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故宮博物院蔵四僧書画展2017



6月28日まで武英殿书画馆にて4人の僧の書画展を開催中。作品はすべて故宮が1949年以降に収蔵したもの。



なんで1949年以降かわかる?(説明はwiki、コトバンクから抜粋)

弘仁……明の滅亡に際して福建省に入り僧となる。
髡残(こんざん)……明末の社会的混乱を避けて 40歳近くでみずから剃髪して出家し、諸方の山野を歩いた。
八大山人……明の滅亡後、僧に。高僧として多くの弟子がいたが、のち県令に捕えられ発狂 (一説に発狂を装ったとも) 。脱走して南昌に帰り、書画をかいて過した。
石涛……4歳のとき明朝の滅亡に遭い、父王が殺され、廷臣に伴われて湖北省武昌に逃げて出家。

こういう人たちを遺民画家という。遺民画家とは(中国で)滅んだ前王朝への忠節の心を表現する画家。この人たちの場合は明が滅んで、清に仕えない。だから、清代に故宮に作品があるはずがない。後世に集められたというわけだ。

石涛と八大山人は遠縁の親族。石涛、髡残、弘仁とで三高僧、八大山人を加えて四画僧と呼ばれる。

弘仁……黄山の景勝を画いた代表的な画家で、独特の細い筆線で静寂で明るい山水図を多く残した。






髡残(こんざん/石谿せっけい)……山水画をよくし呉派の正統的画風によりながら,ややあらい筆墨を用いて個性的な画風をつくり上げた。



八大山人(朱耷)……伝統に固執しない大胆な描写を得意とした。 だが、八大山人の筆を評するに、その描く鳥の足を一本のみで表したり、魚などの目を白眼で示すなど時に奇異とも取れる表現を用いている点を避けることは出来ない。白眼は、阮籍の故事に倣い中国では「拒絶」を表現するものとされる。そこから汲み取れるように、その作画の中には自らの出目であり滅び去った明朝への嘆きと、その眼に侵略者と映る清朝への、屈してしまったからこそ心中でより激しく沸き立つ反抗が暗に表現されている。









石涛……黄山派の巨匠とされ、その絵画芸術の豊かな創造性と独特の個性の表現により清朝きっての傑出した画家に挙げられる。







書画展だけど、絵のほうがずっと多いし、書家じゃなくて画家でしょう。私が北京に来る前から知っていたのは八大山人だけ。ダンナと知り合った頃(93年)、すでに現代アートに着手していて、伝統的な水墨画などにまったく興味を示さなかったが、石涛の画集が120元だったかな。あの頃は本も安かったので、破格だったが、大きくすべてカラーで立派な、その本を買おうかすごく迷っていた。私はそのとき石涛は価値が有る画家なんだと認識した。

ここ数年、故宮の年二回の書画展はすべて行っているので、髡残、弘仁という名前は覚えた。私はやはり字のほうを真剣に見るけど、面白い字を書いていて、触発された。今日からまた創作を始めよう(今日からが多すぎるアタシ)。

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