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《北海公園》
  遼、金、元、明、清代を通じ「皇家園林」と呼ばれ、世界最古の皇室庭園である。1925年に一般公開された。「燕京八景」の一つ。

《三希堂》
  1747年、乾隆帝は内府秘蔵の書跡を三希堂法帖(全32冊)として集刻させ、それを収めるために、故宮博物館の養心殿に三希堂を設置した。
  清朝崩壊の際、紫禁城から流出し、乾隆帝が最も愛好した「快雪時晴帖」は現在台北の故宮に収蔵されている。中秋、伯遠も流出したが、周恩来首相時代に香港で発見され、買戻されて現在は北京の故宮博物院の三希堂に収められている。

《閲古楼》
  1753(乾隆18)年創建。三希堂法帖の石碑が嵌めこまれている。三希とは『快雪時晴帖』、『中秋帖』、『伯遠帖』で、三帖のほか、魏の鍾繇から明代に至るまでの名跡を収める。石碑は計495点あり、乾隆帝は閲古楼の石碑を好み、数十余の詩をつくり褒め称えた。


1.『中秋帖』王献之(北京故宮)



釈文:中秋不復不得相還。 為即甚省如何。然勝 人何慶等大軍。

訳:中秋に復命できず、相(大臣)が帰還できない。そのため、そちらの状況が大変気になるのだが、いかがであろうか。戦いに勝った人がどうして大軍と等しいと喜ぶことができようか。

王献之(3447-386年)……王羲之の第7子(七男一女の末っ子)。7.8歳から父に書を学ぶ。特徴の一つとして一筆書がある。一筆書とは中秋帖などに見られる連綿のことで、この書風は王鐸や米芾などに影響を与えた。王羲之を酷愛した唐太宗は、王献之の書はあまり重じなかったようで、むしろ宋代に至って評価が高くなった。
中秋帖……草書の尺牘。もとは五行あったといわれるが、二行が欠落して中間3行(22字)が残るだけである。

王献之の「十二月帖」と重複する字が多く、米芾の臨書であるというのが定説である。



釋文:十二月割至不?中秋,不復不得相,未復還,慟理為即甚,省如何?然勝人何慶等大軍。上海图书馆藏宋拓宝晋斋法帖本。

  「中秋帖」は竹を材料とした紙に書かれていが、東晋時代(316-420年)にこの種の紙はなく、北宋(960—1127年)のときにできた紙である。そして、運筆から見て、芯のない柔らかい筆を使っているのがわかるが、晋代の筆は芯がある硬い筆で、墨の吸収が悪く、はね、とめ、転折が自由にならない。これらが王献之が書いたものではないという根拠である。

全日本美術「中秋帖」
書道研究小石會王献之の書

2.『快雪時晴帖』王羲之(台湾故宮)


釈文: 羲之頓首。快雪時晴,佳想安善。未果為結。力不次。王羲之頓首。山陰張侯。

訳:羲之頓首。降りしきる雪が降り、時には晴れ、あなた様にあっては恙なくお過ごしのことと存じます。さて、お約束の件については力及ばず、お約束を未だ果たしておりません。王羲之頓首。山陰張侯。(頓首……手紙文の末尾に書き添えて、 相手に対する敬意を表す語)

王羲之…(303~361年頃)。衛夫人から、後漢の蔡邕・魏の鍾繇の書法を伝授され、その法を枕中の秘とした。7歳の時から衛夫人のもとで書を学び、 12歳の時に父の枕中の秘書を盗み見、その技量が進んだ。この時代にあっては、まだ新しい書体であった行書・草書を、たった一人の技量だけで、一挙に完成の域にまで高めた。ただ、行書・草書は日常の書体で、漢代からの風習として、正式書体としての隷書の地位が残っていた。そのため、王羲之一族の墓誌に羲之の書は採用されていない。王羲之の書の名声を高めたのは、唐の太宗の強い支持と、 宋の太宗により編纂された『淳化閣帖』の影響が大きいようである。

王羲之-書聖と呼ばれるわけ-

快雪時晴帖……円筆による蔵鋒が中心(円筆⇔方筆。蔵鋒⇔露鋒)。


3.『伯遠帖』王珣(北京故宮)


釈文:珣頓首頓首,伯遠勝業情期群從之寶。自以羸患, 志在優遊。始獲此出意不剋申。分別如昨永為疇古。遠隔嶺嶠,不相瞻臨。

訳: 珣頓首頓首。伯遠は事業において盛んであったときにこの世を去り、すでに一年が経つ。生前は兄弟達から深く尊敬されていた。体が弱くたびたび病気をしたため、自在に生活を送りたいと望んでいた。事業が好調になってきた折にこのようなことになり、望みを達成できなかった。彼との別れは昨日のことのようだ。永久に故人となり、遠く山道を隔てているようで、二度と私に会いに来ることはない。

王珣……350-401年。字は元琳、小字は法護、山東省臨泝の人。東晋の書法家王導の孫、王洽の子、王羲之の甥である(王導の父と王羲之の祖父が兄弟)。隆安の初期に尚書令に任ぜられ、車騎将軍の称号を贈られた。

伯遠帖……王珣が友人の伯遠に書いた手紙。五行47字の書簡。書法は王羲之に通じるものがあり、晋代の書風を代表するひとつの典型。宋、元、明、清の各代の名家を経て、宮廷に収蔵された。

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