

タクシーネタじゃないかもしれないけど、当時(91~93年)にアメリカから留学に来ていたアメリカ人(当然か)男性が、同学が別の都市の大学に転校するので(いや、帰国するんだったかな)、北京駅まで同学たちと見送りに行った際に、原因は分からないけど、駅前にたむろしていたタクシーの運ちゃんたちとケンカになり、現場で大ゲンカをした挙句、逃げるためにタクシーを奪い、勝手に運転して大学まで帰ってきたことがありましたね。
覚えてますか、みどりさん。

当時は、自分1人や彼女と2人で行動するときは、自転車を利用し、もっと多くの同学たちと行動するときは、必ず面包車もしくは、夏利でしたね。もちろん路線バスも利用しましたけど。(あ、路線バスといえば、バス停でバスを待っているときに、なぜか何回も中国人に道を尋ねられた記憶が。なぜ?みんなもそうだったのかな。見た目が中国人だったから?確かに中国の若者に比べファッションセンスは悪かったけど)
ほんと、面包車は僕ら貧乏留学生の頼もしい足でしたよねぇ。数人で乗り、料金は割り勘すればすごく安かった。ポケットからくしゃくしゃの人民元を出して・・・
中国人に見られたくて、財布など使わずに裸銭だったな。あ、やっぱり中国人だったんだな、当時は。
何の話題にしても、何もかも懐かしい、当時の北京、中国は。当時があるから、今があるんですよねぇ。
【2011/09/24 04:05】| | 功夫man #92d92546b1 [ 編集 ]


貴重なご意見の投稿















虎カムバック
トラックバックURL

前ページ | ホーム | 次ページ

忍者ブログ [PR]