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【2024/03/29 16:17 】 |
郭守敬記念館、壹珈琲
  地下鉄积水潭C口で降りて、交差点の方に進むとすぐに汇通祠がある。この中を上がっていく。


     通祠代に作られ、法華寺とも、鎮水観音庵とも呼ばれた。清乾隆二十六年(1761年)に再建して、通祠とした1984年に地下鉄を作るときに、すべて壊して再建)。乾隆帝が書いた汇通祠诗が石碑になっている。

     入口に記念館参観には3日前までの予約が必要」と書いてあったけど、「外国人ですぅ」ってゴネようと思い、前進。

     水の景色が美しい。立ってる像は郭守敬だが、修理してるからそこまで行けない。この像の背中側に丘があり、そこに郭守敬纪念馆がある。


    上がっていく。



     これ↑どう見ても閉まってるでしょ。両脇の狭い入口は開いていて、おじさん数人が椅子に座っている。「可以参观吗?」と聞くと、無言でパンフレットだけくれる。その目が入れと訴えた。え?身分証も見ず、入れる?タダで?この入口にも「3日前までの予約」って書いてあるのに?



     建物が四つあって、すべて展示場になっている。


    


    郭守敬という名前は知っていて、「学のある人」だとは認識していたが、具体的に何をなさった人なのか、知らなかった。予習はしたよ。

    wiki(日本語にちゃんと載ってるから、それを読んでから行くとよい→郭守敬

    あと、これも参考に→ 中国网 北京に甦る「水のある風景」
 (今は乾燥している北京だが)かつて「富水の都市」と呼ばれたこともある。十世紀以後、北方に興った遼や金といった国々は、北京の都市建設を進め、用水路や湖沼を掘って、住民に生活用水を提供した。頤和園にある昆明湖の前身である甕山泊まで往復する遊覧船もあったという。
 13世紀にチンギスハンの孫のフビライが中国を統一し、都を北京に定めて「大都」と呼んだが、水上輸送を発達させるために84キロに及ぶ通恵河を開鑿した。通恵河は北京の西北部の昌平区白浮村を起点として、白浮泉の湧き水を引き、西山を通って玉泉山の水と合流させ、長河に沿って北京の市内に引き込み、積水潭まで流す。そしてその後、東の通州を経て、7世紀に開鑿された北京と杭州を結ぶ京杭大運河と連結させたのである。
  当時、積水潭は港湾として栄え、出船入船は引きも切らず、商人たちが雲の如く集まって空前の活況を呈していた。南方からは食糧や木材が首都に運ばれ、北方で生産された物資も大量に南方に運ばれて行った。これによって北京の経済と社会は大いに発展した。
 15世紀、明の時代になると、白浮泉は涸れてしまい、通恵河も衰退し、北京市内に外から入ってくるのは玉泉山の水だけになってしまい、水の欠乏が逆に北京の水系整備に新たな局面を生むことになる。
 それまで立ち入りが禁止されていた皇居の紫禁城の外側に、筒子河を開鑿し、北京を囲む外城の城壁の内外に護城河を拓いた。それによって中海、南海、北海、西海、後海、什刹海の通称「六海」の湖がつながり、首都の荘厳さと河や湖の美しさがひとつに溶け合ったのである。
 清の時代も、明代に造られた水系の基本構造は維持された。しかし、清朝末期以後の約百年間は、政府が腐敗し、国運が衰微し、内憂外患に悩まされ、そのため北京の水系は日ごとに衰えて行った。

    ↑これを読んで展示を見ると理解が深まる上記の「84キロに及ぶ通恵河を開鑿した」が郭守敬のやったこと。

     さらには、この人ったら、「1970年,国际天文学会以郭守敬的名字为月球上的一座环形山命名为“郭守敬环形山”。1977年,国际小行星中心将小行星2012命名为“郭守敬小行星”」。惑星の名前に郭守敬が付いている。中国だけでなく、世界的にも有名(その世界では)。

私が記念館に行ったとき、参観者の中国人数人が出てくるところで、オバちゃんがしきりに「伟大,伟大,长得也好看」と言っていた。容貌はどーでもいいでしょ!水利と天文学に通じるって、確かに「伟大」だ。

  
ここを出て、南東へ。



    西海西沿。


    西海西沿を一番南東まで行くと、德胜桥がある。角に真武庙。跡だけで廟はなし。


  
ここで携帯の電池が20%だったので充電したく、百度地图で「德胜门内大街 咖啡」を検索し探す。一番近い壹咖啡へ。来た道と平行の道をちょっと戻る。


    ユースホステルの中だった。



     绿のドアに「男女混双」等と書いてあるので、卓球でもできるのかと思ったら、トイレだった。男女混双は男女ともに使えて、「女子单打」は女子だけという憎らしさ。




    コーヒー28元から。コーヒーでなく、ケーキにした(1/4食べてお持ち帰り)。レモン水タダ。


   德胜桥の東。



  次の目的地、宋庆龄故居に向かって、西北方向に進む。



   この奥に小吃という食堂街(?)がある。大众点评では中国人が「旅行者を騙す場所。高くてまずい」と書いているし、日本人は北京B級グルメのテーマパークと。いつか行ってみる。

《続く》

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