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【2024/04/25 10:01 】 |
外貨兌換券、外国人料金に関してアンケート開始

私が留学していた90年代、中国人と外国人の使う貨幣が違った。たとえば、私は日本円の現金とトラベラーズチェックを持っていたのだが、それを銀行で中国元に替えると、外貨兌換券(FEC)を渡される。兌換券に対して、中国人が使うのは人民元。人民元だと、ドル等の外貨に両替できないし、北京だと友誼商店なんかは外貨券しか使えなかった。今調べたけど、兌換券は1979年から1995年まで流通していた。


私ら留学生、それでなくても中国語が上手じゃなくて、外国人だとバレて、ぼったくられるのがイヤなのに、兌換券を出すと、外国人であることがバレバレだ。当時は闇の両替所があって、そこへ行くと、1:1.5で、お金が多くもらえるので、皆さんよく利用していた。私が覚えている場所は語言学院の門の外の現像屋、三里屯のバー街の西側は小さい店が並んでいたが、そこの数軒などなど。
外国人がよく行く中国銀行の前だと、外国人を見かけては「change money」と話しかけて、換金しがたる中国人もよく立っていた。


当時は観光地に外国人料金があって、兵馬俑は30倍じゃなかったかな?だれか覚えてないかな?故宮もかなり違った。だから、日本人は人民元を持って、中国人のフリをして、中国人料金を利用したりした。外国人とバレないアジア人でよかったと思った。


1993年頃、一人で大連へ旅行に行き、海の近くのケーブルカー(だったかな?)に乗るときのこと。中国人料金と外国人料金の別のほか、片道か往復かを余儀なく選ばされた。それって、喋らなきゃいけないんじゃないか。人民元を出して、緊張して「单程」と言った。この[dān chéng]の発音でバレないかヒヤヒヤしながら。


古い皆さん!そういう思い出をアンケートに書いて欲しい。私、この大連の思い出しかない。そんなはずはなく、思い出したら、書き足す。


質問:外貨兌換券、外国人料金に関して思い出をどうぞ。
1. 成功した
2. 失敗した
3. その他


パソコンで見ている人は横のバーから、携帯等で見ている人はここから

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【2016/05/24 08:06 】 | n90年代 | 有り難いご意見(10)
<<ブログ開設〇執念紀念「字あげる」企画in北京 | ホーム | 中国のビフォーアフターに日本人が。イケメンだとよ>>
有り難いご意見
う〜ん…
外貨兌換券と外国人料金、か。
ないなぁ、思い出。



うそ、です。ありありです。
改めてコメントします。
【2016/05/24 12:21】| | 好婦man #1927a4c311 [ 編集 ]


ああ、懐かしい・・チョー長文です
私は84年1月から86年9月まで天津・・といっても塘沽生活。その3年弱で中国が肌に合うこと感じ、いつかは中国に住もうとなったのです。
だもんだから北京に投資の意味もかねて3つ家を買って、今は大儲け。東京のタワマンも買ってしもうたのだ・・まあ、その話は置いといて・・
懐かしいね兌換券。当時の塘沽では、兌換券のこと知らない人もいて、受け付けない店も。でも知ってる人は知ってる、兌換券の価値を。
だから塘沽に来て1か月後に上海製・鳳凰杯の自転車が簡単に買えた。
当時は上海製のモノが人気でね。一般人民は順番待ちでなかなか買えなかった。兌換券の威力で買えたということ。いや、これは。後で知ったこと。
日立のカラーテレビも友諠商店で買いました。1200元でした。自転車は158元。その20年後上海でも自転車買いましたが、その時は160元。
職場で、じゃあ、今日は蟹をどっさり買って事務所で一杯やろう、なんて時は、私が買ってきますといってくる人がいたんですが、
私はいつも彼に兌換券を渡す。あとあと分かったことだが、彼は兌換券は自分のポッケにいれ、実際は人民元で買っていた。
塘沽生活に慣れてくると、レストランも2階に行かないで、1階で人民元。
北京へ行くと、よくマネチェンと兌換券を人民元に換えました。100元が140元になりますから。
ウィグル人マネチェンと取引していた時、公安(なんかな?に捕まったことある。
金魚胡同から王府井に出る手前で。警察署に連れていかれ、兌換券100元は没収され、
パスポート見せろといわれ、あれパスポートない、悪いと知らなかった、ととぼけて、
なんとか逃げられた。最後に人民元70元を渡された・・なんで70元になってしまうの・・の思いだったが、黙って帰路へ。
故宮で人民に成りすまし、人民元で入場券を買い、入場しようとしたが見破られた。当時外国人の入場料は人民の10倍くらいだったような・・
桂林から広州へのエアチケットを買う時、地元の人に、俺が人民価格で買ってやると言ってきたので兌換券を渡す。上手くいった。
当時外国人は火車も飛行機もホテルも人民価格の2倍以上払わされていたからね。
北京で家を買ったのは96年ごろだけど、あれも外国人価格だったはず。2倍だったはず。だから、売った時は3・4場合にしかならなかったが、
人民価格で買っていたら、今は8倍から9倍・・まあ、今でも外国人からは金を多くとるという文化は続いている、と思っています。
【2016/05/25 04:24】| URL | 井上@打浦橋@上海 #4a17550f75 [ 編集 ]


これアンケートの方にコピーしておきます
好婦って、どういう意味でしょうか。私のこと?アンケートにはすでに二件コメントが入っていますが、あれ見て思い出しました。いろいろあったわ。

井上さん、1980年代というと、私は旅行では来たことがあるものの、生活していなかったので、どんだけ90年代と違うのか実感できません。91年で、北京の街は自転車だらけ。自動車はあまりなかったのに、中国人が自転車を買うのって大変だったですね。

思い出した。故宮は10倍でした。でも、中国人2元、外国人20元とか、その程度だったと思います。今は中国人も60元ですからね。田舎から出てきて、高くて入れなくて、引き返す人も多いはず。

北京で外国人が家を買う場合、物件がかなり限られていましたよね。中国人でも北京戸籍限定のところがあって、不公平。逆に言うと、うちのダンナは北京戸籍だから、今の家を買えて良かった。1995年、物件なかったもの。

「外国人からは金を多くとるという文化は続いている」けど、ずいぶんマシになりましたよ。そもそも監督が厳しくなった。特に首都北京。
【2016/05/25 14:15】| | みどり但不去做之后的后悔(やらなかった後悔は) #4dab708de3 [ 編集 ]


一夜明けたら紙屑に。。。
家族の実体験です。

1995年当時、上海勤務で外国人居住区域にしか住めなかった頃。
兌換券を闇で交換して買い物したりしてたのに、ある日、何の前触れも無く兌換券廃止の施行となり、闇レートは無効。額面通りの価値しか無くなり、ショックに打ちひしがれたと言ってました。

「もっと、闇レートで替えておけばよかったー!!」悔やんでも、悔やみきれなかったそうです。

おぉー、歴史の動いた瞬間に立ち会っていたんだなぁ。

ワタシのパソコンボロすぎて、ブラウザーが古いので、アンケート画面で回答を直接入力できず、こちらに書き込ませて頂きました。
【2016/05/27 16:06】| | ペン字修行中 #2957da0220 [ 編集 ]


アンケートの方にコピーしておきます
上海のことはまったく知らず、北京のことしか言えないけど、1994年くらいにはレートほぼ1:1。替える意味がないくらいに。流通をやめると通達したのがいつだったんだろう?全然覚えてないけど、ただ結構前からは知ってましたよ。これで利用できなくなるとわかった時も、記念分だけ残して、使っていった。
【2016/05/27 17:33】| | みどり就相当于成功了一半(半ば到達したことと同じ) #4dab708de3 [ 編集 ]


駐在時には
留学を終えて再び仕事で中国へ行ったのは94年2月。
当時はまだ外貨兌換券が流通していたはずですが、兌換券を使った記憶がなく、人民元をずっと使っていました。
駐在先が広西の山の中だったからかなぁ。
仕事上での日本円から人民元への交換は、地元の中国銀行の支店でしてました。
滅多に外貨の扱いをしないような田舎だったので、交換の度にバタバタして時間がかかり、柳州市の支店からファックスで為替レート表を送ってもらい交換してました。でもそのレート表も、日付が古かったので、大丈夫か?と思ってました。
自分のお金は、桂林市や柳州市に出た時に、闇レートで交換してました。
1万円で何百元だったかは覚えてませんが。
【2016/05/28 15:03】| | 功夫man #9b11124a7a [ 編集 ]


これもアンケート欄にコピーしておきますね
ファックス懐かしい。現在、中国人で使っている人を知らない。うちの実家、私の両親が仕事のやりとりでファックスを頻繁に使ってますよ。パソコンあるけど、弟しか使わないし。1996年、留学が終わって、仕事をしてたけど、辞めた頃。白人でファックスを使ったビジネスをしている人がいて、日本人顧客用にうちで働かないかと言われたことがあった。ちゃんと就労ビザも出してくれて社員として。でも内容がセールス。売りつけるなんて、大和撫子にはできず、断りました。
【2016/05/30 13:38】| | みどり自己不够优秀(他人が自分より優れていたとしても) #4fce0ed5fc [ 編集 ]


短く
外貨兌換券はきれいだったから財布に入れ、人民元はドロドロだったからそのままズボンのポケットに突っ込んでた。
まぁその方が、中国人ぽくてよかったけど。
【2016/05/31 11:23】| | 功夫man #7f4d102419 [ 編集 ]


記念として
89年1月に初めて中国北京へ行き、とりあえず日本円を外貨兌換券に交換しましたが、1週間の滞在中、お土産を買う以外の場では、僕を迎えてくれた人が払ってくれたので兌換券をあまり使わず、帰国後残った兌換券は旅の思い出としてファイルに入れてとっておいてました。
しかし、その後留学し一時帰国した際に、その思い出の兌換券を中国へ持って行き使ってしまいました。

そういえば、中国人の知人から、兌換券でしか買えないものがあるから買って欲しい、とお願いされたこともありました。
【2016/05/31 12:32】| | 功夫man #1927a4e5d0 [ 編集 ]


兄さん、これアンケート欄に足しておきますぜ
アンケート欄のコメント見ました?っていうか、開けますか?80年代にお仕事をされていた(敬語の必要性あり)方から、私ら留学生では書かないようなコメントが寄せられています。兌換券ネタ、外国人料金ネタ、思い出した。メモしとかなきゃ。

兌換券でしか買えないものが当時あってと、ネットで昔ネタ調べても出てきます。でも、私ら留学生、あまり関係ないから、私は何も思い出せない。友誼商店が外国人しか入れないとガイドブックに書いてあったけど、確か誰でも入れたというのくらいしか覚えていない。ガイドブック、また広げてみるかな。91年に買ったもの。
【2016/05/31 21:34】| | みどり不比去年的自己优秀就(去年の自分より優れていないのは) #4fce0ed5fc [ 編集 ]


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